西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

横須賀や鎌倉、東京の神田などを散策してきました

個人的に、神奈川県鎌倉市に鎮座する鶴岡八幡宮へと行く用事があったため(神職としての研修や会議等ではなく、あくまでもプライベートでの用事です)、私は先週、お休みを利用して鎌倉に行ってきました。
お休み前日の夜(その日の神社での社務を終えた後)に札幌を発っているので、一応、日帰りではなく1泊2日の旅行という事になりますが、羽田に着いたのは初日の午後10時過ぎで、その翌日の夜にはまた新千歳行きの便に乗って札幌に帰るため、旅先での実質行動時間は、2日目の早朝から夕方にかけての1日弱だけでした。
しかし、折角の機会ですから、かなり限られた時間ではありましたが、神奈川県の横須賀や鎌倉、それに都内の神田・神保町・秋葉原などを、駆け足でいろいろと回ってきました。

今日の記事では、その旅行での2日目に、私が参拝してきた神社や、見学してきた風景・名所・史跡などを、紹介させて頂きます。


◆◆◆ 横須賀のヴェルニー公園 ◆◆◆

まだ辺りも暗い午前5時半過ぎ頃、早々に神奈川県横須賀市内のホテルをチェックアウトし、この日は先ず一番最初に、同市汐入町にあるヴェルニー公園を散策してきました。
横須賀港に面するこの公園からは、隣接する海上自衛隊横須賀基地に停泊している海自の艦船や、公園の対岸に位置する在日米海軍横須賀基地の関連施設などを間近に眺める事が出来ました。海自の艦船では、イージス護衛艦「きりしま」と補給艦「とわだ」の2艦が、園内から肉眼ではっきりと確認出来ました。戦前から“海軍の街”として知られる横須賀らしい情景でした。

横須賀港

また園内には、江戸時代末期の優秀な幕臣で私が昔から好きな偉人でもある小栗上野介小栗忠順)の胸像もあり、公園の対岸にはその小栗が日本の将来を見据えて建設に邁進した横須賀製鉄所(後の横須賀造船所)も間近に見え、小栗上野介が好きな私としては、ちょっとムネアツでした(笑)。

小栗上野介の胸像

ちなみに、小栗上野介については、このブログの過去の記事(以下のページ)でも紹介させて頂いた事があります。
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20080527


◆◆◆ 浦賀の西叶神社 ◆◆◆

午前7時半頃、横須賀東部の浦賀地区に鎮座する、「西叶神社」の通称で知られる叶神社(かのうじんじゃ)を参拝・見学してきました。
ちなみに、叶神社という社名の神社は、浦賀港を挟んで東西に2社あり、西叶神社から見て対岸にあるほうの叶神社は、一般には「東叶神社」と称されているそうです。

この西叶神社は、伊豆国で配流の身だった源頼朝と知遇を得た北面武士出身の僧・文覚が、源氏再興のため養和元年(1181年)に京都の石清水八幡宮を勧請して創建したお宮で、源氏再興を成就した頼朝が文治2年(1186年)に叶大明神と尊称したと伝えられています。

西叶神社

西叶神社

ちなみに、神社の境内ではありませんが、神社の直ぐ近くには、関東大震災の慰霊塔が立っていました。浦賀でも、関東大震災により崖崩れや火災など大きな被害が発生し、特にこの辺り(西浦賀)では、愛宕山が崩れて家屋74戸と百人程の人達が埋まるなどし、浦賀町だけで202人もの尊い生命が失われたそうです。

浦賀にある関東大震災慰霊碑

なお、関東大震災の被害状況や、同震災からの復興等については、このブログの過去の記事(以下の各ページ)でも紹介させて頂いた事があります。
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20110901
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20120901
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20130901


◆◆◆ 浦賀の愛宕山公園 ◆◆◆

西叶神社を参拝し、関東大震災の慰霊塔前で合掌した後は、横須賀市内では一番古い公園である、西浦賀愛宕山々上にある愛宕山公園も散策してきました。

三浦半島と房総半島に挟まれた海峡「浦賀水道」を眼下に望める高台のこの公園は、米海軍のマシュー・ペリー提督の浦賀来航時に米国側と交渉にあたった浦賀奉行所与力・中島三郎助の招魂碑が明治24年に建立された場所を、公園として整備した所です。ブレる事なく最後までサムライとして壮烈に生き抜いた中島三郎助も、前出の小栗上野介同様、私の好きな偉人のひとりです。
他にも、園内には、太平洋横断に成功した最初の日本船である咸臨丸の出港記念碑などもあり、いろいろと歴史を感じさせる場所でした。

