西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

お盆

奥津城

昨日から「お盆」です。よく知られているように、「お盆」とは7月(もしくは8月)の15日を中心に行われる祖先の霊を迎える一連の行事の事で、私達日本人にとっては正月と並んで最も重要な年中行事といえます。

東京など都心部では7月13〜16日にかけてが「お盆」とされているようですが、全国的には、丸一ヶ月遅れの8月13〜16日にかけてが「お盆」とされている事が多く(つまり全国的には「月遅れお盆」が一般的なのです)、北海道においても、8月13日(昨日)が迎え火(故人が家に帰ってくる日)で16日が送り火(故人をあの世に送り返す日)とされており、8月13日〜16日までの4日間が「お盆」とされてます。

お盆といえば、お墓参りの時期です。札幌市南区の「藤野聖山園」の園内には、亡くなった後に無縁となってしまうかもしれない方や永代に亘り神道式での祭祀執行を希望される方のために、当社が平成14年に建立した奥津城(おくつき/神道式のお墓)があるのですが、数日前には、その奥津城(写真参照)と周辺を清掃しに行ってきました。奥津城に鎮まる故人の御霊が和やかであるように、またお参りに来られた方が清々しい気持ちで参拝できるように、お盆の時期に入る少し前に奥津城を綺麗に清掃する事も当社にとっては毎年の恒例行事です。

そして昨日は、家族と一緒に、市内豊平区の某霊園にある、私の家の御先祖様の奥津城(ウチのお墓も神道式のお墓です)をお参りに行ってきました。夕方の4時過ぎに行ったのですが、普段は閑散としている霊園の中にはまだかなりの数の参拝者がおり、この時期が「お盆」という、私達日本人にとっては特別な意味を持つ時期である事を強く実感させられました。

ちなみに、神葬祭の時、遷霊の儀(せんれいのぎ)に於いて亡骸から霊璽(れいじ)に遷霊を行っているので、亡骸や遺骨はただの抜け殻であり、そうなると当然お墓も霊的にはカラッポである、という解釈をしている神職もいると聞き及んでいますが、当社ではそのような解釈は認めておりません。私個人としても、霊璽が重要な事は言うまでもないですが、遺骨やお墓も、同様に重き存在と認識しています。

ところで、「お盆」という言葉は、諸説があるものの一般には「孟蘭盆会」(うらぼんえ)という仏教用語(苦しみから救うための行事の事)の略であるとする説が有力です。その孟蘭盆会の典拠は、中国の古い経典「孟蘭盆経」とされており、そしてその孟蘭盆経には、以下のようなエピソードが記されています。

釈迦の弟子に目連(もくれん)という僧侶がいたのですが、その目連の母は、死んでから餓鬼道(飢えに苦しむ地獄)に落ちてしまいました。餓鬼道で痩せ衰えた母の姿を見た目連はとても悲しみ、釈迦に母を救う方法を尋ねました。すると釈迦は、「母の生前の罪が重いのでお前一人ではどうしようもない。夏安居(夏に一定期間僧が室内に籠もって行う修行)の最後の日の7月15日に、七代の父母を救うため数々の珍味を十万人の僧に供えて協力を頼むと良い。そして僧達は、七代の父母の成仏を祈った後にその食物を食べるが良い」と答えました。釈迦の言う通りにして、目連はようやく母を救う事ができました。

釈迦の教えに従い7月15日に手厚く母親の供養をした所、母親は救われて極楽浄土に行く事ができた、というこのエピソードが中国の孟蘭盆会の起源とされており、その中国の孟蘭盆会が、仏教の伝来と共に日本にも伝わったのです。そのため日本の仏教では、お盆とは、「あの世で非常な苦しみを受けている死者を供養して救う仏教行事」と解しています。

