西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

本宗の定義

当社を始め、神社本庁の包括下にある神社は、北海道から沖縄県に至るまで全国全ての神社が、伊勢の神宮を「本宗」(ほんそう)として崇敬しています。そうであるからこそ、全国それぞれの神社で日々奉仕されている神職や総代、その他関係者の皆さん方は、自分達が神宮の職員や神宮の直接的な関係者では無いにも拘わらず、各家庭を訪問して神宮大麻伊勢の神宮のおふだ)を頒布したり、神宮の式年遷宮に積極的に奉賛をするなどしているのです。

ちなみに、下の2枚の写真に写っているお宮が、一昨年の2月に神宮を参拝させて頂いた際に私が撮影してきた内宮(皇大神宮)で、内宮は、伊勢の神宮を構成している全125社のお宮の中でも最大の信仰の中心となっています。

伊勢の神宮(内宮)

伊勢の神宮(内宮)

伊勢の神宮神社本庁の「本宗」である事は、神社本庁が制定している各規程にも明確に定められています。例えば、神社本庁憲章の第二条には、『神社本庁は、神宮を本宗と仰ぎ、奉賛の誠を捧げる』とあり、また、神社本庁庁規の第三条にも、『本庁は、神宮を本宗として、神社神道を宣布し、祭祀を執行し、斯の道を信奉する者を教化育成し、神宮の奉賛及び大麻の頒布をし、神職を養成し、図書を発行頒布し、その他神社の興隆を図るため、並びに神宮及び神社(宗教法人たる神社庁を含む。)を包括するために必要な業務を行ふことを目的とする』とあり、同第七十三条にも、『伊勢の神宮は、本庁の本宗として奉戴する』 とあります。このように、神宮が、神社本庁及び本庁包括化の各神社にとって「本宗」である事は、疑いようのない、根本的な大原則とされています。

ところが、憲章や庁規で明確に神宮を「本宗」と定めているにも拘わらず、その「本宗」という言葉の定義については、実は憲章にも庁規にも、全く何も書かれていません。私の机の上に置いてある、三省堂の「新明解国語辞典」を開いて調べてみても、「本宗」という言葉は掲載されていません。では、そもそも「本宗」とは何なのでしょうか? もし誰かに「本宗」という言葉の意味を尋ねられたら一体何と答えれば良いのでしょうか? 実は、一見簡単なようで、これは結構難しい問題であり、恐らく現職の神職でも、「本宗」という言葉の意味を簡潔に一言で説明できるという人はそうはいないのではないかと思います。

伊勢の神宮は本宗である」という事を一般の方(神社関係者以外の人達)に説明する際には、「厳密にはちょっと違うのだけれど、例えて言うなら本宗とは、仏教でいう本山に相当するもの」という例えがよく用いられたりするのですが、この説明も、全く見当違いな説明とまでは言えないものの、やはり正確な言い方ではありません。そもそも神宮と各神社の間には、仏教の各宗派でいう本山末寺のような上下関係は存在していません。

では、国語辞典にも掲載されていないような、全く一般的とは言い難い「本宗」という言葉は、神社界では、一体どのような経緯を経ていつ頃から使われるようになったのでしょうか。以下に、諏訪大社名誉宮司の澁川謙一さん(湊川神社権宮司神社本庁参事・教学部長、箱根神社宮司神社本庁事務局長・教学研究室長、神社新報社代表取締役社長、諏訪大社宮司などの要職を歴任してこられた方です)が著された『小論集 一神道人の足跡』という本(平成20年3月、神社新報社刊)から、その点について詳しく書かれている箇所を転載させて頂きます。これを読んで戴ければ、「本宗」という言葉の意味も自ずと理解する事ができます。

神宮は、基本的に皇室の責任において創建された神宮であって、一郷一村の地方の民の意思によって建てられた村々の神社とは異なるといふ考へ方は、戦前からあった神社人共通の考へ方であると思ふ。その故に戦前も神宮を最高至貴の神宮と敬してゐたのである。そして国家の扱ひも、社格を附せず、皇族を祭主と仰ぎ、大少宮司の制のほか、奉仕者は神官といふ官吏とし、他の官国弊社の官吏待遇の神職とも異なるところとし、特別の待遇を行って来た。

