西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

祝詞(のりと)

明日、某病院の解体祓い(解体奉告祭)で斎主として御奉仕させて頂くため、昨日の午後は神社で病院解体祓いの祝詞を書いていました。もっとも、宮司が以前書いた、別の病院の解体祓いの祝詞を参考にして書かせて頂いたため、実際にはその祝詞をほとんど写しただけなのですが…。今日は、祝詞とはどういったものなのか、その概説についてお話をさせて頂こうと思います。


◆祝詞と言霊

祝詞とは、(実際にはこの定義の枠には収まらない祝詞もあるのですが)簡単に言うと、祭典に奉仕する者(大抵は神職)が神様に対してその祭祀の意義と目的とを奏上する言葉、もしくは、祭祀の場に参集した人々に対して宜(の)り下される神様の言葉の事です。特に私達神職にとって、祝詞は御祈祷や祭典の度に奏上する、日々の社務と密接に関わっている馴染みの深いものであり、祝詞を奏上しない神職祝詞を奏上できない神職祝詞を奏上した事のない神職というのは有り得ません。

万葉集で「言霊の幸はふ国」「言霊の佑くる国」などと述べられているように、また、昨年8月26日付の記事「神職と霊能力」でも書かせて頂いたように、日本では古来より、言葉には神秘的・霊的な力が宿っていてその言葉を口に出す事で言葉に宿っている霊力が発動される、という言霊(ことだま)に対する信仰が見られました。祝詞には、忌み嫌われる言葉や呪詛の言葉を述べると災禍が起こり、逆に祝福の言葉を述べると幸福が訪れる、という、こうした言霊に対する信仰がその根底にあり、それ故、祝詞は一字一句に流麗で荘重な言い回しを用いて、間違える事のないよう慎重に奏上されるのです。


◆祝詞の起源

祝詞の起源は古く、古事記日本書紀に於いては、天の岩戸の段で、天照大御神が天の岩戸にお隠れになった時に天児屋命(あめのこやねのみこと)が布刀詔戸言(ふとのりとごと)を奏上されたという記述や、大国主命の国譲りの段で、神聖な火を切り出して神饌を調理して神様にお奉りする時に寿詞を奏上したといった記述が見られます。

また、平安時代中期に施行された律・令・格の施行細則を集成した法典「延喜式」の巻八には、朝廷の祭儀に関わる二十七編の祝詞が収録されており、これは現存する最古の祝詞として、そして現代の祝詞の規範として、現在でもとても重視されています。この二十七編の祝詞は俗に「延喜式祝詞」と称されているのですが、延喜式祝詞は、明治維新期から終戦時にかけて式部寮や内務省が制定した「官國幣社以下神社祭式」に示された祝詞例文や、戦後、神社本庁庁規によって示された祝詞例文などのベースにもなっており、これらの近現代の祝詞例文は、いずれも延喜式祝詞に部分的に現代的表現を採り入れて作成されたものなのです。


◆祝詞の種類

祝詞には、そこに参集した人々に対して宜(の)り聞かせる、文末が「宜る」もしくは「宜たまふ」という語で終わる宣命体という形式の祝詞と、神様に対して「恐(かしこ)み恐みも白(まを)す」と申し上げる、文末が「白す」という語で終わる奏上体という形式の祝詞がありますが、現代の祝詞の大半は奏上体です。古来は、朝廷に於ける公的な性格を有する祭祀の祝詞には宣命体が多く、天皇の私的な性格を有する祭祀の祝詞には奏上体が多かったようです。また、宣命体・奏上体という形式とは別に、祝詞は以下のようにも分類されています(これが現実的な祝詞の分類法といえるかもしれません)。

【祝詞】 ここでいう祝詞とは、一般的に使われている「総称としての祝詞」の意ではなく、「狭義の意味としての祝詞」の事で、神饌やその他の供神物を奉り神祇を祭る時に奏上する詞の事をいいます。通常の祭典(恒例祭祀)、社殿での御祈祷、外祭などで奏上する祝詞の多くはこれに該当します。

