西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

七五三詣の御案内

よく知られているように「七五三」とは、3歳・5歳・7歳の子供のお祝いで、具体的には、男児は3歳と5歳、女児は3歳と7歳の年に、今日までの無事な成長を神様に感謝し、その上で、これからの更なる健やかな成長を祈願するため親子揃って神社に参拝するという、我が国特有の人生儀礼(神事)です。

七五三詣の幟

 

一般的な傾向として、全国的には11月15日が七五三詣(七五三参り)の日とされていますが、北海道は、気候の関係などから他地域よりも一ヶ月早く10月15日が七五三詣の日とされており、そのため北海道に於いては、その前後も含め10月いっぱいが、所謂「七五三シーズン」とされています。
但し、昨年及び本年につきましては、新型コロナウイルス感染症の拡大を受けて、所謂「密閉」「密集」「密接」を避けるため、御祈祷を受けに来られる方々は例年よりも分散化する傾向があり、今年は既に先月から何組もの御家族が七五三詣に来られております。当社と致しましても、今年は例年よりも早めに七五三詣の態勢を整え、毎日対応させて頂いております。

七五三の慣行やその由来・詳細等につきましては、以下の各記事(いずれも十年以上も前にこのブログにアップしたかなり古い記事ですが)を御参照下さい。
https://nisinojinnjya.hatenablog.com/entry/20050930
https://nisinojinnjya.hatenablog.com/entry/20061008

 

本年(令和3年)の場合は、下の表中の生年に当たるお子さんが、七五三詣の年となります。
ちなみに、厄年の厄祓い十三詣などと同様、七五三詣の年齢も、原則はあくまでも数え年ですが、近年は、満年齢の3歳・5歳・7歳の年に神社へお参りに来られる方も多くなっています。当社に於いても、数え年の当該年齢を既に過ぎてしまっている場合などは、満年齢の当該年齢でも七五三詣の御祈祷をさせて頂いております。

男 の 子 女 の 子
数え年 3歳 … 平成31・令和元年生まれ
数え年 5歳 … 平成29年生まれ


満年齢 3歳 … 平成30年生まれ
満年齢 5歳 … 平成28年生まれ
数え年 3歳 … 平成31・令和元年生まれ
数え年 7歳 … 平成27年生まれ


満年齢3歳 … 平成30年生まれ
満年齢7歳 … 平成26年生まれ

なお、七五三詣の御祈祷は、お子様お一人につき、玉串料(初穂料)として4,000円納めて戴いておりますので、恐れ入りますが宜しくお願い致します。
御祈祷を受けたお子様には、お守り・千歳飴・文具等の入った授与品のセットや七五三詣の記念金メダルもお渡ししております。

 

以下の写真6枚は、七五三詣の記念撮影用看板が置かれている社殿前と、社殿内で斎行される七五三詣の御祈祷の様子です。
但し、以下の社殿内の写真はいずれも一昨年以前に撮影されたもので、昨年と本年につきましては、疫病対策のため隣や前後の方々とはもう少し間隔を空けた上で座って戴いております。御了承下さい。

記念写真撮影用の七五三詣看板
七五三詣の看板
西野神社 七五三詣の御祈祷
西野神社 七五三詣の御祈祷
西野神社大前での祝詞奏上
七五三詣

 

以下の写真2枚は、毎年七五三シーズンの期間限定で境内に設置している、七五三詣のお子さん達に元気よく飛び降りて戴くための御影石の碁盤と、その案内の看板です。本年は、今月1日から設置しております。

七五三詣の碁盤(西野神社)
七五三詣碁盤の案内

この御影石の碁盤は、11月中旬頃まではずっとここに設置しておりますので、七五三詣に来られたお子さんはどうぞ御自由にお使い下さい。

 

文責:西野神社権禰宜 田頭

LINEでお友達登録をして下さった方々に参拝記念カードをプレゼント!

