西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

平成29年 西野神社秋まつり(中編)

西野神社 秋まつり

先月の16〜17日にかけて2日間に亘って行われた、本年の西野神社秋まつりについては、「前編」「中編」「後編」の3本の記事に分けた上でこのブログにアップする事とし、今回の記事「中編」は、秋まつり1日目の日程とその内容をまとめた前回の記事「前編」の続きに当たる内容です。

具体的には、今回の記事「中編」では、秋まつり2日目の、主に午前中の日程や様子について(但し一部、午後も含まれます)、写真や動画と共に大まかに報告させて頂きます。
なお、秋まつり2日目の午後の様子について(今回の記事の続き)は、次回の記事となる「後編」で報告させて頂きます。

秋まつりの2日目は、当社にとっては年に一度の例祭(その神社にとって最も由緒のある日に行なわれる大祭の事で、他の諸祭事とは区別された特別な祭事)の日であり、私達西野神社の神職にとっては、年間で最も参拝者数が多く家内安全の御祈祷などが集中する元日や、特に厄祓いの御祈祷が集中し午後からは豆撒きも行われる2月の節分の日などと共に、この日は一年を通して最も忙しい日のひとつと言えます。

ちなみに、当社の例祭日は、十数年前までは曜日に関係無く常に「9月15日」でしたが、現在は、毎年「“敬老の日”の前の日曜日」に例祭を執り行うのを通例としており、その通例に従い今年の場合は9月17日が例祭日とされました。
当社の秋まつりは、例祭日が秋まつりの2日目となるように必ず設定されるため、つまり、十数年前までは秋まつりは常に「9月14・15両日」だったのですが、現在は、例祭日の変動に伴って秋まつりの期日も年毎に変わっております。その年の秋まつりが行われた日の、翌年の同日にまた秋まつりが行われる、というわけではないので御注意下さい。


平成29年 西野神社 秋まつり日程(2日目)



◆ 西野神社例祭

午前7時50分から、社殿にて「平成二十九年 西野神社例祭」の神事が大祭式にて執り行われ、宮司以下私達神職衣冠(正服)を、総代長と、猿田彦命恵比須様大黒様の各奉仕者は狩衣を、本神輿に供奉する総代さん達は格衣を、それ以外の総代さん達は背広を、本神輿に供奉する各町内地区代表の方々は裃(かみしも)を、来賓や各崇敬会代表の方々は背広もしくはそれに準じた服装をそれぞれ着装した上で、奉仕もしくは参列し、本年の例祭が厳粛に斎行されました。
例祭は、『号鼓 → 開式の辞 → 修祓 → 宮司一拝 → 開扉(巻簾) → 献饌 → 祝詞奏上 → 国歌斉唱 → 斎主以下祭員玉串拝礼 → 参列者玉串拝礼 → 撤饌(略式) →閉扉(垂簾) → 宮司一拝 → 閉式の辞 → 号鼓』という次第に則って粛々と執り行われました。

当社の例祭は、前日夜に斎行される宵宮祭と比較すると、式次第からは献幣が無くなり(神社本庁幣帛や総代幣帛は、前夜の宵宮祭から大前に上がったままです)、神楽奉納巫女装束を著けた稚児2人により奉納される舞)も無くなるため、時間的には宵宮祭より例祭のほうが少し短くなるのですが、神事の重さとしては当然、「中祭」の宵宮祭よりも「大祭」である例祭のほうが上位となります。
秋まつりの2日目は、1日目に比べると執り行われる神事・行事等の数は増えるのですが、2日目に行われるそれらいくつもの神事・行事は、毎年常にこの例祭からスタートしており、つまりこの例祭は、当社にとっては、秋まつり2日目の開始を告げる神事であると共に、秋まつり全2日間の中では、最も重要な神事でもあるのです。
ちなみに、本年の例祭にも、例年同様、現職の衆議院議員や札幌市議会議員の先生方が、来賓として参列して下さいました。