【拝詞】 祭典を行わず、ただ神祇を拝する時に奏上する詞です。神社本庁及び各神社が一般の参拝者向けに配布している蛇腹状の祝詞「神拝詞」に掲載されている神社拝詞、神棚拝詞、祖霊拝詞などはこれに該当します。前項で述べた「狭義の祝詞」は、現実には神職でなければ奏上する機会はまずほとんどありませんが、それに対して拝詞は、一般の方でも(信心深い方や熱心な方であれば)神社や神棚の前で奏上する事が多々あります。ちなみに、神職でも、例えば神社庁の庁舎内神殿で行なわれる研修会時における朝拝行事もしくは夕拝行事などでは、参列者全員で神社拝詞を奏上します。

【遥拝詞】 拝詞のうち、特に遠隔の神祇を遥かに拝する時に奏上する詞です。神社本庁包括下の全ての神社が本宗と仰ぐ伊勢の神宮に対して各神社で奏上される祝詞はこれに該当します。ちなみに、「神拝詞」に掲載されている神社拝詞の冒頭部分『掛けまくも畏き○○神社の大前を拝み奉りて恐み恐みも白さく』を、『度会(わたらい)の宇治の五十鈴(いすず)の川上の下つ磐根(いわね)に大宮柱太敷(おおみやばしらふとし)き立て高天原(たかまのはら)に千木高知(ちぎたかし)りて鎮り坐(ま)す掛けまくも畏き天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)の大御前を遥かに拝み奉りて恐み恐みも白さく』と置き換え、その次の句「大神達」を「大神」もしくは「大御神」と単数形に改めると、神社拝詞はそのまま「神宮遥拝詞」になります。

【祓詞】 祭典に先立って行われる修祓(しゅばつ)の際に、祓い(祓戸)の神様に対して奏上する詞です。祓詞は奏上する機会が多く、しかも短い詞なので、神職であれば必ず暗記しています。ちなみに、祓詞の全文(但しこれは仮名混じり文で、原文は全て漢字です)は次の通りです。『掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊ぎ祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等 諸々の禍事 罪 穢有らむをば祓へ給ひ 清め給へと白すことを 聞こし召せと 恐み恐みも白す

【祭詞】 例祭、鎮座祭、遷座祭、式年祭などに於いて、献幣使が神前に奏する詞です。また、神葬祭祝詞の事も、大抵は祭詞と称します。

【御告文】 天皇が神祇を御親祭される時に自ら奏せられる祝詞です。「おつげぶみ」と読み、皇太子やその他の皇族が奏せられる時は「御」を省いて単に「告文」(つげぶみ)と称します。

【御祭文】 勅使(天皇の使者)が神祇に奏上する祝詞です。従来は「宣命」(せんみょう)と称されていましたが、明治6年4月に「御祭文」と改称されました。

【策命文】 山稜(天皇・皇后の墓所)や御墓(皇太子・皇族の墓所)の祭祀に於いて奏する祝詞で、「さくみょうぶん」と読みます。

【宣命】 天皇の御言葉(勅語)を神仏の前で奏上したり、臣下に宜べ聞かせるための言葉や文書の事で、そのための使者は宣命使といいました。


◆祝詞の構成

祝詞の構成には一定の形があり、まず、祝詞奏上の対象となる御祭神の御名を唱え、祭りの由来を述べ、続いて神徳を讃え、神饌や幣帛などを奉り、そして祈願の趣旨が述べられます。

祝詞の具体的な構成については、祝詞の解説本によってその解釈に差異が見られますが、この項では、先月の東京・神奈川旅行記先月11日付の記事翌12日付の記事)で紹介させて頂きました、國學院大學神道文化学部講師の金子先生が執筆された「祝詞作文法」(神社新報社刊)という本で示されている解説に従って、祝詞の構成を紹介させて頂きます。ちなみにこの本は、私が神職養成所に在学していた当時、養成所の祝詞の授業でテキストとして使われていたものです。

祝詞は、論文でいう序論・本論・結論に相当する、首部・幹部・尾部の三部から構成され、このうち首部と尾部は古典祝詞の事例を踏襲するためほぼ動く事がなく、そのため、実際には、主部が祝詞の要であるといえます。そして、主部は主に以下の(1)〜(5)により構成されています。(1)〜(5)は適宜順序を変える事も可能です。