昨年10月15日付の記事で紹介しました通り、当社では、SNSの「LINE」(ライン)でも公式アカウントを開設しております。
LINE を日頃から使われている方で、当社とまだ「友達登録」をされていない方は、お手数ですが、宜しければ下の画像(QRコード)から友達登録をお願い致します。

LINE 西野神社公式アカウント QRコード

 

本日以降、新規に友達登録をして下さった方は、西野神社社務所玄関にて(原則として毎日午前9時から午後4時半まで)、友達登録をされたスマホ等の画面を、当社職員にお見せ下さい。登録が確認出来ればその場で、以下の写真の「参拝記念カード」(以下の写真2枚は同じカードの表面と裏面です)をプレゼント致します。
カードの裏面はマイクロファイバー生地で、液晶画面等の汚れなどを拭き取る事が出来ます。

西野神社 参拝記念カード(表面)
西野神社 参拝記念カード(裏面)

 

このブログとLINEは、どちらも担当者が同じである事もあって(インスタのアカウントのほうは違いますが)今まで発信する内容に重複が多かったですが、今後は、LINEでは独自の情報も発信していく予定ですので御期待下さい。

なお、参拝記念カードの枚数には限りがありますので、無くなってしまった場合は御容赦下さい。宜しくお願い致します。

 

文責:西野神社権禰宜 田頭

新型コロナウイルス感染症拡大に伴う西野神社の対応(その10)

既に報道されている通り、今月27日から再び北海道に緊急事態宣言が発令(対象地域に追加適用)されました。北海道を対象に同宣言が発令されるのは、本年5月以来、これで3回目となります。

 

 

 

 

 

この度の緊急事態宣言発令を受けて、「お守りは何時まで買え(受けられ)ますか?」「御朱印はいつも通り貰え(受けられ)ますか?」等のお問合せを戴いておりますが、西野神社では、同宣言発令が決まる以前から既に考えられる限りの感染症拡大防止策を徹底しているため、この度の発令によって神社としての対応が特に変わる事はありません。
御祈祷 の執行、御朱印のお頒ち、授与品の頒布等についても今まで通りで中止や時間短縮等の変更はなく、具体的には以下のようになります。

【御祈祷の執行】
  9:00~16:30
社務所にて受付後、社殿内にて執行)

御朱印のお頒ち】
  9:00~16:30
社務所玄関にて対応。授与所では対応していません)

【授与品の頒布】
  9:00~17:00
授与所窓口にて対応。社務所では対応していません)

【お手洗いの開放】
  授与所隣のトイレ
 8:30~17:00

    (どなたでも利用可能。土足のまま入れます)
  社務所内のトイレ 9:00~16:30
    (御祈祷や御朱印を受けられる方、社務所に用事がある方のみ利用可能)

 

当社としては今後も、新型コロナウイルス感染症収束のため日々粛々と不易の祈りを捧げながら、同時に感染症対策も緩む事無く緊張感を持って継続し、今後も御参拝の皆様方を受け入れていく方針です。
当社へ来られる方は、各自で感染症対策(ソーシャル・ディスタンスを保つ、マスクを着用する、こまめな手洗いや手指の消毒をするなど)をされた上で、お参りにお越し下さい。

西野神社での御祈祷

 

過去の記事でも述べておりますが、現在当社で行なっている「新型コロナウイルス感染症対策」の概要5点を、改めて以下に列記します。

マスクを着用して御参拝下さい。神職・巫女等も、マスクを着けた上で御対応させて頂きます。マスクをお忘れの方は、差し上げますので社務所にてお申し出下さい。

境内各所の清掃・消毒・換気を徹底しております。また、建物内各所には常時利用可能な、手指用アルコール消毒液が充填されたワンプッシュの容器を常置しております。

不特定多数の人達が触れる事を避けるため、手水舎の柄杓(ひしゃく)や、拝殿向拝鈴緒は撤去しております。

ソーシャル・ディスタンスを保つため、社殿(もしくは儀式殿)での各御祈祷は少人数の昇殿・参列を原則とし、一回の御祈祷で同時に昇殿して戴けるのは4組(4家族)までとさせて頂いております。

授与所の窓口でおふだ・お守り・その他の授与品や、お釣り等をお渡しする際は、透明なビニール幕を垂らしている窓口から、それぞれ専用のトレイを介してお渡し致しております。

社務所 窓口

 

 

