西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

熱田神宮 緑陰教室

【 注 意 】
この記事は、平成14年の7月から翌8月にかけての約3週間、私が助勤(先生として奉仕)させて頂いた「熱田神宮 緑陰教室」での思い出を、その5年後の平成19年8月に、記事としてまとめたものです。
あくまでも、平成14年当時の緑陰教室について、私の個人的な感想等を述べたものであり、現在の緑陰教室とこの記事で述べた内容とは少なからず相違が生じている事も有り得ます。
緑陰教室についての最新情報を知りたい方は、直接熱田神宮に問い合わせるなどして御確認下さい。


先週、私の母校でもある、京都國學院という京都市にある神職養成機関の普通課程(「正階」という神職階位の取得を目指す課程)に在籍している1年生のS君から、メールを頂きました。

現在、同学院の学生達は夏休み期間中ですが、普通課程の学生達の大半は、夏休み期間中の前半は、名古屋市に鎮座する熱田神宮静岡県に鎮座する富士山本宮浅間大社の奥宮(富士山頂)、長野県に鎮座する御岳山の3箇所に分散して、各社で泊り込んで助勤奉仕を行っております(御岳山での奉仕は今年から始まったそうです)。
このうち熱田神宮では、毎年7月下旬から8月上旬までの約3週間(今年の場合は7月19日〜8月10日まで)、夏休み期間中の名古屋市内・近隣の小学生を対象に「緑陰教室」という林間学校が開講され、例年、神職養成機関に在学する学生達が、その緑陰教室で各学級の担任役(先生)を務めております。
ちなみに、緑陰教室の開講時間は、日曜日を除く毎日午前中の3時間で、開講期間中でも日曜日だけは休講となります。

前出のS君は先月(緑陰教室開講期間の前半)、その熱田神宮緑陰教室で奉仕をして来たそうで、私に送ってくれたメールの中で今夏の緑陰教室について、「自分は小学2年生の担任をさせていただきましたが、教えることの難しさ等実感させられ、本当に良い経験をさせていただきました。子供たちと別れる31日(前期最終日)は思わず泣いてしまいました」といった感想が綴られており、私も学生時代に緑陰教室で奉仕させて頂いた経験があるため、とても懐かしい気持ちになりました。
今日は、その懐かしい熱田神宮緑陰教室の思い出を書かせて頂こうと思います(以下に貼付の4枚の写真は、いずれも私が緑陰教室で奉仕した時に撮った、もしくは撮って戴いたものです)。

緑陰教室 緑陰教室

緑陰教室 緑陰教室

緑陰教室の学級数はその年によって異なりますが、私が5年前(平成14年)に奉仕した時は、1学年が5クラス、2学年と3学年が4クラスずつ、4学年が3クラス、5学年が2クラス、6学年が1クラスの計19学級あり、そのため当然、担任の先生は19人必要となる訳で、熱田神宮学院熱田神宮付属の神職養成機関)の学生だけでは人数が足りないため、毎年、京都國學院皇學館大学の学生なども“担任の先生”として奉仕しているのです。

とはいっても、京都國學院の学生達が熱田神宮の緑陰教室で奉仕するようになったのは私の代(平成14年)からで、それ以前の京都國學院の学生達は(私の1コ上の先輩達も)熱田神宮での奉仕経験は無かったため、「緑陰教室で私達は何をすれば良いのか」、それ以前に「そもそも緑陰教室とは何なのか」という事を誰にも訊けず、正直、私は全く訳のわからないまま、一学期の終業式が終わった翌日に京都から新幹線に乗って名古屋へと向かいました。

ちなみに、熱田神宮のHPによると、緑陰教室については、「緑陰教室は当神宮の森のなかで開かれる林間学校で、昭和26年に戦後の子供達が元気になってもらえるように創設されました。半世紀以上の歴史を持つ当教室は、日本で最も古くかつ大規模な林間学校といわれています。本年も小学生700余名を集め、写生・電気・図工・音楽・神宮の話など、多彩な講座を予定しています」と記されています。

熱田神宮に着いた日(緑陰教室開講前日)に熱田神宮の職員さんから緑陰教室についての簡単な説明を受け、その翌日には、私は早速4年C組(生徒数36人)の担任を任されましたが、正直言って奉仕初日は戸惑う事が多かったです。
というのも、私は神職になる事だけを考えて養成機関に入学した訳であり、たった3週間とはいえまさか小学生達の先生を務めなければならない事になるとは全く考えてもおらず、そもそも私には教員になる意思も知識も準備もありませんでした。
だいたい、こういった事は、最初から教員を目指して勉強している教育大学の学生さん達に頼んだ方が、担任をする側にとってもされる側にとってもベストなのではないか、なぜ、教育現場とは無関係の私達が先生をするのか、その理由もよく理解出来ていませんでした。