西野神社例祭

西野神社例祭

西野神社例祭

西野神社例祭

戦前は、神社の例祭には、官国幣社以下村社に至るまで、勅使または幣帛供進使が参向し幣帛が奉られていましたが、戦後、神社に対しての国からの奉幣の制度は全廃されました。しかし、特に皇室との関わりが深い一部の神社の例祭には今も皇室から勅使が差遣されており、また、国からの幣帛供進制度は神社本庁がその主旨と伝統を継承しており現在は神社本庁が、本庁包括下にある全国の神社(勿論当社も含まれます)の例祭に献幣使を参向させ、本庁幣(神社本庁幣帛)が奉られています。
当社の場合、年間行事の中で本庁幣が奉られるのは、原則として、この秋まつり(1日目の宵宮祭と2日目の例祭)だけです。

ところで、神社本庁の定める「神社祭祀関係規程」によると、神社での例祭の正式名称はあくまでも「例祭」であり、幟(のぼり)や広報物などに記される事が多い「例大祭」や、たまに使われる事がある「本祭」等の、例祭のいくつかの別称は、神社祭祀関係規程に基づく限りに於いては、あくまでも俗称に過ぎず、正式な言い方(公的な祭典名)ではないという事になります。
もっとも、私は神社本庁包括下の神社の神職として、本庁の神社祭祀関係規程は当然尊重すべきでものであり決して軽んじるべきものではないと認識はしていますが、だからといって、その規程が絶対的なものであるとか、その規程に記載されていない事は一切認められない、などとは思っておりませんので、例祭の呼称については、各神社の伝統や現況等を踏まえた言い方で良いと考えています。当社に於いても、氏子さん達の間では「例祭」よりも「例大祭」と言われる機会のほうがやや多いのが実情です。

ちなみに、これも例年通りなのですが、例祭の直後には、拝殿向拝にて、各自装束を著けた上で関係者の記念写真も撮影されました。その時に撮影された集合写真3枚は、いずれも以下の記事にアップされています。
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20170926

以下の写真3枚は、その集合写真3枚を、それぞれ別のアングルから撮影して更にその一部を拡大したものです。

西野神社 秋まつりのお稚児さん

西野神社例祭直後の記念写真

西野神社例祭直後の記念写真

なお、例祭の様子を写した写真は、以下の各ページにも多数掲載されておりますので、こちらも是非御覧下さい。
http://nishinojinja.or.jp/nishino/m2017/matsuri.php?d=20170201
http://nishinojinja.or.jp/photo/290917b.htm



◆ 御神輿の宮出し

当社が所有する3基の御神輿のうち、子供神輿だけは、午後3時から境外にある昭和会館より発輿するのですが、本神輿(京神輿)と担ぎ神輿(江戸神輿)の2基については、例年通り午前9時に当社より発輿致しました。

発輿(宮出し)に先立ち、午前8時45分頃には、神職が、担ぎ神輿と同神輿に供奉する担ぎ手の皆さん方を拝殿前でお祓いし、その直ぐ後、大坊総代長西野神社神力會の前鼻会長が担ぎ手の皆様方に一言挨拶をされ、そして定刻通り午前9時頃、宮出しとなりました。

神輿渡御に先立つ修祓

神力會会長挨拶

発輿

発輿

ちなみに、本神輿には毎年常に宮司が供奉しますが、担ぎ神輿には、当社の権禰宜4人(松澤権禰宜、私、越川権禰宜門権禰宜)のうちの一人が年毎に交替で供奉する事となっており、今年は私が供奉させて頂きました(昨年は松澤権禰宜でした)。

御神輿の発輿(宮出し)の様子を写した写真は、以下のページにも掲載されておりますので、こちらも是非御覧下さい。
http://nishinojinja.or.jp/nishino/m2017/matsuri.php?d=20170203



◆ 本神輿を中心とした神幸行列

本神輿(トラックの荷台に固定された京神輿)を中心とした神幸行列は、午前9時から午後4時頃まで、萬燈保存会の方々の方々が奏でる祭囃子と共に当社氏子区域を神幸致しました。この神幸行列は、具体的には、先頭から順に以下のように構成されています。

【1】広報車 【2】先導車 【3】猿田彦命奉仕者 【4】錫杖を持った女性達 【5】太鼓山車西野神社萬燈保存会の方々 【6】本神輿 【7】宮司 【8】巫女 【9】西野神社の総代さん達 【10】各町内区域代表の方々 【11】お稚児さん達