なお、来月の「秋まつり」(西野神社例大祭)の具体的な内容や、例年との変更点などについては、以下の記事で詳述した通りです。昨年同様、本年の秋まつりでも御神輿(おみこし)の渡御(とぎょ)は行なわれない事となりましたが、御理解の程、宜しくお願い申し上げます。
https://nisinojinnjya.hatenablog.com/entry/2021/07/26/162144

 

西野神社の御神輿3基

 

文責:西野神社権禰宜 田頭

参集殿地鎮祭

本年6月15日付の記事で詳述した通り、4年後に迎える令和7年の「西野神社創祀百四十年記念事業」のひとつ(その記念事業の中でも特に中心となる事業)として、当社境内に「参集殿(さんしゅうでん)」という新たな殿舎を建てられるのですが、今日は午前10時から、その参集殿着工に先立っての地鎮祭が執り行われました。

令和3年8月 西野神社参集殿 地鎮祭準備

 

以下の画像2枚のうち、1枚目は、当社第2駐車場内の南側半分の区画(平成23年に拡大した区画)に新築される、その参集殿の完成予想図です。
2枚目は、この参集殿の配置図(具体的に当社境内のどこに建てられるのかを示した図)で、この図についてはクリックすると拡大表示されますので、是非拡大させて御覧下さい。参集殿の正面と社殿(拝殿)の正面は相対する配置となり、そのため参集殿へは、社殿からは参道をそのまま直進して出入りする形になります。

西野神社参集殿 完成予想図
西野神社参集殿 配置図



以下の写真はいずれも、斎主・祭員典儀の3人奉仕で斎行された、本日の地鎮祭の様子です。設計会社や施工会社の方々、当社の総代長や副総代長などが参列して下さいました。
勿論、この御時世(報道されている通り、北海道でも今月中にまた緊急事態宣言発令される見通しです)ですから感染症対策には十分配慮した上で斎行され、本来であれば行なわれる、祭典後の「直会」も、今回の地鎮祭に於いては中止とさせて頂きました。

西野神社参集殿 地鎮祭
西野神社参集殿 地鎮祭
西野神社参集殿 地鎮祭
西野神社参集殿 地鎮祭
西野神社参集殿 地鎮祭
西野神社参集殿 地鎮祭
西野神社参集殿 地鎮祭
西野神社参集殿 地鎮祭
西野神社参集殿 地鎮祭
西野神社参集殿 地鎮祭
西野神社参集殿 地鎮祭
西野神社参集殿 地鎮祭
西野神社参集殿 地鎮祭

 

私が西野神社に奉職した平成16年4月以降で、当社の境内にて地鎮祭が執り行われたのは、平成19年12月に斎行された神輿殿(みこしでん)の地鎮祭、平成30年10月に斎行された儀式殿(ぎしきでん)の地鎮祭に次いで、今回が3回目でした。
ちなみに、私が入社する以前も含めると、平成元年以降では、平成7年6月にも当社境内にて授与所(じゅよしょ)の地鎮祭が執り行われています。

今回の参集殿地鎮祭の様子は、「西野神社アルバム」の、令和3年8月「参集殿地鎮祭」のページ(下記URL)にも写真を多数アップしておりますので、宜しければこちらのページも是非御覧下さい。
https://nishinojinja.or.jp/photo/r030824.htm

 

文責:西野神社権禰宜 田頭

今月はほぼ毎日、慰霊の日々が続きます…

今日(8月15日)は、私達日本人にとってはお彼岸と並んで “御先祖参り” や “お墓参り” の時期である「お盆」の中日(お盆期間の真ん中の日)であり、そして、先の大戦終結した「終戦記念日」であり、それに伴い「全国戦没者追悼式」の日でもあります。

そもそも8月は、広島原爆の日、長崎原爆の日終戦記念日、航空安全の日(日航機が群馬県御巣鷹山に墜落した事故の日)、九人の乙女殉職の日(樺太の真岡郵便電信局で集団自決があった日)、対馬丸事件の日(米軍潜水艦の攻撃により学童疎開船が沈没した日)、三船殉難の日(ソ連軍潜水艦の攻撃により、樺太からの引揚船3隻がそれぞれ沈没したり大破するなどした日)など、慰霊の日々が続きますが、その中でもお盆の本日は、8月に於ける一連の慰霊・供養・鎮魂の中心となる、特別な日といえます。

