西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

淡路島・鳴門・岡山旅行(後編)

由加神社本宮の狛犬

今日の記事は昨日の記事の続きで、今月15〜17日にかけて2泊3日の旅程で瀬戸内方面(神戸・明石・淡路島・鳴門・倉敷・岡山など)を周った旅行のうち、最終日(3日目)の日程について報告させて頂きます。

前日は早朝から行動し、夜は11時過ぎまで飲んでいた事などから、この日の朝は少々寝坊し、午前6時頃に起床しました。この日は、倉敷市内に鎮座する由加神社本宮熊野神社の2社で職員(神職)として奉仕している、京都國學院という神職養成機関での私の後輩に当たるS君が私を案内してくれる事になっていて、午前10時に、私が宿泊しているホテルに迎えに来てくれる約束をしていました。

とりあえず、午前10時まではまだ時間があったため、私は7時から8時半頃まで、ホテルを出て倉敷駅周辺を少しブラブラと散策してきました。倉敷市は、岡山県の南部・瀬戸内海沿岸に位置する人口47万人の都市で、この規模の都市というのは北海道には無いため(強いていえば、札幌に次ぐ北海道第二の都市である旭川市が人口35万人ですが)、駅舎内や駅周辺の活気、商店街の様子などを見学してきました。


◆熊野神社を参拝

自社である由加神社本宮で午前8時半から斎行された祈年祭での奉仕を終えたS君が、午前10時頃、ホテルまで車で私を迎えに来てくれ、まずは、S君が奉仕している神社のうちの一社である、倉敷市林に鎮座する熊野神社へと私を連れて行ってくれました。S君は、神社にとっては間違いなく忙しいはずの大祭(祈年祭)の日に、この後夕方までずっと私に付き合ってくれました。S君、本当にどうもありがとう!

熊野神社は、伊邪那美大神イザナミノオオカミ)、事解之男神(コトサカノオノカミ)、速玉之男神(ハヤタマノヲノカミ)、伊弉諾大神イザナギノオオカミ)、家津御美子大神(ケツミコノオオカミ)など15柱の御祭神をお祀りする、大宝元年飛鳥時代末期の西暦701年)に創建された神社で、西野神社の御祭神の一柱である鵜草葺不合尊ウガヤフキアエズノミコト)も本殿(第八殿)の御祭神としてお祀りされています。

紀州の熊野や大峯の山々で修行を重ね、修験道の開祖となった役小角役行者)は、行で得た神秘的な力で衆生救済に携わりますが、民衆を惑わせたという罪により伊豆大島に流され、そのため、役小角の5人の高弟達は熊野本宮大社の神輿を船に載せて瀬戸内海に逃れ、四国・九州に浄域を求めた後、柘榴浜(現在の倉敷市児島)に上陸し、大宝元年3月3日、この地を神域と定めて神輿を鎮座し祭典を執行したと伝わっており、これが熊野神社創建の由緒とされています。

熊野神社

上の写真の左端に写っている社殿が、「日本第一熊野十二社大権現」の額を向拝に掲げている拝殿で、中央奥に写っている社殿は、12殿ある本殿(一列に横に並んで建っています)のうちの一殿です。長い歴史を感じさせる本殿に比べると、拝殿はかなり新しそうな印象を受けましたが、後で聞いた所、現在の拝殿は平成19年に再建されたものだそうです。

熊野神社

上の写真は熊野神社の本殿群で、手前(写真の左)側から第一殿、第二殿、第三殿という順で奥(写真の右側)に続いています。12殿の本殿と、八百萬神をお祀りする萬山護法宮、計13の社殿がこのように一列に並んでいるのですが、建築様式は各社殿によって全く異なっており、北海道ではこういった形式の社殿群を見る事はまず無いため、各社殿をお参りした後、私はこれらの社殿を大変興味深く見学させて頂きました。最も古い第二殿は国の重要文化財にも登録されており、また、それ以外にも5社殿が県の重要文化財に登録されているそうです。

熊野神社は、明治元年神仏分離令によって現在のように神社(宗教法人熊野神社)と天台宗系の寺院(宗教法人修験道五流尊瀧院)とに分離しましたが、その由緒などから元々、かなり神仏習合色の濃いお宮であり、神社と寺院とに分離した現在でも、神社の境内には三重塔(この塔での祭祀は神社ではなく五流尊瀧院が今も執行しているそうです)が建っているなど、神仏習合の痕跡が濃厚に残されているのも、個人的にはとても興味深かったです。熊野神社ではS君が私にいろいろと詳しく解説をしてくれましたが、もう一人の神職さんともお会いしてお話させて頂く事ができ、神職として大変勉強になりました。