また私は、子供は昔から好きなのですが、しかし生憎、自分の周りには小学生位の年代の子供がもうほとんどいなかったため、小学生位の子供達への対応には慣れておらず、そのため緑陰教室の初日は、子供のあまりにも天真爛漫な言動に戸惑う事も少なくありませんでした。
例えば、男の子とかは「先生、これアリ!」と言って、自分で捕まえた蟻を指で摘んで私に見せてきたりするのですが、それは特に珍しい蟻でもなく、どこからどう見ても黒々とした只の蟻なので、私としては正直「だから何ー!?」と思ってしまい、緑陰教室の開講当初、そういった場では「おおっ、確かにアリだねぇ…」くらいしか言葉を返せませんでした(笑)。
「この石とがってる!」と言って、近くの砂利の中から尖っている石を拾ってわざわざ私に見せにきた子供もいましたが、砂利の中には尖っている石もあれば丸い石もあり、別にその形の石が珍しいという訳でもないので、内心では「それが何か?というか、その話にオチはあるの!?」と思いつつも、「ホントだ、とがってるねぇ、これはちょっと珍しいかも。よく見つけたなぁ!」などと微笑みながら話しつつも、やはりどこかに違和感を感じていました。そういったやりとりにまだ慣れていなかったので(笑)。

そのような、子供とのコミュニケーションに関してはまるでド素人の私が、一学級の担任という責任ある立場して、果たして4年C組というクラスを上手に運営していけるのだろうか、3週間という限られた期間内にクラスの子供達と良好な関係を築いていけるのだろうか、など、担任になった当初は、考え始めると次々と不安ばかりが頭を過ぎりました。
しかし幸い2〜3日も経つと、不思議なもので、結構慣れました(笑)。子供達の純粋さに惹かれ、毎日子供達に会うのが楽しみになり、段々と今後の見通しもたてられるようになってきました。しかしそれは、自分が「先生」をすることに慣れてきたというよりは、私が受け持った4年C組の子供達が非常に「良い子」達ばかりであった、という点が大きかったと思います。

ところで、緑陰教室の具体的な内容(カリキュラム)はというと、私が担当した4学年に限っていえば、だいたいは「おおくす」という緑陰教室オリジナルのテキストを使った学習(計算問題、漢字の読み書き、読み物、スケッチ、迷路、その他)がメインでしたが、それ以外にも、境内の池にザリガニを釣りに行ったり、工作をしたり、写生会を行なったり、ゲームをしたり(私の学級ではハンカチ落としとドッジボールを行いました)、文化殿(宝物館・展示室・収蔵庫・熱田文庫・舞台付講堂などを併せ持った校倉風の建物)内の講堂で専門家の方を招いて野鳥の話・樹木の話・神宮の話などの講演を聞いたり、太鼓・大正琴・フルート・舞楽などの演芸を鑑賞したり、交通指導や消防訓練を実施するなど、かなり多彩な内容でした。

また、緑陰教室では毎年4年生だけ、境内にテントを立てて一泊するというキャンプがあったのですが、特に私は4年生の学級担任だった事もあり、このキャンプはとても印象に残りました。
真夏なので、夜とはいえテントの中はサウナのような暑さになっており、それを思うと子供達がなかなか寝付けないのは当然の事で気の毒にも思うのですが、そうはいっても夜中になってもまだテントの中で騒いでいる子供やテントから抜け出そうとする子供には立場上叱らなければならず、その見張りのため、自分もなかなか寝る事ができず、結局その日の夜はテント傍のベンチで1時間眠っただけで、そのため翌日の昼休みについ昼寝をしてしまい、昼休み直後に職員室(参拝者休憩所)で行なわれた先生達の職員会議には初めて寝坊して遅刻してしまうという失態も犯してしまいました(笑)。

また、緑陰教室では毎日、正午少し前に終礼(全校生徒が集合する集会)を行い、午前中でその日の日程を終え解散となるのですが、解散後も私達担任は、名鉄神宮前駅、JRの熱田駅、地下鉄の神宮西駅や伝馬町駅、最寄の各バス停など、生徒の帰宅方向別に近隣の交通機関まで生徒達を引率して行く事になっており、この引率も、実は結構楽しかったです。
終礼の後の引率は、自分の受け持つ学級とは関係なく帰宅方向別のグループ(1〜6年生混合)を引率するため、いろいろな子供達と接する機会があり、特に低学年の子供達は結構まとわり付いてくるので、真夏ですからそういう事をされるとかなり暑かったものの(笑)、それはそれで楽しかったです。

