西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

平成二十年度 月寒忠霊塔慰霊祭

月寒忠霊塔

大東亜戦争開戦記念日の昨日、午前10時から、豊平区月寒の平和公園(旧陸軍墓地)内にある月寒忠霊塔(写真参照)前で、神職の執行により慰霊祭(神事)が執り行われ、慰霊祭の後は引き続き忠霊塔の後ろで僧侶の執行により法要(仏事)が執り行われ、私は祭員の一人として慰霊祭(神事)で御奉仕させて頂きました。

月寒忠霊塔は、「聯隊創設以来、日露戦争、尼港事件、満州事変等に従軍し身をもって國難に赴き戦没された御遺骨を収骨し、その遺勲を永遠に顕彰せんがため」を目的に、昭和9年、陸軍の歩兵第25聯隊(月寒連隊)により建立された忠霊塔なのですが、この忠霊塔が全国各地に立てられている戦争関係の各種慰霊碑と決定的に異なっているのは、納骨施設としての機能・性格を併せ持っている点にあり、月寒忠霊塔の栞によると、納骨忠霊塔は全国でも札幌・篠山・福岡の3箇所にしかないそうです。なお、月寒忠霊塔の合祀範囲は日露戦争から大東亜戦争支那事変を含む)までとされており、約4,000柱の御遺骨や霊璽簿等がその内部に納められています。

この忠霊塔の公式行事としての慰霊祭は、自衛隊・戦友会・遺族会・地元有志等の協力を得て、毎年お盆の時期や秋分の日などに奉賛会の主催により行われているそうですが、しかし公的団体が関わっているためか、その公式の慰霊祭は政教分離を意識して「無宗教・献花方式」により行われているそうです。しかし、私が御奉仕させて頂いた昨日の慰霊祭は、個人(有志)の主催により毎年開戦記念日に執り行われる厳然たる宗教行事(神事・仏事)で、主催者から青年神職文月会と札幌の曹洞宗の青年会にそれぞれ助勤の依頼が来るため、神事の方は毎年文月会の会員(北海道神社庁札幌支部管内の各神社に奉職する青年神職)が、仏事の方は曹洞宗の青年会の僧侶の方々が御奉仕させて頂いております。

開戦記念日に執り行われるこの慰霊祭は、毎年7月に札幌市内の護国神社で斎行される御霊璽奉安祭と同様、文月会が主催する行事ではないため厳密には文月会の公式行事とは言えないものの、文月会にとっては毎年恒例の行事の一つになっています。

昨日行われた「平成二十年度月寒忠霊塔慰霊祭」では、斎主以下祭員は9人で、私は玉串後取の所役を御奉仕させて頂きました。式次第は、『修祓、斎主一拝、献饌、祭詞奏上、「海ゆかば」奉唱、斎主祭員玉串拝礼、一般玉串拝礼、撤饌、斎主一拝』で、神事が終わった後は、参列した全員がそのまま忠霊塔の後ろに回り、忠霊塔の後背にある扉を開けて、塔の内部に納められている霊璽・位牌・仏像・御遺骨などの前で僧侶の皆さん方により読経が行われました。読経の内容については私はよく分かりませんでしたが、神事の際に斎主が奏上された祭詞の中では、大東亜戦争開戦の意義、御英霊への感謝の念、哀しい事に現在の日本には大東亜戦争に対して罪悪感のようなものがある事などが述べられており、私は低頭しながら御英霊に対して申し訳ないような複雑な思いで祭詞を聴いていました。

大東亜戦争では、確かに日本は米英を始めとする連合国に敗北しました。しかし、その敗北した日本が、欧米諸国の東洋制覇の野望を覆し、植民地政策を崩壊させ、植民地であったアジア各国の独立と今日の繁栄をもたらした事実は、何人といえども否定できません。そして、その礎となられたのが、靖國神社や全国の護国神社、そして月寒忠霊塔などに鎮まっておられる御英霊の方々なのです。愛する祖国日本や郷土のために散華された御英霊に対しての感謝・顕彰・慰霊の念は、日本人が日本人である限り、決して忘れたり風化させてはいけません。

なお、この慰霊祭では、神事と仏事はあくまでも別々に行われており、一昨年8月29日付の記事で紹介させて頂いた各事例(国家安泰世界平和祈願祭、足利義満公六百年法要、長岡天満宮放生会石清水八幡宮放生大会など)のように神職と僧侶が同時に神様もしくは仏様に御奉仕している訳ではないので、月寒忠霊塔慰霊祭は所謂神仏習合とまでは言えないのですが、しかし、神事の際には僧侶の方々に玉串拝礼をして戴き、また仏事の際には私達神職も焼香をさせて頂いており、北海道でこういった形で祭典が執り行われているのはかなり珍しいと思います。

ちなみに、以下の2枚の写真が、月寒忠霊塔の前で執り行われた慰霊祭の様子(左側)と、慰霊祭の後に御奉仕させて頂いた神職と僧侶とで撮影した記念写真(右側)です。但しこの2枚はいずれも今年の慰霊祭ではなく、一昨年の慰霊祭で撮った写真です。

月寒忠霊塔慰霊祭 月寒忠霊塔慰霊祭

(田頭)

人気blogランキングへ