西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

武道守り

当社では今日から、「武道守り」という、新しいお守りの授与を始めます(年末年始と秋祭りの期間は授与所の窓口にて、それ以外の時期は社務所玄関窓口にて授与させて頂きます)。このお守りは、下の写真のように「」「」「」の3種類があり、大きさはいずれも縦6.8cm×横4.0cm×厚さ0.7cmです。

武道守り(表)

下の写真のように、それぞれのお守りの裏側には、当社の御神紋三巴)と神社名が刺繍されています。

武道守り(裏)

西野神社本殿でお祀りしている御祭神は三柱なのですが、そのうちの一柱は譽田別命(ホンダワケノミコト)という神様で、この神様は一般には「八幡大神」もしくは「八幡様」と称され、古来より「武門鎮護の神」として、特に武家から篤い崇敬を受けてきました。

八幡大神の発祥はかなり複雑で、いろいろ異説もあるのですが、一般には、第15代天皇応神天皇の事であるとされています。つまり、御存命中の本名が「譽田別命」、崩御後の崩御された後に奉る御名)が「応神天皇」、そして、譽田別命(応神天皇)の御霊を神様としてお祀りするときの尊称が「八幡大神」という事です。

その応神天皇の母である神功皇后が、お腹に宿っておられた応神天皇を出産したすぐ後に三韓(古代朝鮮の半島南部)に渡って新羅との戦いに勝利を得たという偉業や、八幡大神氏神とした清和天皇の血統である清和源氏の子孫(源頼朝や、足利氏・徳川氏など)が各時代で天下を統一し武家政権を築いた事、鎌倉時代元寇の際に季節外れの暴風雨を起して蒙古軍の軍船200隻余りを沈め、蒙古軍の侵略から我が国を救い敵国調伏の武神としての力を顕現された事などから、八幡大神武家社会700年の歴史の中で「武」の神としての立場や名声を不動のものとし、戦場では、八幡大神に戦勝を祈願するため「八幡大菩薩」(神仏習合思想に基づく八幡大神の称号)の旗が駆け巡るようになったのでした。

この「武道守り」は、八幡大神(但し当社でお祀りしている御祭神としての御名は「譽田別命」)のそういった「武」の御神徳を戴き、このお守りを持って武道やスポーツをされる方の安全や勝利が祈願されているお守りです。弓道、剣道、柔道それぞれに対応しておりますので、御自分の習得されている(もしくはこれから習得しようとしている)武道やスポーツに合わせてお受け下さい。御自身の努力と八幡大神(譽田別命)の御神威により、きっと最良の結果が得られる事でしょう。

(田頭)

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