西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

4〜6月の宮中祭祀

宮中祭祀(皇室祭祀)とは、皇居内に鎮座される宮中三殿賢所皇霊殿、神殿)や神嘉殿、あるいは山陵(天皇太皇太后太后皇后の山陵、御陵、皇族方の陵墓)において、天皇陛下が御先祖や神々に深謝され、国家の安泰、国民の福祉、世界の平和などを祈念される一連の祭祀の総称です。

今年1月13日付の記事では1月の宮中祭祀について、同2月1日付の記事では2月から3月にかけての宮中祭祀についてまとめさせて戴いたので、今回はその続きとして、4〜5月にかけての宮中祭祀をまとめてみようかなと思っていたのですが、改めて調べてみると、4月3日の神武天皇祭を除くと4月から5月にかけては特筆すべき宮中祭祀がないため、今回は、4〜6月までの3ヵ月分の宮中祭祀を一気にまとめさせて戴くことにします。


【4月3日】神武天皇祭

初代天皇であられる神武天皇崩御相当日に皇霊殿にて執り行われる祭典(大祭)で、夜には御神楽も奏々されます。また、神武天皇の陵所である畝傍山東北陵奈良県橿原市)においても祭典が執り行われます。歴代天皇の祭祀は原則として今上天皇の前4代以外の天皇については式年にのみ祭祀が行なわれるのですが、神武天皇は初代天皇であることから別格とされて毎年祭典が行われます。

日本書紀の「天武天皇元年七月」の条によると、天武天皇の時代に、神武天皇陵に使者を遣わして祭り拝せしめられていた様子が記述されており、実際、律令体制下では山陵には毎年歳末にが奉られることとされていました。しかし現実には、奉幣は近陵近墓にのみ行われていたようで、天智天皇の山科陵は格別に崇敬され奉幣されてきたものの神武天皇畝傍山東北陵は廃れてしまい、その所在地も分からなくなっていました。

江戸時代、徳川綱吉の時代と天保年間に山陵の修理が行われ、幕末期の嘉永6年12月には、孝明天皇畝傍山東北陵修理のことを幕府に諭され、文久3年2月、畝傍山東北陵修造奉告のため勅使が発遣され、同月、孝明天皇畝傍山東北陵を四方拝の儀に準じて東庭庭上に設けられた御座より御遙拝なされました。更に元治元年3月11日には、孝明天皇は清涼殿出御し御遙拝、山陵に勅使を発遣し奉幣せしめられ、以後は毎年、神武天皇崩御相当日の3月11日に山陵に勅使発遣奉幣を例とすることを定めました。

これを受けて、明治天皇は慶応4年3月8日に奉幣使を発遣し紫辰殿より御拝され、同11日に奉幣使が陵前にて奉幣し宣命を奏しました。明治5年の改暦の後は、太陽暦に換算され4月3日が神武天皇祭とされ、以後は毎年その日に行なわれています。


【6月16日】香淳皇后例祭

昭和天皇の皇后であられた香淳皇后崩御相当日に皇霊殿にて執り行われる祭典(小祭)で、香淳皇后の陵所である武蔵野東陵においても祭典が執り行われます。香淳皇后は平成12年6月に崩御され、翌13年6月に皇霊殿に霊代奉遷の儀が行われたため、この祭典は平成14年6月から行われています。


【6月30日】節折

天皇陛下のための祓い行事です。平安時代初期より行われていたのですが中世以降は廃れてしまい、明治4年6月に、次項で述べる「大祓」の儀とともに再興されました。

この行事では、侍従が、御小直衣を召されて出御された天皇陛下の御後に立って細竹で御背丈を計り、その竹に筆で墨印を付けます。そしてその細竹は侍従から掌典掌典から掌典補へと下げ送られ、掌典補はその墨印の箇所で細竹を折ります。同様に、天皇陛下の左右御肩から御足まで、左右御胸から御指先まで、左右御腰から御足まで、左右御膝から御足までを細竹で順次計らせて戴き、その度に墨印を付けられた細竹が送り下げられ、掌典補は墨印の箇所でそれを折り、それらを櫃に収めます。

そして櫃に収められた御竹は、大祓の祓物とともに海に流されます。この行事が復興された当初は、濱離宮まで捧持し、そこから乗船して海に流していたそうですが、戦後は地形が変化したことなどから、現在では別の場所で流しているそうです。


【6月30日】大祓

神嘉殿前庭にて、皇族をはじめ国民のために行われる祓いの行事です。大祓の行事は、「夏越の祓い」として全国の神社でも執り行われています(神社での大祓の行事については、一昨年6月30日昨年6月30日の記事を御参照下さい)。

定期的に国家全体を祓うことは天武天皇の時代より行われていましたが、宮中では応仁の乱により中絶し(但し伊勢の神宮では絶えることなく厳修されてきました)、明治4年、前項で述べた「節折」とともに再興されました。

再興当初は賢所前庭で行われていたそうですが、昭和13年に宮中三殿賢所皇霊殿、神殿)御修理のため神嘉殿前庭で行われるようになってからは、修理が終わって以降も毎年神嘉殿前庭で斎行されるようになりました。


(田頭)