西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

合葬

合葬

昨年3月29日付の記事「漫画で読む神社の内情」では2点の漫画を紹介させて頂きましたが、今日はそれ以来となる、久々の漫画紹介です。とはいっても、今日紹介する漫画は神社関係の漫画ではありません。

慶応4年の今日(5月15日)は、江戸(現在の上野公園一帯)で旧幕府軍(というよりそれを支持する人たち)により構成されたと彰義隊と、薩長を中心とした新政府軍との間で「上野戦争」の戦端が開かれた日であり、今日はこれに因んで、上野戦争を題材とした漫画を紹介させて頂きます。杉浦日向子さん(漫画家・江戸風俗研究家)によって著された「合葬」という作品(日本漫画協会賞優秀賞受賞作)です。

同作品では、3人の少年達の視点から、慶応4年4月11日の江戸城開城から上野戦争直後までの約一ヶ月間を描いており、武士としての面子と名誉を賭けて自らの意思で戦う事を決意した少年達や、たまたま陣中へ戻ったばかりに官軍の包囲下に閉ざされてしまい戦わざるを得なくなってしまった少年が、僅か6時間の「上野戦争」で、士道を示す事も名を残す事も出来ず薩長軍の銃撃により次々と絶命する、あるいは仲間同士で介錯し合う(しかし初体験の上に動揺も加わり満足な介錯は稀)という現実を美化する事なく淡々と描いており、その衝撃とストイックな描写が、かえって上野戦争の悲劇を際立たせており、思わず目頭が熱くなってしまいます。

なお、通販サイト「アマゾン」に掲載されている読者からのカスタマーレビュー(書評)では、この「合葬」は以下のように紹介されています。

明治維新期、幕府の解体に反対し上野戦争を戦った彰義隊の若きメンバーたちの姿を、独特の視点で描いた長編漫画。江戸から明治へ時代が大きく変ったときの、旧勢力幕軍と新勢力薩長の官軍のぶつかり合いをモチーフとしつつも、この作品で描かれているのは時代の奔流に飲まれながれも、それぞれに生き方を選択していく若者一人ひとりの生き様であり感情です。時代の大きな流れを読み違えてしまった、もしくは読み違えていると悟っていながらなお古く滅び行くものへの愛惜を捨てきれない、そんな悲劇が、この作品には込められています。判官贔屓と言いますが、負けた側に肩入れしてしまう日本的感覚は今も昔も変らないようです。そんな意識が、去り行く江戸の風俗と、それに身も心も捧げてしまった若者たちの合葬というタイトルにつながったのでしょう。

3人の異なる個性を持つ少年達が時代のうねりに翻弄されていく様がさらりとした画風の中に描かれていきます。(中略)確かに生きた、思った、感じた、そういった人間の生きた証しを思い起こさせる作品です。作中で少年の一人がする羽化したての蝉の話。夢を見ているようだったという台詞に凝縮された深い戸惑いや苦悩。いまも世界のどこかでこの3人の様な少年達が生き、そして死にあるいは生き残っているに違いありません。たまらなく切なく、そしてこれが私達の命の歴史の中にくっきりと刻まれていることを思い起こさせてくれます。作者が20代の頃の作品、というのは驚きとともに、なるほどと納得もさせられる、秀作です。

読み終わったとき、衝撃を受けた。幕末に生きた少年たちが凄く身近に感じられていて、それ故にラストは打ちのめされたような衝撃を受けて、しばし放心してしまった。この人の作品は自分の生きている時代ではないのになんて実体験のように感じられるのだろう。

闘いが人対人だった時代。この手で振り下ろした刀で相手の肉体を切り裂き、太刀を突き刺し相手の命を奪う。その哀しみと人生が見事に描かれている。

彰義隊の物語は会津藩の行末と共に、近代化へシフトしてゆく日本の悲話として有名だが、彼等の微妙なポジションやその中で揺れ動く若い士族達の心情が実に良く、しかも劇画チックな過剰さを排して描きだされている。凡百の歴史小説やドラマ・映画など足元にも及ばないほど、完成度の高さにまづ驚かされる。

彰義隊について知っている事といったら官軍相手に戦って敗走した旧幕残党くらいにしか思ってなかったんですが、戦って死んで行った隊員たちがまだ子供々々した旗本の子弟だと言う事に目を開かれました。結びにぽつんと置かれた「長崎より」が本編で死んで行った子供、青年達への哀悼の念を募らせます。

「合葬」は、長編とはいえ全1巻の漫画なので、すぐに読み終える事ができます。未読の方は一度読まれてみる事をお勧めします。ちなみに、貼付の写真は文庫版「合葬」(ちくま文庫)の表紙です。

(田頭)