我が国は、昭和二十年八月十五日戦ひに敗れた。我が国が受諾したポツダム宣言は、民主的諸改革を要求してをり、占領直後にはGHQより自由の指令も出された。このことは神祇制度の上でも大変革が来るであらうことを予想せしめた。民間の神道人葦津珍彦氏は各種の情報を基礎に逸早く「神社制度変革ニ対スル私見」を発表して全国神社の民間団体護持の方向を示した。その中で神宮はじめ皇室と関係深い神宮神社については、別の取扱ひを提示してゐる。

(中略)神宮の取扱ひについては神社関係者以外でも宮内省の所管にといふ考へはあったやうである。すなはち、当時GHQバンス宗教課長の相談相手となってゐた東大岸本英夫博士の回想によれば、十月二十四日に岸本博士が当時の東大法学部長南原繁氏に会った際「伊勢神宮、その他は皇室の私的な神殿(Private Sanctuary)として残せばよろしい。それならば国家の神社と云うことにならないから筋が通る」といふ意見を述べてゐたといはれる。

また、GHQダイク大将よりの要請により十月二十五日御殿場から上京して来た宗教学者姉崎正治博士は、前田文相に対する意見書において神宮問題にふれ、「神宮および官幣大社のうち若干は主として皇室の祭事なるを以て、これらは宮内省において管理するを妥当とし、政府と分離して、その方法、範囲等は宮内省の選択判定に任すべし。(中略)」との意見を述べてゐたといふ。このやうに日本側の有識者は、神宮等特別な神宮神社を宮内省管轄とすることが望ましいと考へてをり、この考へ方は、GHQにも伝へられてゐた。

(中略)ところが、神宮は皇室の祖廟であるとの考へ方で宮内省移管を望んでいた日本側は、一転してやはり他の神社と同じ扱ひを望むとの主張に変化する。(中略)急変の理由としては、GHQが、日本側の望んでゐた皇室の神宮として宮内省が所管し、国民もまた崇敬の誠を捧げられるやうにといふ考へ方に対し、皇室の神宮か、国民の神宮かの二者択一を要求して来たためといふ理由と、宮内省が当時皇室財産の解体やら、規模の縮小やらで到底神宮その他の神社を所管して行くことは、財政的にも不可能であるといふ理由等からである。そして皇室の神宮への信仰は変はらぬであらうが、国民が神宮と切離されては、神宮信仰を忘れるやうなことになりかねないとして、神宮の宮内省移管を断念して一般の神宮神社と行を共にされるやうにする考へが有力になって来た。

そこで、神宮は、本来ならば皇室の下にある特別な御存在であるのが、やむを得ぬ事情により一般神社の仲間入りをされたわけであるので、新団体においては特別な取扱ひをせねばならぬとして、十一月十二日以降の庁規作成時に「神宮を本宗とする」との文章が生まれたのである。すなはち、神宮等の宮内省移管が出来なくなった結果として、「本宗」という称号が誕生したといへる。本来、皇室の意思によって創建され、その責任によって護持されるべき神宮、神社と、一般国民のお守りすべき村の氏神様と同じではなく格別の存在であるとの意味を表現する言葉として「本宗」といふ語が生まれたといへよう。

とても分かりやすい説明ですね。当時、「神道や神社は、日本を軍国主義に導いた大きな要素の一つであった」と誤解をしていたGHQは、神道に対する不当な圧迫である所謂「神道指令」を発するなどして、神社界の結束が崩壊する事を画策しており、稲荷教、八幡教、天神教、諏訪教といった感じに神社界がバラバラに分裂する事を期待していました。しかし、幸いな事に実際にはそうはなりませんでした。一部の神社は神社本庁には合流しなかったものの、全国の大多数の神社は、神宮を「本宗」と仰ぐ事により結束して、神社本庁を設立させ一つにまとまったのです。

とはいえ、神社本庁が結成された当時は、早急に解決しなければ全国各地の神社の存続が危ぶまれる程の重大且つ緊急性の高い問題が山積みしていた時期であり、そのため、あえて「本宗」の具体的な定義については明示されず、それは将来の課題として先送りされました。しかしそのために、各神社や各神職によって「本宗」のイメージや定義が異なる事態となり、神社本庁でも昭和24年にはこの問題が本格的に討議されるようになり、同年3月の役員会及び臨時審議会に提出された資料には以下のように記載されました。この文章は、「本宗という言葉の定義を具体的に教えて下さい」と問われた場合、その問いに対する直接的な回答に成り得る文章です。

