西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

今日はちょっと特別な日でした

総代会 定例総会

今日は、当社では午前9時から総代会の定例総会が開催され(右の写真参照)、午前11時からは、今年初めての大祭である春季例祭が執り行われました。当社の春季例祭は、古来より律令国家の恒例祭祀の一つとされてきた祈年祭(その年一年間の豊穣を祈願する祭祀)に相当する神事で、地域の農業・工業・商業などが栄える事を神様に御祈念する祭典として、大祭式で斎行しております。

今日の春季例祭では、私は祭員として正服(衣冠)を着装して御奉仕させて頂き、大前では朝日舞も奉納させて頂きました。私が当社で朝日舞を奉納させて頂く機会は年に2回(4月25日の春季例祭と11月23日の新穀勤労感謝祭)しかないため、前回舞った時とその次に舞うまでの間は概ね5〜6ヶ月は空いてしまうのですが、幸い今回は、たまたま先月神社庁の庁舎で朝日舞を練習する機会があったため(先月28日付の記事参照)、それ程のブランクを空けずに、先月の練習を思い出しながら落ち着いて舞わせて頂く事ができました。下の写真は、今日斎行された、その春季例祭の様子を写したものです。

春季例祭(宮司玉串拝礼)

なお、春季例祭の式次第については、昨年4月25日付の記事で詳しく紹介・解説させて頂きましたので、そちらを御参照下さい。また、今日の総代会と春季例祭の様子は、「西野神社アルバム」の、「平成21年4月 総代会総会・春季例祭・直会 」のページ(下記URL)にもアップロードさせて頂きましたので(全13枚)、是非御覧下さい。各写真はクリックすると拡大表示されます。

http://f.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/210425%20%E6%98%A5%E5%AD%A3%E4%BE%8B%E7%A5%AD/?sort=old


そして、春季例祭での御奉仕が終わった後、私は直会には出席せずに一旦神社を退社して(午後3時半頃にまだ神社に戻ってきましたが)、午後2時から、札幌市中央区にある私の祖母の家で行われた霊祭に参列してきました。この霊祭は、曾祖母の50年祭と祖父の20年祭を兼ねて行われた式年祭で、斎主は、祖母の家から歩いて5分程の場所に鎮座する某神社の名誉宮司さんが務めて下さいました。

曾祖母は私が生まれた時には既に帰幽していたため、一度も会った事はありませんが、祖父は私が高校1年生だった年の5月に帰幽したため、今でもはっきりと記憶に残っています。あれからもう20年も経ったんだな、と思うと何だか感慨深い思いです。祖父は、会社では“生き字引”と称された程の博学で、“明治生まれの男”らしい厳しい父性も持ち合わせてはいたものの、定年退職後に務めた第二の職場では「辞めないでくれ」と請われ、定年を過ぎた後も辞める事ができず70歳を超えてからも会社に出社していた程の人望とバイタリティのある人物でした。

ちなみに、昭和9年に田頭家に嫁いで以来、その祖父と55年間連れ添った大正生まれの祖母は、現在96歳という高齢ですが、多少耳が遠くなっていて耳に補聴器を付けている事以外は、身体にどこも問題はなくいたって健康で、今でも杖も突かずに外を出歩いていますし(昨年転んで足を骨折したため初めて入院し、足にボルトを埋め込む手術もしたため、もしかするとこのまま寝たきりになってしまうのでは、という懸念も持たれたのですが、結局数週間で退院し、今は何の問題もなく普通に生活しています)、家の中では趣味で縫い物などもしています。祖母が100歳になった時は、また親戚一同が集まって、是非お祝いができればいいなと思っています。

今日の霊祭は、修祓(但し祓詞ではなく大祓詞奏上)、祭詞奏上、玉串拝礼の次第で執り行われたのですが、祭詞がかなり長かった事もあり、斎主による最後の挨拶(20分程)も含めると、トータルで45分くらいかかりました。下の写真が、今日のその霊祭(式年祭)の様子を写したものです。

曾祖母50年祭・祖父20年祭

斎主として奉仕して下さった名誉宮司さんは挨拶の中で、50年前に行われた私の曾祖母の神葬祭では、当時の宮司(名誉宮司さんの尊父)と自分の二人で奉仕をした、という思い出を語って下さり、私としてはそれも感慨深い思いで聞かせて頂きました。

ちなみに、私が京都の神職養成機関に入学するに当たっては、その名誉宮司さんが宮司(名誉宮司さんの息子さん)の名前で私の推薦状を書いて下さり(ですから私の推薦状は、神職養成機関に入学した大部分の人達とは異なり、神社庁長名で書かれた推薦状ではないのです)、また、私が神職になってからは、名誉宮司さんが奉仕されている神社で毎年7月5日に斎行される祭典で祭員として助勤させて頂いており、そういった事から、その神社さんと私や私の実家とは何かと縁が深いのです。

そして霊祭の後は、名誉宮司さんをその神社の社務所玄関まで送らせて頂き、その後私は西野神社へと戻りました。今日の春季例祭の後片付けや、翌日の外祭神饌の準備などをするつもりだったのですが、私が霊祭に参列していた間にそれらの準備は全て終わっており(ほとんど松澤権禰宜がして下さっていました)、当社に戻っても、私はあまりする事がありませんでした(笑)。松澤権禰宜、どうもありがとうございました。

ところで、私が神職養成機関に在学していた2年間、ほぼ毎日実習をさせて頂いていた、京都八幡市に鎮座する石清水八幡宮では、今日(25日)は本殿遷座祭(本殿の修復工事が終わったため、数年ぶりに神様が仮殿から本殿に還られる神事)、そして翌26日には奉幣祭(宮中より勅使が参向されます)が斎行されるそうです。そういった事も含め、今日は私にとっていろいろな意味で(春季例祭・二十年祭・五十年祭の各神事が重なるなど)、ちょっと特別な日でした。

(田頭)

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