その特別な日である今日、当社では、祖霊殿(故人の御霊璽を奉安する、境内 の殿舎)と奥都城(故人の御遺骨が納められている、藤野聖山園内の墓所)の御前それぞれで、故人の御霊をお慰めする、毎年8月15日恒例の「夏季霊祭」が厳かに執り行われました。

令和3年 西野神社祖霊殿 夏季霊祭
西野神社奥津城夏季霊祭

 

私も今日は、当社の大前を通して黙祷を捧げ、76年前の今日終結したあの大戦で、祖国を思い家族を案じながら戦場で斃れられた御霊(みたま)や、戦禍によって命を落とされた御霊が安らかでありますようにという事、そして、今私達が享受している平和と繁栄は英霊達の尊い犠牲の上に築かれたものであるという事に、改めて思いを致しました。
また、戦没者のみならず、私達の御先祖様、西野神社関係の物故者の方々、既に帰幽されている郷土の先人達や今日の日本の礎を築かれた先輩諸兄に対しても、改めて、感謝と追悼の思いを捧げました。

西野神社でのお参り
祈り

 

 

以下に、過去の8月に国内(当時の日本領や日本の勢力圏内等も含む)で起こった、死者の多かった戦争やその関連事項(戦闘・空襲・襲撃)、事件、事故、災害などを、私の分かる範囲で列記してみます。
当然の事ながら、戦争・事件・事故・災害などは何も8月に限って起こっているわけではありませんが、それでもこうしてみると8月はやはり、戦争関連の出来事(原爆投下、国内各都市への空爆、戦争関連の事件)が特に多い事が分かります。

 

◆◆◆ 8月1日 ◆◆◆

【明治27年】 日清戦争が始まる (日本と清が相互に宣戦布告して開戦。同戦争に於ける最終的な日本側の戦死者は1,417人、戦地での病死者は11,894人で、戦死者よりも病死者のほうが圧倒的に多かった事も日清戦争の大きな特徴のひとつ)

【昭和20年】 長岡空襲新潟県長岡市の中心部及び市街地に対して行なわれた米軍機による空襲。当時の長岡市長を含む1,480人余りの市民が死亡)

【昭和30年】 墨田区厩橋近辺の花火問屋で爆発事故 (住民18名が死亡、80名以上が負傷)

 

◆◆◆ 8月2日 ◆◆◆

【昭和19年】 テニアンの戦いが終結 (日本の委任統治領であったマリアナ諸島テニアン島で行なわれた日米間の戦闘。日本軍の玉砕により戦闘終結。日本軍の戦死者は8,000人以上)

【昭和20年】 富山大空襲富山県富山市の市街地に対して行なわれた米軍機による空襲。広島・長崎への原爆投下を除く地方都市への空襲としては最も被害が大きく、2,149人が死亡)

 

◆◆◆ 8月5日 ◆◆◆

【昭和20年】 前橋空襲群馬県前橋の市街地に対して行なわれた米軍機による空襲。535人が死亡)

【昭和20年】 湯の花トンネル列車銃撃事件中央本線湯の花トンネル付近にて、米軍の戦闘機複数機が満員状態の列車に対して執拗な機銃掃射を加え、多数の乗客が死亡。死亡者は、国鉄の資料では49人、警視庁の資料では52人、事件の慰霊会では60人以上)

 

◆◆◆ 8月6日 ◆◆◆

【昭和20年】 広島に原爆投下 (米軍機により、広島市の中心部に原子爆弾リトルボーイ」が投下され、上空600mで炸裂。9万~16万6千人が被爆から2~4か月以内に死亡。人類史上初の、都市に対する核攻撃。)

【平成5年】 8.6水害 (鹿児島県姶良郡を中心とした地域を襲った集中豪雨。気象庁命名した正式名は「平成5年8月豪雨」。71名が死亡)

 

◆◆◆ 8月7日 ◆◆◆

【昭和17年】 ソロモン諸島の戦いが始まる (米軍がガダルカナル島に上陸した事により、日本軍と、米英豪など連合軍との間で、南太平洋ソロモン諸島の争奪をめぐり激戦が始まる。ガダルカナル後も含む「ソロモン諸島の戦い」全体に於ける日本側の戦死者は約80,000人、連合国側の戦死者は約11,000人)

