西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

戦艦大和沈没から65年

戦艦大和の艦首

世界最大・最強の戦艦として建造され、今でも連合艦隊の艦艇の中では最も高い人気と知名度を誇る戦艦「大和」は、昭和20年4月7日、つまり丁度65年前の今日、米軍の攻撃を受けて九州南西の海域で沈没しました。「大和」が具体的にどのような戦艦であったのか、そしてどのような経緯で沈没したのか等については、丁度2年前の平成20年4月7日付の記事で詳しく書かせて頂きましたので、ここでは割愛させて頂きます。興味のある方はそちらの記事をお読み下さい。

ところで、その「大和」艦内で、奈良県天理市に鎮座する大和神社(おおやまとじんじゃ)の御分霊がお祀りされていた事を御存知でしょうか。大和神社は、今から2千年余り前の崇神天皇6年に創建されたと伝わるとても古い神社(式内社官幣大社)で、古くは「朝和之宮」(あさわのみや)と称され、日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)・八千戈大神(やちほこのおおかみ)・御年大神(みとしのおおかみ)の3柱を御祭神としてお祀りしているのですが、艦名と神社名が同一表記であった事から、大和神社が戦艦「大和」の守護神とされ、大和神社の御祭神が「大和」艦内に御分祀されたのです。そのため「大和」の艦長以下幕僚は、大和神社には何度か奉謝の特別参拝を行うなどしていました。

こういった、戦艦「大和」との浅からぬ関係から、大和神社では「大和」の沈没後、、「大和」と運命を共にした2,717柱の英霊を境内の末社・祖霊社にお祀りし、更に昭和47年には、巡洋艦「矢矧」外駆遂艦8隻の戦没英霊をも合祀して、現在、3,721柱を祖霊舎で国家鎭護の神としてお祀りしているそうです。ですから、もし大和神社へとお参りに機会があった時は、皆さんも是非、本殿だけではなく祖霊社でも、国家鎮護の英霊にお参りするようにして下さい。

戦艦大和の精密模型

戦艦大和の精密模型

戦艦大和の精密模型

上の写真3枚と、今日の記事冒頭に貼付の艦首の写真は、今から2年近く前に広島県呉市にある「大和ミュージアム」という資料館を見学してきた際、館内に展示されていた10分の1スケールの「大和」の精密模型を各アングルから撮影したものです。この巨大な模型、全長は26.3m、重量は船体部分だけで24tもあり、もはや“模型”というよりは“建造物”という感じでした。ちなみに、大和ミュージアムを見学してきた時の様子は平成20年5月8日付の記事で紹介させて頂きました。

戦艦大和の現在

上の写真も大和ミュージアムで撮影してきたもので、これは、北緯30度43分17秒・東経128度4分0秒の海底(水深約350m)で静かに眠り続ける現在の「大和」の状態を再現した模型です。「大和」の船体は主砲火薬庫の爆発により二つに折れ、主砲塔や副砲塔は船体から抜け落ち、右舷のスクリューは海底に突き刺ささり、艦橋は艦首の下敷きになっています。「大和」の壮絶な最期の様子が伝わってくる模型です…。

しかし、これだけ壮絶な最期を遂げた艦であったにも拘わらず(2,717名もの乗員が海上もしくは海中で散華しました)、その一方で300名近くの「大和」乗員が無事に生還を果たしたのは奇跡といえ、それは、大和神社の神様の御加護であったのかもしれません。

(田頭)

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