4月5日付の記事では、札幌市手稲区に鎮座するT神社の「仮殿遷座祭」で祭員として御奉仕(助勤)させて頂いた事を詳しく書きましたが、今日は午後6時半から、そのT神社で「本殿遷座祭」が執り行われ、私は再び祭員として御奉仕させて頂きました。
T神社は今年、御鎮座百十年の慶事を迎える事から、その記念事業として、昭和48年に建て替えられてから36年の月日が経つ御社殿(本殿・祝詞殿・幣殿・拝殿)の大規模な改築工事(屋根の銅板を葺き替えたり、殿内の各所を改修したり、耐震補強の改修を施す等)が行われ、そのため、工事に先立ってまず今年の4月に、本殿の神様に仮殿にお遷り戴く神事「仮殿遷座祭」が執り行われ、そして今日、それらの工事が全て完了した事を受け、約4ヵ月半仮殿の御神座に御奉安されていた神様に本殿にお還り戴く神事「本殿遷座祭」が執り行われたのです。上の写真が、本殿遷座祭が始まる直前に撮影した、T神社の新しい拝殿内の様子です。
これは4月5日付の記事でも書いた事ですが、遷座祭というのは、外祭での降神・昇神のように霊的な移動が行われるだけではなく、「御神体の移動」という物理的な移動も行われるため、仮殿から本殿までが例え短い距離であっても、大抵は数十人で行列を組んで移動するとても大掛かりな神事です。遷御(御神体の移動)の際には、清浄を保つため覆面と手袋を着した宮司さんが、恭しく「御」(「ぎょ」、御神体の事)を奉持し、その時宮司さんは絹垣(きぬがき)という白くて大きな布で四方から覆い囲まれ、絹垣を持つ4人の所役も宮司さんを囲ったまま一緒に歩くため、移動している最中であっても「御」が人目に触れる事は決してありません(というよりも、人目に触れるような事があってはいけないのです)。
下の写真2枚がそのイメージ写真で(これは今日のT神社の本殿遷座祭で撮った写真ではなく、2枚共、札幌支部管内の別の神社の本殿遷座祭で撮られた写真です)、「御」を奉持されている宮司さんはこの絹垣の中を歩いています。ちなみに、私は4月の仮殿遷座祭に引き続き、今日の本殿遷座祭でも、絹垣を持つ所役を御奉仕させて頂きました。


絹垣を持つ4人の所役が、低く大きな声で「オォー」と威儀を正す警蹕(けいひつ)をかける中、宮司さんの奉持する「御」を中心とした遷御行列が参道を静かに参進する様子はとても厳かで、奉仕している人達も、その様子を少し離れた所から眺めている人達も、いつも以上に“神様の存在や威儀”を強烈に感じて気持ちが引き締まります。
T神社で斎行された今日の本殿遷座祭では、「斎主」は宮司さん、「副斎主」は禰宜さん、「祭員一」はK権禰宜(本務は別の神社の宮司さん)、「祭員二」はY権禰宜、そして、「祭員三」「祭員四」「祭員五」「祭員六」の4人は、私を含む助勤の神職さん達、司会進行役の「典儀」はK神社のM宮司さん、今年の4月に祭祀規定の改正により献幣使から名前が変更された「本庁使」は北海道神社庁のN副庁長、随員は北海道神道青年協議会のN会長、奏楽は北海道神宮の神職3人、計14人の神職が、装束を着装の上、それぞれの諸役で御奉仕させて戴きました(T神社の神職と本庁使・随員は正服、祭員と典儀を奉仕した助勤神職は斎服、奏楽は浄衣を着装しました)。なお、式次第は以下の通りでした。
『宮司以下祭員、本庁使・随員、参列者祓所に着く → 開式の辞(花火打ち上げ) → 修祓 → 宮司仮殿一拝 → 仮殿御扉開扉 → 宮司仮殿祝詞奏上 → 召立の儀(威儀物を各所役に授く) → 神座移動 → 遷御 → 入御 → 威儀物を各所役より受く → 諸員所定の座に着く → 献饌 → 宮司祝詞奏上 → 献幣 → 本庁使祭詞奏上 → 巫女舞 → 宮司以下祭員玉串拝礼 → 本庁使・随員玉串拝礼 → 参列者玉串拝礼 → 撤幣 → 撤饌 → 閉扉 → 宮司一拝 → 宮司以下祭員、本庁使・随員退下 → 閉式の辞』。
下の写真は、今日の本殿遷座祭で撮った写真ではなく別の神社の本殿遷座祭で撮った写真なのですが、これは上の式次第でいう「献饌」の次第で、今日の本殿遷座祭でも私はこのように神饌を伝供(でんく)させて頂きました。

下の写真は今日の本殿遷座祭で撮影した写真で、これは上の次第でいう「献幣」の次第で、随員から禰宜さんに神社本庁の幣帛が伝供されている所です。

本殿遷座祭は約1時間半で滞り無く無事に終了し、その後は、T神社社務所の広間にて直会が開かれ、私達助勤の神職も、改服した後、少しの間直会に参加させて頂きました。下の写真が、その時の直会の様子です。皆さんとても楽しそうでした。

本殿遷座祭は、どの神社にとっても大抵は数十年に一度しか斎行されない、とても重い祭典ですから、それだけに私としても今日の御奉仕はいつも以上に緊張しましたが、何とか無事に全ての御奉仕を終える事ができ、とりあえず今はホッとしています(笑)。
(田頭)