【昭和20年】 豊川空襲 (愛知県豊川市の豊川海軍工廠に対して行なわれた米軍機による空襲。2,417人が死亡)

 

◆◆◆ 8月8日 ◆◆◆

【明治44年】 稗田山崩れ (現在の長野県北安曇郡小谷村にある稗田山が崩壊した災害。日本に於ける20世紀最大級の土砂災害で、静岡県で起きた大谷崩れ、富山県で起きた鳶山崩れと共に「日本三大崩れ」のひとつとされる。26人が死亡)

【昭和20年】 福山大空襲広島県福山市深安郡深安町などに対して行なわれた米軍機による空襲。354人が死亡)

【昭和20年】 八幡大空襲 (現在の北九州市八幡東区・八幡西区に対して行なわれた米軍機による空襲。約2,900人が死亡。この空襲による火災の煙が、翌日の原爆投下の目標都市を小倉から長崎に変更させる一因となった)

【昭和20年】 筑紫駅列車空襲事件 (現在の福岡県筑紫野市西日本鉄道大牟田筑紫駅付近で発生した米軍機による空襲事件。非武装の列車数本が機銃掃射を受け、64人が死亡)

 

◆◆◆ 8月9日 ◆◆◆

【昭和20年】 長崎に原爆投下 (米軍機により長崎市原子爆弾「ファットマン」が投下され、市中心部から北へ約3km離れた松山町の上空503mで炸裂。人類史上に於いて2回目、かつ実戦での最後の核攻撃。約74,000人が死亡)

【昭和20年】 大湊空襲 (現在の青森県むつ市に対して行なわれた米軍機による空襲。海軍の大湊警備府が集中的に攻撃され、129人が死亡)

【昭和20年】 釜石艦砲射撃 (米英両海軍の連合国軍艦隊が岩手県釜石市に対して行った艦砲射撃。主要な攻撃目標は日本製鐵釜石製鉄所で、この砲撃による日本側の一般市民死者は281人。爆音は秋田市まで響いたという)

【平成21年】 平成21年台風第9号兵庫県佐用町の佐用川が氾濫。山崩れなどの被害が起き、20人が死亡)

 

◆◆◆ 8月10日 ◆◆◆

【明治35年】 伊豆諸島・鳥島の火山大爆発 (島民125人全員が死亡。現在の同島は無人島で、島全域が天然記念物に指定されているため、東京都より許可を得た者のみ上陸できる)

【昭和20年】 花巻空襲 (現在の岩手県花巻市に対して行なわれた米軍機による空襲。花巻駅や花巻小学校周辺が爆撃され、42人が死亡。宮沢賢治の生家も焼失し、同所に疎開していた高村光太郎も被災)

 

◆◆◆ 8月11日 ◆◆◆

【昭和20年】 久留米空襲 (福岡県久留米市の市街地に対して行なわれた米軍機による空襲。210人以上が死亡)

【昭和20年】 加治木空襲 (現在の鹿児島県姶良市に対して行なわれた米軍機による空襲。26人が死亡)

【昭和52年】 山梨県の昇仙峡で観光バスが転落 (11名が死亡)

 

◆◆◆ 8月12日 ◆◆◆

【昭和20年】 阿久根空襲 (鹿児島県阿久根市に対して行なわれた米軍機による空襲。14人が死亡)

【昭和33年】 全日空下田沖墜落事故 (羽田発 名古屋行きの全日空機が、静岡県伊豆半島下田市沖に墜落。乗員乗客33名全員が死亡)

【昭和60年】 日本航空123便墜落事故 (羽田発 伊丹行きの日航機が群馬県御巣鷹山に墜落し、520名が死亡。4名が奇跡的に生還。単独機としては世界史上最大最悪の航空事故)

 

◆◆◆ 8月13日 ◆◆◆

【大正3年】 富山県富山市神通川流域で大水害 (死者54人、行方不明60人)

【昭和20年】 長野空襲 (長野県の長野市上田市に対して行なわれた米軍機による空襲。48人が死亡)