西野福祉会館でのお昼休憩の後(午後2時15分から)は、この隊列の後に担ぎ神輿の隊列も合流して続き、午後3時からは、更に子供神輿の隊列も合流し、渡御の最後の1時間(午後3時から4時にかけて)は3基の御神輿が一隊となった神幸行列として神社へ還御しました。

神幸行列本隊

神幸行列本隊

神幸行列本隊

神幸行列本隊

神幸行列本隊

神幸行列本隊

本神輿を中心とした神幸行列の様子を写した写真は、以下のページにも多数掲載されておりますので、こちらも是非御覧下さい。
http://nishinojinja.or.jp/photo/290917g.htm



◆ 担ぎ神輿の渡御(午前)

担ぎ神輿(江戸神輿)は、何度かの神事休憩を挟みながら、午前9時から午後4時まで、当社氏子区域を神幸致しました。当社の神輿会「神力會」の他、札幌の市内・近郊を始め道内各地から各神輿会の方々が助勢(遠征)に来て下さり、賑々しくも勇壮に神輿渡御が行われました。
この項では、午前9時から午後4時まで7時間にも及んだ担ぎ神輿の渡御のうち、午前中の様子を写した写真や、動画(但し動画のほうには、一部、午後の渡御の様子も収録されています)をアップさせて頂きます。

なお、この担ぎ神輿の隊列は、前項でも述べたようにお昼休憩の後は、本神輿を中心とした神幸行列と合流するのですが、午前中は、途中で何回か合流する事もあるものの多くの区間では本神輿とは別ルートで渡御致しました。

担ぎ神輿の渡御

担ぎ神輿の渡御

担ぎ神輿の渡御

担ぎ神輿の渡御

担ぎ神輿の渡御

午前9時の宮出しから午後4時の宮入りまで、渡御の間は常にトラックの荷台に固定されている「本神輿」とは違い、この「担ぎ神輿」は、渡御順路の多くの区間で、担ぎ手の皆さん方に直接担がれるか、もしくは、専用の台車に載せた上で担ぎ手の皆さん方に人力で牽引されるのですが、長距離移動を伴う一部の区間では、下の写真のようにトラックの荷台に載せての渡御が行われました。
ちなみに、その際は、担ぎ手の皆さん方には当社で用意した専用の大型バスに乗って戴き、担ぎ神輿がトラックで移動する時は担ぎ手の皆さん方にもバスで移動して戴きました。

担ぎ神輿の渡御

下の写真は、主に担ぎ神輿に供奉したお獅子所役です。お獅子所役を奉仕して下さったこの方は他所の神社の神輿会の会員さんで、何年も前から毎年西野神社の秋まつりでこの所役を奉仕して下さっています。

お獅子

担ぎ神輿の渡御の様子を写した写真は、以下のページにも多数掲載されておりますので、こちらも是非御覧下さい。
http://nishinojinja.or.jp/photo/290917h.htm

以下のページには、当社から他会(神力會以外の、道内各地域・各神社の神輿会)宛てに、秋まつり前に予め郵送させて頂いた、本年の神輿渡御の案内が掲載されています。宜しければ、こちらも“関連記事”として御参照下さい。
https://blog.goo.ne.jp/nishino-mikoshi/e/052a42ddc1041e033699ef9210b5a116



◆ 野点(お茶会)

本神輿や担ぎ神輿が発輿した後、午前10時から午後3時までは、神輿殿前の石畳にて、「西野神社氏子青年会 皐月会」の会員さん達や当社氏子区域内にある「北海道札幌西陵高等学校茶華道部」の部員さん達などによるお点前で、野点(のだて)が行われました。

昨年8月21日付の記事で述べたように、この野点は、当社にとっては昨年の秋まつりから始まった、今年でまだ2回目を迎えたばかりの新しい行事ですが、昨年同様多くの方々が立ち寄りって下さり、皆様方に抹茶の味覚を堪能しながら野点の雰囲気を楽しんで戴く事が出来ました。
ちなみに、以下の写真に写っている巫女装束を着ている女性達は、いずれも西陵高校茶華道部の部員さんです。

