西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

禊の意義と効果

鳥船行事

昨日の昼頃、9月に当社境内にて実施する予定の禊(みそぎ)について宮司と話し合い、その結果、この「禊祓行事」は9月10日(日曜日)の午前8時から実施することになりました。実施日時が決定したので、早速昨日の昼過ぎには「禊祓行事の御案内」(禊の参加者募集の告知)を Word で作成し、印刷しました。この案内は試作版なのでまだ数部しか印刷していませんが、近日中には大量に印刷し、総代さんや神力会の会員さんたちに発送させていただきます。

ところで、この「禊祓行事の御案内」に掲載するため、禊の意義や効果などをまとめた文章を作成したのですが、紙面の都合上、「禊祓行事の御案内」にはそのなかの一部の文章しか載せられませんでした。しかしせっかく作成した文章なので、今回はその文章をほぼ全文、以下に転載させていただくことで、禊の意義と効果の解説とさせていただきます。

禊とは、清浄を尊び清々しさを求める神道思想の修行の実践であり、具体的には、男性は白鉢巻と白フンドシを、女性は白鉢巻と白衣・白下ばき等を身につけ、肩から水を被る、もしくは肩や胸まで水に浸かることで、身体を濯ぎ清めて身に付いた凶事や罪穢れを除去する行法です。

禊は、神事に先立つ斎戒としても実践され、民俗学者折口信夫は禊について「神事に当る為の用意として、予め、心身を清めておくことである。家でも身体でも、神に接する為の資格を得る方法である。吉事をまつため、迎ふる為の行事は、禊である」と述べています。

禊の神話的起源は、伊邪那岐命イザナギノミコト)が死者の国である黄泉国から帰ってきたときに、死者の国の穢れを祓うために筑紫日向橘小戸の阿波岐原で禊祓を行ったことにあるとされています。天照大神須佐之男命、月読命の三柱の神様は、この禊により生まれた神様です。

禊の作法や次第にもいくつかの形があるようですが、現在神社本庁が採用している禊の行法は、明治から昭和初期にかけて活躍した神道家・川面凡児(かわつらぼんじ)によって復興・整備されたものが元になっております。昭和になってから、川面凡児のその行法を大政翼賛会が国民運動として取り入れ、それがさらに改編されて、現在の形になりました。この行法では、水を被る、もしくは浸かる前に、参加者たちは鳥船(とりふね)行事、雄建(をたけび)行事、雄詰(をころび)行事、気吹(いぶき)行事といわれる所作を行うことになっており、禊は必ず、これらの行事とセットで行われます。

鳥船行事というのは、道彦(みちひこ)と呼ばれる代表先導者と、その道彦の補助である助彦(すけひこ)の先導により、大発声をしながら船を漕ぐ所作をすることで、定められた作法と言霊と呼吸法により心身と霊魂を浄化統一する所作であり、冷水に浸かる前の準備運動としての性格も併せ持っています。

そして鳥船行事を行った後は、雄建行事、雄詰行事、気吹行事という所作を順番に行います。雄建とは、神我一体の真我となる秘法、雄詰とは、神威を如実に顕すところの「神叫び」、気吹とは、日本民族独特の「神の呼吸法」です。

これら一連の所作(鳥船、雄建、雄詰、気吹)を終えてから、実際に水で身体を濯ぎ清めるわけですが、この濯ぎ清めるという所作もその場・状況に合わせて様々な形があり、一般的には、井戸・水槽・容器などの中に貯まった水を桶ですくって肩から被る、もしくは、海・河川・湖・池などに入り肩もしくは胸まで水に浸かる、あるいは、滝に入り頭もしくは肩から水に打たれる、とった形で執り行われます。

なお、明治時代の海軍軍医で、慈恵医大創始者である高木兼寛によると、禊には、罪穢れや災厄が祓われるという本来の宗教的効果とは別に、次に挙げる3点の肉体的な効用があるそうです。①寒さに対抗して赤血球が増え酸素(熱量)が増大し寒さに強くなる②体表血管が拡張し血流が盛んになり活性化する③血液の濃度に変化がみられるようになり内臓諸器官に抵抗力がつく

また、高木兼寛は禊の精神的効用としては、次の4点を挙げています。①間違った生活から救われ、難病が癒えて、健康長寿となる②妄見を脱することができる③三世一貫、顕幽一体の安心立命に立つことがきる④祖先や先人を浄化し、神化し、永遠の生命に生きるようになる

このように、禊は実践することにより、肉体的・精神的に様々な効果が得られます。ただし、既に述べましたように禊には定められた作法や所作があり、ただ闇雲に水を被ればいい、というものではありません。神道であろうと仏教であろうと、あるいは修験道であろうと、宗教における行法を実践するに当たって最も重要なのは心構えであり、作法などの“形”は、行法本来の意味からいえば副次的なものといえますが、しかし形式が人間の精神生活を規定する力を持っていることも無視できない事実であり、それ故、宗教における行法は、幾多の変遷を経ながらも先人たちにより定められた形式を踏襲し、実践することに、大きな意味があるのです。

勿論、形を重視するあまり、精神が疎かになってしまっては、それこそ本末転倒です。信なき禊はただの水浴びに過ぎず、禊は、身体の禊であるとともに心の禊であることも忘れてはいけません。

ちなみに、今回貼付の写真は、昨年8月に文月会の事業(教養研修会)の一環として石狩浜(石狩市内)で禊を行ったとき(昨年8月3日付の記事参照)に撮った鳥船行事の様子です。

(田頭)