浦賀の愛宕山公園

浦賀の愛宕山公園

ちなみに、中島三郎助の激動の生涯やその最期については、このブログの過去の記事(以下のページ)で、かなり詳しく紹介させて頂きました。かなり長文の記事ですが、興味のある方は是非御一読下さい。
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20080516


◆◆◆ 久里浜のペリー公園 ◆◆◆

横須賀市浦賀地区を散策した後は、京急の路線バスに乗って同市東部の久里浜地区へ移動し、午前8時半頃、久里浜港直ぐ近くにあるペリー公園を見学してきました。

ここは、黒船を率いて米国から浦賀に来航したあのペリー提督の一行が上陸した地に整備されている公園で、園内中央には、巨大なペリー上陸記念碑が立っていました。ちなみに、その上陸記念碑の碑文「北米合衆国水師提督伯理上陸紀念碑」は、我が国の初代総理大臣として広く知られる伊藤博文の揮毫です。

久里浜のペリー公園

久里浜のペリー公園

ところで、所謂「幕末」と称される時代のついての厳密な定義はなく、実際、その期間については、嘉永6年(1853年)の黒船来航から慶応3年(1867年)の大政奉還まで、黒船来航から慶応4年(1868年)の江戸開城まで、黒船来航から明治2年(1869年)の戊辰戦争箱館戦争終結までなど、いくつもの諸説がありますが、とりあえずその始まりが黒船来航とされている点は、どの説でも概ね共通しています。
つまり、「幕末」という激動の時代は、この巨体な記念碑が聳え立っているこの一帯からまさに始まった、と言っても過言ではないでしょう。
ちなみに、ペリーの来航についても、このブログの過去の記事(以下のページ)で紹介させて頂いた事があります。
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20070603


◆◆◆ 鎌倉雪ノ下の鶴岡八幡宮 ◆◆◆

久里浜地区を散策した後、私はバスや電車を乗り継いで、鎌倉へやって来ました。
鎌倉は、改めて言うまでもなく、鎌倉時代は武士の都、武家政権の本拠地として、日本の政治的な中心地だった都市です。鎌倉時代が終わり南北朝時代室町時代に入ってからも、鎌倉府(鎌倉公方)が置かれたため、暫くの間は依然として関東の一大拠点として機能し続けていました。

そして、午前9時半過ぎ頃、私は、今回の旅行の主要な目的地でもある、その鎌倉に鎮座する鶴岡八幡宮を参拝してきました。
鶴岡八幡宮は、源氏一門の氏神、鎌倉武士達の守護神として、鎌倉幕府と非常に深い関わりがあったお宮で、日本史的には、鎌倉幕府の精神的な中心地であった場所として、また、義経の一味として捕らえられた静御前が頼朝の求めに応じて舞を舞った場所として、更に、鎌倉幕府第3代将軍の源実朝公暁に暗殺された現場などとしても、古来より有名です。

鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮

ちなみに、同宮の旧社格国幣中社で、全国の八幡宮の中では特に知名度が高い大社である事から、近年では「三大八幡宮」のひとつに同宮を含める事もあるそうです。


◆◆◆ 鶴岡八幡宮境内の鎌倉国宝館 ◆◆◆

鶴岡八幡宮の境内にある、鎌倉市立の博物館「鎌倉国宝館」も見学してきました。
ここでは、特別展「鎌倉公方 足利基氏 ―新たなる東国の王とゆかりの寺社―」と、平常展示「鎌倉の仏像」を、じっくりと観てきました。特別展で展示されていた史料の多くは古文書でしたが、どれも興味深い内容で面白かったです。
ちなみに、館内は写真撮影禁止だったため、館内や展示物の写真は撮っておりません。以下の2枚はいずれも、鎌倉国宝館の建物外観の写真です。

鎌倉国宝館

鎌倉国宝館

鎌倉国宝館の展示を見終えた後、館内の窓口(ミュージアムショップといえる程の規模はありませんでしたが)で、下の写真に写っている2冊の図録を買ってきました。特別展「北条時頼とその時代」は、平成25年に開催されていたそうです。
ちなみに、今回の特別展「鎌倉公方 足利基氏」の図録は、今回の特別展開催までには完成が間に合わなかったとの事ですが、年内には完成するそうなので、窓口で購入を予約してきました。完成次第、送料無料で各予約者へ郵送してくれるそうです。到着が楽しみです!