 

◆◆◆ 8月14日 ◆◆◆

【昭和20年】 葛根廟事件満州国興安総省の葛根廟で、非武装の日本人避難民約1,200人がソ連軍戦車部隊の攻撃を受け、1,000人以上が死亡)

【昭和20年】 第8回大阪大空襲 (現在の大阪市で行なわれた米軍機による空襲。国鉄京橋駅で夥しい犠牲が発生した事から京橋空襲ともいわれる。身元が判明しているだけでも、駅内に避難していた210名以上が死亡)

【昭和20年】 宮城事件玉音放送の録音盤を奪取し日本の降伏を阻止しようと企図された、陸軍省勤務の将校と近衛師団参謀が中心となって起こしたクーデター未遂事件。森赳陸軍中将と白石通教陸軍中佐の2名が殺害され、犯人達の一部は自殺もしくは逮捕された)

【昭和55年】 富士山大規模落石事故 (富士山吉田口で落石が発生し、12名が死亡。落石は9合目付近で発生し6合目下まで到達した)

【平成11年】 玄倉川水難事故 (神奈川県足柄上郡山北町で発生した水難事故。大雨で増水した玄倉ダムの放流に、玄倉川の中州でキャンプをしていた会社員達が巻き込まれ、13名が死亡。河川が増水しキャンプ客達が水に流される瞬間までの様子がテレビで中継されたため、世間に大きな衝撃を与えた)

 

◆◆◆ 8月15日 ◆◆◆

【明治19年】 長崎事件 (長崎に来航した清国北洋艦隊の水兵が起こした暴動事件。日清両国に死傷者が出る)

【昭和20年】 熊谷空襲 (埼玉県熊谷市に対して行なわれた米軍機による空襲。大東亜戦争最後の空襲で、埼玉県内に於ける最大規模の空襲。687人が死亡)

【昭和20年】 伊勢崎空襲群馬県伊勢崎市に対して行なわれた米軍機による空襲。熊谷空襲と並ぶ最後の日本本土空襲。29~40人が死亡)

【昭和20年】 小田原空襲 (神奈川県小田原市に対して行なわれた米軍機による空襲。熊谷や伊勢崎を空襲した爆撃機B29が帰路に余った爆弾を投下した、予定計画外の空襲。12~48名が死亡)

【昭和20年】 玉音放送 (日本の降伏がラジオで日本国民に伝えられる。8月16日以後も樺太・千島・満州などでソ連軍との戦闘は一部続くものの、この放送を以て、大東亜戦争は事実上終結。但し国際法上に於ける正式な終戦は、日本政府全権の重光葵外務大臣大本営全権の梅津美治郎参謀総長が、東京湾内に停泊した米海軍戦艦「ミズーリ」艦上で対連合国降伏文書に調印した9月2日。日中戦争の勃発から大東亜戦争終結までの、軍人・軍属・民間人全てを含む日本人戦没者数は約310万人)

 

◆◆◆ 8月17日 ◆◆◆

【昭和24年】 松川事件福島県 松川駅近くの東北本線上で、人為的に一部のレールが外され、ボルトやナットも緩められていた事などから起きた、列車の脱線・転覆事故。乗員3名が死亡。国労の組合員ら20人が容疑者として逮捕され、一審では全員有罪とされ、そのうち5名には死刑判決が下されるが、その後、最高裁での二審判決破棄による仙台高裁での差し戻し審で被告人全員の無罪が確定。真犯人の特定・逮捕には至らず未解決事件となる)

【昭和38年】 みどり丸転沈没事故沖縄本島那覇市泊港から久米島に向けて出航した定期貨客船「みどり丸」が、三角波の荒い難所にて転覆・沈没。228人の乗船者中、死者86人、行方不明者26人の犠牲者が出て、沖縄海難史上最大最悪の事故となる)

【昭和38年】 藤田航空機八丈富士墜落事故 (浅草旅行会一行の団体客を乗せた、八丈島発羽田行の藤田航空機が、八丈富士8合目の雑木林に激突して大破した事故。乗客・乗員19名全員が死亡)

 