(1)御神徳・御神威・神話 …… 祝詞奏上の対象となる神様がどのような御神徳をお持ちになるのかを述べたり、神話や信仰伝承を述べます。

(2)感謝・報告 …… 神様から賜った御神恩を詳細に述べ、事の次第を神様に奉告致します。

(3)献供 …… 手間暇かけて調整申し上げた、召し上がりものを差し上げる由(神饌献供の次第)を述べます。

(4)所作・装飾 …… 神職自身が厳重に参籠し謹んで奉仕する決意を述べ(所作)、斎場や神殿など神様をお迎えする場について申し上げます(装飾)。

(5)祈願 …… 願い事を申し立てます。安産祈願家内安全祈願、商売繁盛祈願、交通安全祈願、その他御祈祷の祝詞では、その祝詞の目的となる重要な部分です。

なお、祝詞の表現方法には、比喩、列挙、反復、対語、対句などの修辞法が多用され、善言美句を尽くして荘重に格調高く奏上されますが、しかし、文を美しくするからといって枕詞を多用すると、かえって祝詞の品格を落とす事もあり、ただ闇雲に言葉を装飾すれば良いというものでもありません。


◆祝詞の書き方・奏上の仕方

祝詞を自ら作成し奏上する事は神職にとって必須の事柄であり、また簡略な作文には言霊の発動を期待できない事から、祝詞は伝統に則り大和言葉で壮麗に、しかし必要以上に華美にはならないよう、適度に言葉を装飾しながらその知識を駆使して作文する必要があり、そのため祝詞作文には日々弛まぬ研鑚が求められ、事実、信仰の深まりや知識の習得、経験の積み重ねによって祝詞作文能力は確実に向上していきます。日々弛まぬ研鑚をしていないため、私はあまり向上していませんが(笑)。

奉書を八折(正確には七折半)になるように折り(一折の横幅をの幅程度にします)、その八折の両端の各一折を除く中の六折に、一字一字心を込めて歴史的仮名遣いで浄書するのが、祝詞の正式な書き方です。ですから、たまに見かける蛇腹状の祝詞は、「間違いである」とまでは言えませんが、正式な形状の祝詞ではありません。

祝詞の表記は、原則として全て漢字ですが、主に名詞・代名詞・動詞・形容詞等の語幹は正訓字で大きく書き、助詞・助動詞や用言の活用語尾などは万葉仮名で小さく書きます。祝詞は現在でも、この宣命書きという伝統的な書き方が守られています。

祝詞を書く上で注意すべき点としては、(沢山ありますが代表的なものだけを挙げると)主に以下の点が挙げられます。神様の御名は行の末尾とならないよう、また2行に亘らないようにする(但し何柱もの神様の御名を列記する時はそうならざるを得ない場合もありますが)。万葉仮名は行の始めに来ないようにする。「大御前」の語を使うのは伊勢の神宮に限る。自分の氏名(斎主名)は小さく書く。天皇陛下に関わる場合を除けば敬意を払うべき対象は御祭神のみであり、依頼者に敬語は用いない。

また、前述の金子先生は、先程紹介させて頂いた「祝詞作文法」という本の中で、祝詞を奏上する神職の立場について以下のように述べられています。

同じ様に祈りの言葉を発するのでも、一般人と神職とでは、当然異なつてゐなければなるまい。それは、神に仕へるための参籠を十分行つてゐるか否か、といふ一点によつても、既に明らかだ。古事記・日本書紀や風土記の信仰伝承の説話群を引くまでもなく、神は祀るものを選びなさる。従つて、神職は神に選ばれたものである。常日頃からこのことに深く思ひ致して祭に臨みたいものである。

神職を称して「仲執り持ち」といふのは、より近く神のもとに仕へて、人々の「切なる祈り」を取り次ぐことによってゐるのだから、この点は肝に銘じておくべきであらう。「祭祀の厳修」といふことの中には、当然、慎んで祝詞を作成するといふ条件も前提となる。専門職ではあるが、その心はいつも神に向き、神を恐れるものでなければならない。

当然の事ですが、私達神職は常に心して祝詞を奏上しなければならない、という事です。例えば、前日から斎戒をして、更に当日の朝はを行い、十分心身を清めてから清々しい状態で祝詞を奏上するのと、前日はたっぷり遊んで、しかも深酒をして、二日酔いで気分が悪いのを堪えながらの状態で祝詞を奏上するのとでは、全く同じ人物が、全く同じ時間に、全く同じ内容の祝詞を、同じ御祭神に奏上したとしても、言霊の発動が同じであるはずはありません。これは極端な例ですが。


(田頭)

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