鎌倉国宝館の図録


◆◆◆ 鎌倉二階堂の鎌倉宮 ◆◆◆

鶴岡八幡宮から歩いて鎌倉宮へも行き、午前11時過ぎ頃、同宮に到着し、参拝・見学してきました。

鎌倉宮で御祭神としてお祀りされている護良親王(大塔宮)は、建武の新政建武の中興)を行った事で有名な後醍醐天皇の皇子で、特に武勇に優れていたため皇子でありながら自ら指揮官として軍勢を率いて鎌倉幕府の討幕に多大な功績を挙げた事で知られています。
鎌倉幕府を倒し武家から天皇中心の社会へと復帰させる事に貢献した、護良親王のその功績を称え、明治2年2月、明治天皇護良親王を祀る神社の造営を命じられ、同年7月、鎌倉宮の社号が下賜され、同月、護良親王が非業の最期を遂げられた東光寺跡の現在地に社殿が造営され、現在に至っています。

鎌倉宮

鎌倉宮

下の写真は、本殿の後方にある、護良親王が凡そ9ヶ月間幽閉されていたと伝わる土牢(護良親王最期の地)を復元したものです。

鎌倉宮の土牢

ちなみに、鎌倉宮は「建武中興十五社」の一社で、旧社格官幣中社です。神社本庁の包括下には当初から入っていない単立神社でもあります。


◆◆◆ 鎌倉二階堂の瑞泉寺 ◆◆◆

鎌倉宮から更に歩き、正午近くに、臨済宗円覚寺派瑞泉寺という寺院も参拝・見学してきました。鶴岡八幡宮鎌倉宮などに立ち寄りながら、結局私は鎌倉駅からずっと徒歩で、ここまでやって来ました。

この瑞泉寺は、鎌倉幕府重臣であった二階堂道蘊が夢窓疎石を開山として創建したお寺で、当初は瑞泉院と号していたそうですが、室町幕府を開いた足利尊氏の四男で初代鎌倉公方となった足利基氏が、夢窓疎石に帰依してこのお寺を中興し、その際に寺号が瑞泉寺と改められたそうです。

瑞泉寺

瑞泉寺

瑞泉寺

瑞泉寺

ここは境内の景観が美しい事で有名な寺院で、紅葉の時期は特に綺麗だそうですが、今回私は、どちらかというと景観よりも、鎌倉公方所縁の寺院という歴史や由緒に惹かれて、参拝・見学してきました。


◆◆◆ 東京神田の明治大学博物館 ◆◆◆

鎌倉市内を散策した後は、JR横須賀線の電車に乗って鎌倉から東京へ移動し、神田駿河台明治大学駿河台キャンパスにある「明治大学博物館」を見学してきました。
刑事博物館、商品博物館、考古学博物館を統合して発足した博物館であるため、常設展示も「刑事」「商品」「考古」の三部門に分かれているのですが、そのうち「刑事」の展示内容は、インパクトが凄いです。

以下の写真は、いずれもその「刑事」部門の展示品で、現在・未来の法と刑罰を考えるために過去の法と刑罰を理解しようとした前身である刑事博物館の方向性を引き継いで、日本や諸外国の拷問・処刑具などが多数展示されていました。
レプリカでも実寸で再現されているものが多く、特に「ギロチン」や「鉄の処女」などは、もう見ているだけで痛々しかったです!

明治大学博物館

明治大学博物館

明治大学博物館


この後は、神保町の古書店街や、秋葉原電気店街などを散策し、午後7時頃に羽田空港を発つ便に搭乗して、札幌に帰ってきました。
今回の旅行では、鎌倉市内の鎌倉公方邸跡と、東京九段下の昭和館の2箇所以外は、かなり時間の制約があったにも拘わらず私が旅行前から回りたいと思っていた所をほぼ全て回る事が出来たので、私としては、短い日程ながら十分満足な旅行でした!


(田頭)

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