◆◆◆ 8月19日 ◆◆◆

【昭和20年】 神州不滅特別攻撃隊散華満州に侵攻してきたソ連軍戦車隊に、日本陸軍10名の青年将校が婚約者の女性2名と共に航空機で特攻自爆。軍の降伏命令に背いてまで特攻した理由としては、居留民の逃避の時間を少しでも稼ぐためと推測されており、特攻に女性を同行させた事については、ソ連兵は占領地で虐殺・暴行・略奪と蛮行を繰り返していた事がその背景にあったと推測されている)

【昭和55年】 新宿西口バス放火事件新宿駅西口バスターミナルで路線バスの車両が放火され、6名が死亡、14名が重軽傷を負う。犯人は無期懲役確定後、服役中に自殺)

 

◆◆◆ 8月20日 ◆◆◆

【昭和20年】 真岡郵便電信局事件ソ連軍による樺太南部への侵攻が進み、真岡局の建物も艦砲射撃を受けて被弾する厳しい状況の中、疎開せず同局で勤務中だった10代から20代前半にかけての日本人女性電話交換手9人が、青酸カリを飲んで自決。真岡局からの最後の通信は「もうみんな死にました。私も乙女のまま清く死にます。皆さん、さようなら」。ソ連兵による爆殺・射殺も含めると、真岡局での殉職者は19人)

 

◆◆◆ 8月21日 ◆◆◆

【昭和20年】 占守島の戦い停戦 (日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦したソ連軍と、ポツダム宣言受諾に伴い武装解除中であった日本軍守備隊との間で勃発した、千島列島東端の占守島での戦闘。日本軍の戦死者は256人。捕虜となった日本兵はその後大勢が法的根拠無く拉致されてシベリアへ抑留)

 

◆◆◆ 8月22日 ◆◆◆

【昭和19年】 対馬丸事件沖縄本島の小学生達を疎開させるため、那覇から長崎へ向かって航行中だった学童疎開船の対馬丸が、米軍の潜水艦による攻撃を受けて撃沈。乗員乗客約1,600人のうち、その93%に当たる1,418人が死亡。そのうち学童の死者は784人。対馬丸に乗船した学童は800人だったので、乗船した学童の98%もが死亡した事になる)

【昭和20年】 三船殉難事件樺太からの引揚者を乗せた3隻の緊急疎開船「小笠原丸」「第二号新興丸」「泰東丸」が、北海道の留萌沖で相次いでソ連軍の潜水艦による攻撃を受けて沈没もしくは大破。ソ連軍の潜水艦は、魚雷攻撃で船を沈没させた後も攻撃を止めず、海中から海面に浮上した上で、海上の漂流者達を無差別に機銃掃射。1,700人以上が死亡)

【昭和20年】 肥薩線列車退行事故肥薩線の山神第二トンネル内で発生した乗客轢死事故。列車先頭の機関車がトンネルを出た直後に勾配を登り切れず停車したため、牽引されていた客車の大部分と列車最後尾の機関車は排煙の充満するトンネル内に取り残され、そのため乗客達は排煙を逃れようと客車から線路に降りてトンネル内を歩き始めたところ、同じように排煙から逃れようとブレーキを緩めて後退してきた列車が、次々と線路上の乗客を轢き、53名が死亡)

 

◆◆◆ 8月23日 ◆◆◆

【昭和23年】 万代橋事件 (現在の新潟市中央区信濃川に架かる萬代橋で発生した、花火大会の見物客が殺到した事により欄干が崩落した事故。約100人の観衆が信濃川に転落し、11名が死亡)

 

◆◆◆ 8月24日 ◆◆◆

【昭和2年】 美保関事件島根県美保関沖での徹夜の夜間無灯火演習中に発生した、日本海軍艦艇同士の多重衝突事故。軽巡洋艦「神通」と駆逐艦「蕨」の衝突により92名が死亡し、その衝突と連動して起こった軽巡洋艦「那珂」と駆逐艦「葦」の衝突により更に28名が死亡。事故後、当時の「神通」艦長は海軍省法務局により業務上過失・艦船覆没・業務上過失致死罪で起訴されたが、判決前日に自宅にて自決)