もっとも、そうはいっても大抵の人達は、自分の御先祖様は穏やかにあの世で暮らしていて、お盆の時だけあの世から子孫である自分達に会いに来る、と思っているはずで、自分達の御先祖様が地獄で責苦を負っているとは普通考えていないと思いますが、主に関東から中部にかけての地域で7月1日を釜蓋朔日(かまぶたついたち)とか、釜蓋あき(かまぶたあき)などと称しこの日をお盆の始まりとしているのは、祖先の霊が地獄で苦しんでいると解している一つの証といえます。なぜなら、ここでいう釜蓋とは“地獄の釜のふた”の事であり、この日は地獄の釜のふたが開いて故人の霊が地獄からこの世に出て来ると考えられているからです。そのため、この日に畑に行って地面に耳を付けると、地獄の釜のふたが開く音がするとか、亡霊の叫び声が聞こえるなどとも云われています。

しかし実際には、お盆には、仏教の教義だけではどうしても説明できない部分が数多くあるのも確かです。例えば、遺族達が追善供養をしたにも拘わらず故人の霊が極楽へ行けずに地獄へと落ちてしまうのであれば追善供養の意味はないのではないか、あるいは、もし故人の霊が極楽浄土へ行ったのであれば、なぜ成仏したはずの死者の霊がお盆の度毎にこの世に帰ってくるのか、そもそも仏教は、お経の功徳によって死者が必ず極楽に行く事を請け負っておきながら、なぜ毎年この世に戻ってきてお経を読んで貰わないと死者が浮かばれないように思わせるのか、などです。なぜこういった矛盾が生じるのかというと、それはつまり、お盆というのは実は純粋な仏教行事ではないからなのです。

そもそも日本には、仏教が伝来する以前から固有の信仰(神道)に基く、今のお盆に相当する民俗行事として「祖霊祭」があり、中国から伝来した孟蘭盆会は、仏教伝来前から日本にあったこういった民俗行事と習合して、やがて仏教的な色彩を帯びるようになり(仏教の民俗化)、現在の形になっていったのです。

民俗学者折口信夫によると、一年の中で「麦の秋」(畑作)と「稲の秋」(稲作)の二度の収穫を経験することによって、古代の日本人は一年を二つに分けて考えるようになり、この意識が、後に伝来した仏教の孟蘭盆会と結び付いて現在の形のお盆になったとしています。つまり、昔の日本では一年を二つの季節に分けて考えており、その考え方からいうと二番目の季節の始まりがお盆なのです。

新しい季節の始まりに当たって祖先の霊を迎えて祀る「祖霊祭」が、日本古来の本来のお盆であり、正月と同じようにお盆とは本来、おめでたい行事だったのです。現在でもおめでたい事が重なって忙しい時の形容として「盆と正月が一緒に来たようだ」と言われるのも、こういった事情を知っているとよく理解できます。しかし、このおめでたい祖霊祭に仏教の孟蘭盆会が習合する事により、「祖先の霊を迎えて家族が健康でお盆を迎えられた事を祝う」という行事から、次第に「死んだ人の霊を供養する」という湿っぽく物寂しい行事へとなっていったのです。

ところで、冒頭で述べましたように本来は7月がお盆とされているにも拘らず、現在では、ほとんどの地域で丸一ヶ月遅れて8月の丁度今時にお盆が行われています。その明確な理由は不明ですが、一般には、都市部と地方で同時にお盆を迎えると親戚・知己などの縁者が一同に集まれないからとか、江戸時代からの「薮入り」の風習(お正月とお盆に奉公人が実家に帰る風習)などから、などと云われています。

日にち(お盆の期間)も地方によって多少ずれている事がありますが、必ず15日を含む、というのは変わりなく、これは、7月、8月のどちらがお盆で適しているか、という事よりも、15日という日にち(旧暦のお盆の15日は満月の日)へのこだわりの方が強かった事によるのでしょう。ちなみに、最近は関東でも8月にお盆が行われる事が増えてきているそうです。

ちなみに、「お彼岸」も仏教に由来する仏教行事と思っている人が多いようですが(確かに「彼岸」とは仏教用語で向こう岸という意味なのですが)、一昨年9月20日付の記事「彼岸入り」でも説明させて頂いたように、お彼岸は完全に日本独自の行事であり、仏教発祥の地であるインドや、仏教が日本に伝来する過程で経由してきた中国や韓国などでは、お彼岸もしくはそれに相当する行事は行われていません。

(田頭)

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