西野神社社殿の変遷
今日は、西野神社の社殿(本殿・拝殿等)の変遷を、イラストと写真で追ってみたいと思います。なお、貼付のイラストや写真は全て、クリックすると拡大表示されます。
まず下のイラストですが、これは昨年6月24日付の記事「西野神社の創建」でも紹介させて頂いたように、当社創建当時(明治18年)の様子を想像して描かれたイラストです。残念ながら当時の記録はほとんど残っておらず、そのためこれはあくまでも想像図に過ぎないのですが(実際の所はどのような形の社殿であったのか不明です)、しかし当時の当社の社殿は、「社殿」というよりは、この絵に描かれているような「小祠」の類だったと思われます。
下の写真は、明治時代後期〜大正時代にかけての当社の社殿です(但し具体的に何年に撮影されたのかは不明です)。御鎮座から14年を経た明治31年、西野神社を正式に西野・平和・福井の鎮守(氏神神社)として認めて貰う議が起こり、その認可を受けた翌年、社殿の造営が進められたと記録にある事から、この写真はそれ以降に撮影されたものと思われます。掘っ立て小屋のような質素な社殿ではありますが、上の想像図に比べると、格段に立派な社殿に発展しています。
下の写真は大正時代に撮られたもので、これも何年頃に撮影されたのかは不明ですが、記録によると大正4年、明治35年の造営以来17年を経て社殿改築の時期を迎えたため、当社では改築の許可申請を札幌支庁に提出し、その許可を得て翌5年、新しい社殿を竣工させたとあるので、この写真は大正4年以降に撮られたものと思われます。
下の写真は、昭和42年に造営された社殿(拝殿)です。大正5年に社殿が新築されてから50年もの年月が経ち、社殿は著しく老朽化が進んでいたため、札幌市と手稲町の両市町が合併した昭和42年(当時の札幌市はまだ政令指定都市ではなく区制は敷かれていませんでした)に、半世紀ぶりに社殿が建て替えられたのです。本殿遷座祭は同年11月21日午前零時に山口栄宮司により斎行され、同日、竣工祝賀式典も挙行されました。
下の写真は、昭和58年に増改築された拝殿です。この増改築工事は、西野神社創祀百周年記念事業の一環として行われ、幣殿の造営、拝殿の増築、神饌所の増築、社殿の屋根の銅板による葺き替え、回廊や欄干の増設などが行われて、社殿の様相は一新されました。また、当時は社務所の新築、神札所・物置・渡り廊下の改築、ガレージの移設、手水舎改装等の工事も同時期に併せて行われました。
下の写真は、平成17年春、当社の創祀百二十周年記念事業の一環として行われた、向拝・参道への御影石敷設工事を終えた後に撮られた拝殿の写真です。上の写真と見比べると分かるように、参道は砂利から御影石の石畳へと変わり、欄干も御影石製のものに変わりました。また、それまでコンクリートが剥き出しとなっていた向拝の階段にも、御影石が敷設されました。
下の写真は、今年の4月25日(春季例祭の日)に撮影したもので、昨年7月に向拝への木彫取り付け工事を終えた後の、最新の状態の拝殿です。
ちなみに、下の写真は昭和43年に造営された当時の、拝殿内の様子です。当時は本殿と拝殿の間に幣殿がなく、社殿の内部は現在とはかなり様子が異なっています。
そして、下の写真は今日撮影した拝殿内の写真です。上の写真と比べるとその違いは一目瞭然です。
(田頭)