西野神社秋まつり 野点

西野神社秋まつり 野点

西野神社秋まつり 野点

西野神社秋まつり 野点

野点の様子を写した写真は、以下の各ページにも掲載されておりますので、こちらも是非御覧下さい。
http://nishinojinja.or.jp/nishino/m2017/matsuri.php?d=20170209
http://nishinojinja.or.jp/photo/290917c.htm



◆ 野菜・果物販売

午前10時からは、授与所の直ぐ隣(三が日みくじ所が仮設される場所)で、神社近隣の皆様方へ日頃の感謝の思いを込めて、西野神社総代会により、安価での野菜・果物の販売が行われました。例年同様、西野神社敬神婦人会の会員さん達もお手伝いして下さいました。
ちなみに、今年の「野菜・果物販売」で販売した品々のうち、野菜については全て、社会福祉法人札幌この実会」様より御紹介戴いた、石狩市生振の農家さんから仕入れたものです。札幌この実会様をはじめとする皆様方の御協力により今年も出店・販売する事が出来ました事を、関係者各位に改めて感謝申し上げます。

秋まつりでの野菜・果物販売

秋まつりでの野菜・果物販売

秋まつりでの野菜・果物販売



◆ 泣き相撲(赤ちゃん相撲)

午前10時頃から正午頃までは、山形県鶴岡市に鎮座する荘内神社さんから御指導・御助言を戴いた上で、当社にとっては今年の秋まつりが初めての試み(1回目)となる新しい奉納行事「泣き相撲」(赤ちゃん相撲)を、「西野神社氏子青年会 皐月会」の進行により境内の土俵で執り行いました。

泣き相撲とは、赤ちゃん(当社で募集した“赤ちゃん力士”は、首が据わっている0歳から2歳くらいまでの男女児)同士を土俵上で対面(にらめっこ)させてその泣き声を競い合う、「泣く子は育つ」のことわざに因んだ神事・行事で、赤ちゃんの元気な泣き声を神様に聞いて戴く事でその赤ちゃんの健やかな成長を願い、赤ちゃんへの神様の一層の御加護を願う、という意味もあります。
泣き相撲の勝敗は、先に泣いた赤ちゃんが勝ち、というルールを採っている所と、逆に、先に泣いた赤ちゃんが負け、というルールを採っている所があり、勝敗のルールは各地によって異なるのですが、当社で行う泣き相撲では、先に泣いた赤ちゃんが勝ちさせて頂きました(ちなみに、同時に泣き出した場合や時間内にどちらも泣かなかった場合は引き分け)。

当日は、本神輿や担ぎ神輿が神社を発輿した直ぐ後の午前9時半頃から早々と、出場者(赤ちゃん力士)の保護者や御家族などで受付大変混み合うなどしたため、当初の開始予定時刻(午前10時半)よりも少し早めに泣き相撲を始める事となりましたが、その点を除いては、初めての行事でありましたが幸いにも特に問題や混乱等が起きる事は無く、泣き相撲が行われている間も赤ちゃんの御家族や見学されている方々からは常に笑いが絶えず、お陰様で大盛況のうちに無事に本年の泣き相撲を終える事が出来ました。
ちなみに、泣き相撲が行われるのは北海道では大変珍しい事もあって(そもそも全国的にみても多くはありません)、当日はテレビや新聞などいくつかのメディアからの取材もありました。

泣き相撲

泣き相撲

泣き相撲

泣き相撲

泣き相撲

泣き相撲の様子を写した写真は、以下の各ページにも多数掲載されておりますので、こちらも是非御覧下さい。
http://nishinojinja.or.jp/nishino/m2017/matsuri.php?d=20170204
http://nishinojinja.or.jp/photo/290917d.htm
http://nishinojinja.or.jp/photo/touyama.htm

以下の各記事にも、泣き相撲の写真が動画がアップされておりますので、宜しければこれらの記事も御覧下さい。
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20170921
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20170929



この日(秋まつり2日目)の境内の様子は、以下のページにも写真が多数アップされていますので、宜しければこちらも是非御覧下さい。
http://nishinojinja.or.jp/nishino/m2017/matsuri.php?d=20170202
http://nishinojinja.or.jp/photo/290917a.htm


(田頭)

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