【昭和13年】 大森民間機空中衝突墜落事故 (日本で初めて発生した民間航空機同士による空中衝突事故。現在の東京都大田区大森南の市街地に、衝突した2機の航空機が墜落し、その2機の乗員5人全員と地元住民45人の、計50人が死亡)

【昭和17年】 第二次ソロモン海戦が始まるソロモン諸島の北で戦われた日本軍と米軍との間の海戦。日本海軍は空母1隻を喪失し敗北)

 

◆◆◆ 8月25日 ◆◆◆

【昭和20年】 樺太の戦い停戦 (対日参戦したソ連軍による樺太南部への侵攻に伴う日ソの戦闘。日本軍の戦死者は700~2,000人、日本人民間の死者は3,500~3,700人)

【平成18年】 福岡海の中道大橋飲酒運転事故博多湾に架かる海の中道大橋を走っていた会社員の車が、飲酒運転をしていた当時福岡市職員の男の車に追突されて橋下の海に転落し、会社員の車に同乗していた3児が死亡した事故。主犯の加害者に対しては、危険運転致死傷罪道路交通法違反を併合した懲役20年の刑が最高裁にて確定。この事件を契機に、飲酒運転関連事件・事故などが大きな社会問題となり、飲酒運転とひき逃げの罰則が大幅に強化される事になった)

 

◆◆◆ 8月26日 ◆◆◆

【昭和42年】 羽越豪雨 (主に山形県新潟県下越地方を中心に被害が発生した集中豪雨。広い範囲で河川の氾濫や土砂災害が起こり、死者・行方不明者42人、重軽傷者275人、住宅全半壊313棟、床上・床下浸水約6,000棟という大きな被害が出た)

 

◆◆◆ 8月29日 ◆◆◆

【大正3年】 静岡県に台風被害静岡市の死者45人。家屋の全半壊約1,000戸)

 

◆◆◆ 8月30日 ◆◆◆

【昭和49年】 三菱重工爆破事件東アジア反日武装戦線「狼」による、三菱重工業東京本社ビルで行われた無差別爆弾テロ事件。8人が死亡、376人が負傷。犯人の一部は現在も国際指名手配中。この事件が契機となって犯罪被害者に対する補償制度の確立を求める声が高まり、後に犯罪被害者等給付金の支給等に関する法律が成立)

 

◆◆◆ 8月31日 ◆◆◆

【明治29年】 陸羽地震秋田県岩手県の県境にある真昼山地の直下で発生した逆断層型の内陸直下型地震震源地付近で震度6、一部では震度7の揺れがあったと推定されており、210人が死亡)

 

 

西野神社 祖霊殿 (人形供養仕様)
祖霊殿(御霊璽奉安場所)

※ 上の写真は、西野神社の祖霊殿竣工直後に祖霊殿にて写されたもので、写真中央の御霊璽(ごれいじ)はまだ遷霊をしていない、未使用のものです。

 

文責:西野神社権禰宜 田頭

「日本全国ねこの御朱印&お守りめぐり」という本で当社が紹介されました

地球の歩き方」シリーズの新刊として今月発売されたばかりの書籍「日本全国ねこの御朱印&お守りめぐり ~週末開運にゃんさんぽ~」では、猫と何らかの関わりがある全国各地の神社仏閣・82社寺が紹介されているのですが、当社も、猫のお守りやキティちゃんの授与品などを頒布している事からその82社寺のうちの1社として紹介されました。

書籍「日本全国ねこの御朱印&お守りめぐり」 表紙

 

下の画像は、本書の目次で、その82社寺の一覧が掲載されております。画像をクリックすると拡大表示されますので、是非拡大の上 御確認下さい。当社は、北海道内の社寺としては唯一の掲載でした。

 

下の画像は、日光東照宮と当社の2社が紹介されているページです。こちらも、このままでは小さくてほとんど何も判別出来ないと思いますので、是非クリックして拡大の上 御覧下さい。

 

下の写真は、本書には掲載されていない授与品ですが当社で頒布している「招き猫」各種です。猫のお好きな方は、宜しければこちらの招き猫もお受け下さい。ちなみに、初穂料は各500円です。

招き猫 (西野神社 授与品)

 

文責:西野神社権禰宜 田頭