私は毎日地下鉄伝馬町駅までの引率を担当し、改札の中にまで入ってホームから子供達全員が列車に乗るのを見届けてから、また熱田神宮に帰っていたのですが、その引率時の出来事で最も印象に残っているのは、4年生の女の子から鉛筆をプレゼントされた事です。
その子は大人しい子で、友達も多い方ではなく、先生である私に対しても積極的に話しかけるような子供ではなかったのですが、その日は引率の最中も私に近付こうとしたり、話しかけようとしたりするなどし、しかも手には何か握っていたので、私としても「この子は私に何かを渡したいんだな」という事を何となく察し、彼女が自分から用件を切り出せるよう、それとなく彼女に話しかけたりはしていたのですが、結局彼女は私に用件を切り出せないままホームにまで来てしまい、もうすぐ列車がホームに入線するという時になると、いよいよ「どうしよう!」という感じで何だか落ち着きがなくなり、そして列車が到着し車両に乗り込む直前になって、私に「先生あげる」とだけ言ってエンピツを手渡して、恥ずかしそうに急いで列車に乗り込みました。
キャラクターの絵柄がプリントされた可愛らしい鉛筆で、白い紙で包装してあったので、最初からプレゼントとして家から持ってきたものだったようですが、その仕草がとても可愛らしく(笑)、今でも強く印象に残っています。

また、現職の小中学校の先生達も何人かが私達のサポート役として奉仕して下さったのですが、そういった“本物”の先生達と、学級担任を務めた私達学生(熱田神宮学院生、京都國學院生、皇學館大学生)との合同懇親会も熱田神宮近くの居酒屋で2回開かれ、そういった懇親会も、とても貴重な経験で楽しい思い出となりました。
その懇親会で私達の同期の一人(一応補足しておきますが、彼は学生ではありましたが未成年ではありませんでした)が酔い潰れてしまい、皆で彼の四肢を担ぎながら横断歩道を渡って宿舎の熱田神宮学院に帰った事も、今となっては懐かしい思い出です(笑)。

ところで、私が受け持った生徒達36人の中には、当然、積極的で活発な子供もいれば、大人しくてほとんど喋らないという子供もいました。
私としては、大人しい子供には特に自分から積極的に話しかけるようにし、逆に、積極的な子供というのは放っておいても自分から私に話しかけてきたりに私にしがみついてきたりするので、私からはそれ程積極的には話しかけませんでした(それでも、結果的には間違いなく、そういった積極的な子供達と一番多く会話を交わしていました)。
しかし、積極的な子供というのも確かに目立つのですが、実は、大人しい子供というのも、先生の視点からは結構目立つのです。
これは自分が先生になって初めて気が付いた事なのですが、大人しい子供というのは、自分は学級の中で完全に埋没した存在であり先生からもクラスメイトからもほとんど意識されていない、と思っているかもしれませんが、他の子供達が前後左右の子供達と楽しくお喋りをしている中、一人でポツンとしている、もしくは、いつも特定の一人としか話していない、というのは、教壇からはかなり目立つのです。それ故、大人しい子供には私の方から積極的に話しかけるようにしていました。

しかし、緑陰教室の後半になって、私は重大な事に気が付きました。積極的な子供と大人しい子供、その両極端の子供ばかりが私の中で目立っていて、その中間に位置する子供達、例えば、先生である私に全く話しかけてこないという訳ではないものの然程積極的に話しかけてくる訳でもなく、何人かの友人とボソボソといつも話してはいるもののうるさく騒ぐという訳でも決してない、そんな子供達には目が向いていなかった事に!
そういった子供と話す時、その子の名前を呼ぼうとしてその子の名前を思い出せなかった時に、「あ、そういえば俺ってこの子の事、ほとんど知らない…。ヤバイ!」と気が付いたのです(←気付くの遅過ぎ!)。

そういった事も踏まえて当時を振り返ってみると、自分としては勿論、特定の生徒だけをエコヒイキしたという意識は全くありませんが、しかし、生徒全体をバランス良く見る、という視点は、残念ながらやや欠けていたと思います。
その点が、私にとっては緑陰教室で最も反省すべき点であったかもしれません。

私は、不特定多数の大勢の人々の幸福に少しでも貢献するこ事ができ、それでいて地域の人達に密着した活動ができる、そんな市井の一神職になる事を願っていたので(今もそう願っていますが)、そのように考えていた私にとっては、緑陰教室でこれだけ多くの子供達と接することができた事は、結果的に、他の何にも代えがたい貴重な経験となり、緑陰教室での濃密な3週間の様々な体験は、私の人生にも少なからず影響を与えたと思います。
今振りかってみても、私は、4年C組の担任になることができて本当に良かった、と心の底から強く感じています。3週間という非常に短い期間ではありましたが、私は、この3週間の体験と、そして、教員を目指している訳ではない私にとっては恐らく最初で最後の教え子となるであろう4年C組の子供達の事を、生涯忘れる事はないでしょう。
私を4年C組の生徒たちにめぐり合わせてくれた関係者各位、そして神様に、心から感謝致します。


(田頭)

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