西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

満州で散華した神州不滅特別攻撃隊

丁度65年前の今日、昭和20年8月19日、満州国に展開していた日本陸軍関東軍)の神州不滅特別攻撃隊ソ連軍の機甲部隊(戦車群)に突入し自爆するという壮絶な攻撃が行われました。下の写真は、平成19年12月に東京を旅行した際、私が世田谷観音寺(世田谷区下馬にある天台宗系の単立寺院で、江戸三十三観音札所のひとつ)の境内で撮影してきた、その攻撃を顕彰する神州不滅特別攻撃隊之碑です。

神州不滅特別攻撃隊之碑(世田谷観音寺)

以下が、その碑文です。終戦詔勅が下り玉音放送が行われた後に、なぜ満州でこのような特攻が行われたのか、その理由が記されています。

第二次世界大戦も昭和二十年八月十五日 祖国日本の敗戦と云う結果で終末を遂げたのであるが 終戦后の八月十九日後后二時 当時満州派遣第一六六七五部隊に所属した今田均少尉以下十名の青年将校が 国敗れて山河なし生きてかひなき生命なら死して護国の鬼たらむ と又大切な武器である飛行機をソ連軍に引渡すのを潔しとせず 谷藤少尉の如きは結婚間もない新妻を後に乗せて 前日二宮准尉の偵察した赤峰附近に進駐し来るソ連軍戦車群に向けて大虎山飛行場を発進 前記戦車群に体当たり全員自爆を遂げたもので その自己犠牲の精神こそ崇障氓ノして永遠なるものなり 此処に此の壮挙を顕彰する為記念碑を建立し英霊の御魂よ永久に安かれと祈るものなり

陸軍中尉 今田達夫 広島、 同 馬場伊与次 山形、 同 岩佐輝夫 北海道、 同 大倉巌 北海道、 同 谷藤徹夫 青森、 同 北島孝次 東京、 同 宮川進二 東京、 同 日野敏一 兵庫、 同 波田野五男 広島、 陸軍少尉 二宮清 静岡

大東亜戦争末期の8月9日、日ソ不可侵条約を一方的に破棄して対日参戦したソ連は、日本がポツダム宣言を受諾して連合国に降伏した後も日本領や満州国への侵攻を続け、そのため8月15日以降も、ソ満国境を越境して南下してきたソ連軍と、満州国に駐留していた関東軍との間では依然として戦闘が続いていました。満州に侵攻してきたソ連軍の兵員は約175万人、それを迎え撃つ関東軍の兵員は僅か約75万人で、しかもそのほとんどは武器を持たない練成途上の兵士達で、火砲・戦車・航空機等の保有数の差などから、その戦力比は20対1にも及ばなかったと云われています。

そのような絶望的な状況の中、練成飛行隊の一部の青年将校達が自発的に編成した、今田少尉の指揮する「神州不滅特別攻撃隊」(九八式直接協同偵察機により編成)は、武装解除してソ連軍に投降する事を潔しとせず、また、本国へ引き揚げる在留邦人達をソ連軍の攻撃から守るため、赤峰付近に集結していたソ連戦車群に250キロ爆弾を積んだまま体当たり攻撃を行い、散華したのです。いずれも、22〜27歳までの若者達でした。

この碑は、満州に於いてソ連軍の戦車群に航空機で特攻し自爆した、彼らのその自己犠牲の精神を顕彰し、英霊の御霊が安らかである事を祈って昭和42年に建てられました。昭和20年8月15日を以って全ての戦闘行為が終結した訳ではなく、満州や北方の島々などでは、侵略してきたソ連軍に果敢に立ち向かい散っていった日本人達が多くいたという事を、私達は決して忘れてはなりません。

(田頭)

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