神社本庁は神社の包括団体であって、宗政宗務を行ふ機関である。本宗は神社であって、宗政、宗務には関係なく、社務及び神宮自体の宗教活動を行ふものである。各神社は、神宮を本社とする摂末社ではなく、従って神宮に所属してゐるのではない。神宮は通念として最高至貴の神社であるから教団の総意に基いて、之を奉戴するに至ったもので、本宗といふ言葉は教団の統合と信仰の共通を象徴して特別の敬意をあらはした名称である。

神社本庁と神宮の、機能としての違いを明確にし、神宮もまた一つのお宮である、しかし最も尊いお宮である、とした上で、「本宗」とは神社本庁の統合と共通の信仰を表現する言葉である、としたのです。このように神社本庁では、神宮を「本宗」とする事で、神宮とその他の神社とでは明確に異なる扱いをしているのですが、では具体的には、「本宗」とその他の一般の神社はどのように扱いが異なるのでしょうか。以下に、前出の『小論集 一神道人の足跡』から、その点について具体的に述べられている箇所を転載させて頂きます。

神社本庁の本宗として神宮は、具体的に如何なる権限を有してゐるといへようか。先ず神社本庁創立当初の役員構成に当って神宮は少宮司を理事として本庁の運営に参画せしめてゐる。そのほか評議員等も出してをり、神宮は役員等選出の場合、一地区に相当する。それは通常の神社、数千社によって構成される一地区にも相当する大きな権限と責任を神宮はもってゐるといへよう。そして逆に本庁は総長を神宮責任役員の一人として神宮の運営に全神社人の意向を反映せしめるやうにしてゐる。この相互に役員を交換してゐること以外では、本庁は包括団体の最高法規たる庁規に想定してゐるものを除いて、神宮に関する事項は神宮が定めることとして相互に命令権を持たぬこととしてゐる。これは奉戴といふ形をとり、包括、被包括といふ法的拘束は受けつつも神宮を格別に扱ってゐる所以である。

更に他の神社と異る扱ひは、神宮大麻の頒布を神社本庁の組織のみを通じて行ってゐることである。神宮大麻は明治天皇の聖旨に基づき、全戸頒布を目標に、或いは神宮奉斎会が、或は時は国家自らが、また或る時は大日本神祇会が従事して来たのであるが、神社本庁創設以来は神社本庁がこれに従事して来てゐる。これは神宮のみに限られたことで、他の如何なる神社の神札も神社本庁の組織を通じて全国に頒布せられることはない。神宮を本宗と仰ぎ、輔翼するといふことの現実的実体である。

そして、『小論集 一神道人の足跡』の中で、著者である澁川さんは「次のやうな共通の認識を求めたい」と前置きして、以下の文章で本宗論を締めくくっています。

神宮とは、神社本庁の構造にとって、唯一にして格別なる敬意の対象であり、本庁が全国神社を統合していくのに、他の如何なる神社を以てしても代へることの出来ない存在となってゐる。それは他のいかなる神社とも異なる存在であり、その地位にかんがみて、本宗は心理的統合の象徴であるといひ得るが、他の神社の祭祀維持のための経営にも、教学教義の問題についても、指令ないし監督の権を有するものではない、指導監督の権は専ら本庁に属する。しかし、神宮は、本庁そのものの運用に対しては、いかなる神社にも認められない格別に重大なる権限を有する。その権限の内容ならびに限界は、抽象的教義によって決せられるべきものではなく、歴史と慣例を尊重して、自主的なる神宮と、自主的なる本庁との合意によって定められる。神社本庁は、かくの如き意味において神宮を「本宗」と称してゐる。

ちなみに、神社本庁の包括下にある全国の神社が神宮を「本宗」と仰いでいる事は既に述べた通りですが、それ以外の神社(神社本庁以外の神社神道の包括団体に包括されている神社や、どの団体にも包括されていない単立の神社など)も、大抵は、「本宗」という言葉は使っていなくても神宮を格別のお宮(全国の神社の中で最も尊いお宮、国民全体で護持すべきお宮、神社神道最大の聖地且つ信仰の中心地)として崇敬しており、また、教派神道に於いても、神宮に対しては格別の崇敬を示している教団もあります(総力を挙げて式年遷宮に奉賛している黒住教など)。

(田頭)

人気blogランキングへ