西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

神棚の御扉は開けておいてもいいもの?

神棚のお社の御扉

昨日、一昨日と続けて、複数の参拝者の方から「神棚のお社の扉は開けたままでもいいのでしょうか?」と質問をされました。実際、神棚の宮形(みやがた)の御扉(みとびら)を常時開けたままにし、宮形の中に納められている御神札(おふだ)が直接見える状態になっている神棚を見かける事は少なくありません。しかし結論を言いますと、「開けたままにしておくのが間違っているというわけではありませんが、原則としては、神棚の宮形の御扉は閉めておく」べきものです。

そもそも、神社の本殿の御扉は、大祭や中祭など重要な祭事が行われる時以外は常時閉められたままですし、祭事に於いて御扉を開扉(かいひ)する時も、大抵は外陣の御扉(参拝者から直接見える本殿外側の扉)を開扉するだけで、内陣の御扉(外陣よりも更に内側にある本殿の御扉)まで開扉する事はまずほとんどありません。もし内陣の御扉を開扉するとしたら、それは内陣を清掃する時か、遷座する(本殿の建て替えなどにより御神体を移動する)時くらいで、しかもその場合でも、内陣の御扉を開ける事ができるのは原則として宮司のみで、その神社の職員といえども宮司以外の神職が内陣の御扉を開扉する事はありません。また、内陣の御扉を開扉する時でも、内陣の内部(御神体が奉安されている空間)は外側からは見えないような措置がなされます。

なぜ、神社ではそこまでして内陣を隠したがるのかというと、それは一言で言うと、それ程までに神様は“畏れ多い”存在だからです。軽い気持ちで「どうぞどうぞ」と誰にでも見せられるような、そんな軽々しいものではない、という事です。ましてや、内陣の中に鎮まっておられる御神体そのものを直接参拝者に見せるという事は、絶対に有り得ません。最近ではそういった言い方はあまりしませんが、一昔前であれば、「御神体を直接見ると、あまりにも畏れ多くて目が潰れる」とまで言われたものです。ですから、参拝者がどんなに「お願いですから御神体を直接拝ませて下さい!」と強く懇願しても、神社としてはそれを許可する事は有り得ません。これは神社神道としての信仰の根幹に関わる事項ですから、こればかりは、どんな有力者から頼まれようとも、妥協したり譲歩したりする事はできないのです。

そして、この点が、神道と仏教の決定的に違う点であるとも言えます。たまに本尊を厨子の中などに納めて外側からは見えないようにしている寺院もありますが、大部分の寺院では、本尊である仏像は直接参拝者の目に触れる形でお祀りされています。そして、参拝者はその立派な本尊(仏像によっては国宝や重文に指定され、歴史的・美術的な価値が高いものも多くあります)を直接見て拝む事によって、仏様を感じたり、感動したり、ありがたみを感じたりするのです。ですから、神道と仏教ではその発想が全く逆で、神社では御神体を見えないよう覆い隠す事によって(俗な言い方をすると“もったいぶる”事で)参拝者に神様の御神威を感じさせ、逆に寺院では本尊を直接見せる事によって(俗な言い方をすると立派な仏像を“見せ付ける”事によって)、参拝者に仏様のありがたさを感じさせているのです。

もっとも、時代が下ると神社と寺院の双方がお互いの影響を受けるようになり、例えば神社でも「御神像」という彫像が作られてそれが御神体とされる事例が出てくるようりになりましたが、御神像は明らかに仏教(仏像)の影響を受けたものです。本来の神道には、神様を像という立体物で再現するという発想はなかったからです。また寺院でも、本尊を「秘仏」と称して参拝者の目には触れないように隠し、何年かに一度、あるいは何十年かに一度だけ、「御開帳」と称して参拝者にその秘仏を公開するという事例も出てきましたが、これは明らかに神道の影響を受けています。本来の仏教には、仏像を隠すという発想はなかったからです。

と、ここまで説明をすれば、神棚の宮形の御扉は原則としてなぜ閉めておくべきなのか、その理由を理解して戴けたのではないかと思います。つまり一言で言うと、神様の宿っておられる御神札(おふだ)を直接人目に触れさせるのは「畏れ多い」からです。ただ、今日の記事の冒頭で「開けたままにしておくのが間違っているというわけではありませんが」とあえて前置きしたのは、神社の御神体と、神棚にお祀りする御神札は、その性質は確かに似てはいますが、全く同じ性格を持つものではないからです。そもそも、神棚にお祀りする御神札を神社の御神体を全く同一に扱わなければならないのであれば、大部分の家庭では御神札に関わる事(神社に行って御神札を直接受けて来る事、その御神札を直接自身の手で神棚に納める事、神棚から古い御神札を出してそれを神社に持って行く事など)は一切できなくなってしまいます。

実際、神社の本殿内陣に奉安されている御神体と、各家庭の神棚にお祀りされている御神札とでは、その御神威(神様の発揮される力やその重み)には当然ながら差があります。ですから、御神札を見たり触ったりしたら「目が潰れる」などという事は決してありませんし、神様に対して敬意を表して恭しく扱うのであれば、御神札を見たり触ったりしても構いません。それが常時(毎日)でなければ、時には宮形の御扉を開けて御神札を直接見る機会があったとしても、それは構わないと思います。例えば、普段は宮形の御扉を閉めていても、お正月や、その家にとっては特別な日、節目となるような重要な日には、御扉を開けた上で家族全員で神棚にお参りするような事があっても良いと思います。

それが、冒頭で述べました「開けたままにしておくのが間違っているというわけではありませんが、原則としては、神棚の宮形の御扉は閉めておく」の意味です。

ちなみに、宮形の御扉を開けっ放しにしておくと、御扉の内部に埃が溜まったり、御神札が色褪せたり汚れてきたりする事もあるので、拝礼の対象となる御神札は常に清浄さを保つべきであるという点からも、やはり宮形の御扉は、通常は閉めておいた方がいいと思います。

(田頭)

人気blogランキングへ