西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

拍手(かしわで)

拍手

先日、文月会の会員(札幌支部管内の若手の神職)たちで焼き肉を食べに行ったとき、ある神社の宮司さんが言っていたのですが、最近神社に来られる女性の参拝者の中には、柏手を打たないで参拝される方がいるそうです。

神職が「二礼二拍手一礼(にれい・にはくしゅ・いちれい/2回お辞儀して2回拍手して最後にもう一回お辞儀をする)が神社での正式な参拝の作法なのですよ」と言っても、テレビや本などで有名な某占星術家の名前を挙げ、「H先生が、神社で女性が拍手するのは間違いだと言っていました」と言い、御神前での柏手を拒むのだそうです。

その“H先生”は、テレビなどで「女性は神社では柏手を打ってはいけない」と言っているのだそうです(しかし男性は拍手しても構わないそうです)。幸い、当社ではまだそういった女性の参拝者は見かけておりませんが、最近はその“H先生”の発言の影響により、「神社側がいう二礼二拍手一礼は間違った作法で、神社では拍手をしないのが正しい作法」と誤解している方がいるようなのです。

改めて言いますが、神社での正式な拝礼作法は「二礼二拍手一礼」です。神職が行う拝礼は「再拝二拍手一拝」という、より丁寧な拝礼ですが(拝の方がより深いお辞儀です)、礼にしろ拝にしろ、2回頭を下げてから2回拍手をし最後にもう1回頭を下げる、というのが正しい作法です。一部の神社では、一社の故実により必ずしもこの拝礼作法を採ってはいない所もありますが(伊勢の神宮の八度拝・八開手、出雲大社宇佐神宮弥彦神社の四拍手など)、拍手の回数は違っていても、拍手をするということ自体は全国どこの神社でも変わりはありません。

歴史的にも、拍手は古くから日本独自の拝礼作法として、神様や貴人を敬い拝むときに用いられてきました。拍手は賞賛や喜びを表す万国共通の表現ですが、その拍手が神様への拝礼作法に取り入れられたのは日本だけで、神道における拍手とは、人間がごく普通に表す拍手という表現を儀礼にまで高めたものなのです。ですから、日本の神様は単に怖れ畏む対象ではなく、喜びをともにする非常に親しい存在でもあるといえるのです。

拍手の歴史は古く、古代には朝儀にも拍手を行い、饗膳に手を打つ礼手(らいしゅ)の作法もあったそうで、その際の食器に柏の葉を用いたことからカシワ手と称したとも云われています。中国で記された、三世紀頃の日本の様子を伝える歴史書魏志倭人伝」の中には、「大人の敬するところをみると、ただ手を打って跪拝(ひざまずき配する)のかわりにする」と記されている箇所が有り、このことからも、当時の日本では拍手が神にひざまずき神を拝する行為とされていた様子が窺えます。

日本の正史である「日本書紀」の第四十一代・高天原広野姫(持統)天皇の四年春正月の条にも、天皇の即位の時、公卿や百寮たちが列をなし、歓喜喝采して拍手をしている様子が記されています。天武・持統両帝はともに「神にし坐せば(神でいらっしゃる)」と称えられた天皇ですから、拍手は当然の作法であったのでしょう。

また拍手には、喜びや賞賛、神様や貴人を敬い拝む、という意味以外にも、和合の意味もあるといわれています。片手をどんなに勢いよく振ってみたところで音を鳴らすことはできず、掌を鳴らすためには必ず両手が必要であり、ここに、拍手の根本的な精神があり、柏手を打つことの意味が含まれているという考え方です。柏手を打つことは、和合の証でもあるのです。

以上のことからも、拍手は古来からの伝統的な拝礼作法であると同時に、日本人の敬虔な心を示す作法であり、また、日本人の礼節のシンボルともいえます。御神前において整然と打ち鳴らす拍手は、はたから見ても清々しく、御神前の雰囲気に相応しいものです。ですから、占い師、霊能者、拝み屋さん、その他一部の宗教家たちが何と言おうと、神社の御神前では(勿論性別に関係なく)柏手を打つのが、歴史的にも儀礼的にも正しい作法であり、それをしない作法こそが、神社神道においては誤った作法なのです。

ちなみに、一口に「拍手」といっても、全ての場合においてただ両手を合わせて「パン」と音を打ち鳴らせばいいというものではなく、拍手には、直会(なおらい)で酒盃を受けるときに手を打つ「礼手」、多人数が一斉に手を打つ「連拍手」、二人の拍手を定めに合わせて打つ「合拍手」、神葬祭のときに音をたてずに打つ「忍手」など様々な種類があり、実際にはその場に応じて使い分ける必要があります。とはいっても、一般の参拝者の方は、通常(葬儀以外)はただ両手を合わせてパンパンと2回音を打ち鳴らすだけの拍手で構わないでしょう。

(田頭)