かつては、紀州熊野三山熊野本宮大社熊野速玉大社熊野那智大社)になぞらえて、この熊野神社を「本宮」、木見の諸興寺を「新宮」、そして次項で詳しく紹介させて頂く由加神社本宮を「那智宮」として、これら三山が「新熊野山」と称されていた時期もあったそうです。

なお、熊野神社ではブログ(下記URL)も開設しており、現時点で最新の記事である「とんど焼き」というタイトルの記事には、かなり珍しい、火矢による点火の様子を映した動画がアップされています。
http://www.kumano-jinjya.com/blog/


◆由加神社本宮を参拝

熊野神社を参拝・見学させて頂いた後は、S君の自社(S君のお父さんが宮司として奉仕されています)である、「厄除け総本山」「由加大権現本社」としても知られる「由加神社本宮」を参拝・見学させて頂きました。

標高274mの由加山(ゆがさん)山中に鎮座する由加神社本宮は、手置帆負命彦狭知命天之御中主神素盞鳴命、神直日神、倉稲魂命菅原道真公、大綿津見命を御祭神としてお祀りする、二千有余年もの歴史を持つ神社で、全国に52の末社を有し、岡山県下でも特に大きな神社のうちの一社です(初詣参拝者数は三が日だけで約30万人を数えるそうです)。

由加神社本宮は、前項で紹介させて頂いた熊野神社と同様、もしくはそれ以上に神仏習合色が濃厚で、現在でも日本三大権現の一社として「由加大権現」という権現号を用いていて(由加大権現の本地仏阿弥陀如来薬師如来とされています)、境内地も、明治の神仏分離令によって分離させられた寺院(この寺院は真言宗御室派に所属しているそうです)と隣接しており(一般の参拝者にはどこが神社と寺院の境界線となっているのか分からない程一体化して見えます)、また、神様にお参りする前には、拝殿前の参道中央に置かれている香炉にお線香を立てるという慣習も残されており、私にとっては非常に興味深い神社でした。

由加神社本宮

上の写真は、境内に立っている、高さ5.1m、幅5.8mの「備前焼大鳥居」で、その名の通り、備前焼で出来た大変珍しい鳥居です。この鳥居の両側には、備前藩主池田候が奉納された「子連れ獅子」という狛犬(狛獅子)が対になって立っているのですが、こちらも大変珍しい形の狛犬でした(今日の記事の冒頭に貼付の写真がその狛犬です)。

由加神社本宮

上の写真は、岡山県重要文化財にも指定されている拝殿を背景にして撮影されたもので、右端の人物がこの日私を案内してくれた由加神社権禰宜のS君、左端の人物は同神社職員のK君、そして中央が私です。3人とも京都國學院の卒業生で、S君とK君は同期です。

由加神社本宮

上の写真の中央の社殿が、御祭神の鎮まっておられる本殿です。本殿のすぐ後ろには巨岩があり、巨岩を御神体として信仰されてきた由加山の“磐座信仰”を今に伝えています。

江戸時代、四国(香川県琴平町)のこんぴらさん金刀比羅宮)にお参りに行く旅人達は、その途中で由加神社本宮に立ち寄って災難避けや旅の安全祈願等のお参りをしていたそうで、その風習が、両社をお参りすれば御利益を沢山頂けるという「ゆがさん・こんぴらさん両参り」として広まり、現在でも両参りをする人は少なくはないそうです。毎年11月3日には、由加神社本宮と金刀比羅宮の両御神火による由加山火渡り大祭が執り行われており、こういった祭事からも両神社の関係の深さが窺えます。なお、由加神社本宮は日本三大権現の一つとされていますが、この場合の三大権現とは、由加権現、金毘羅権現熊野権現を指します。

ちなみに、由加神社本宮でもブログを開設しています(下記URL)。こちらのブログは、神職さんが書かれている日もありますが、どちらかというと巫女さんが書かれている日の方が多いようです。
http://yugasan.blog58.fc2.com/


◆吉備津神社を参拝

由加神社本宮を参拝・見学させて頂き、同神社境内の由加山会館成就殿で少し休憩をさせて頂いた後、私とS君は倉敷から岡山へと移動し、岡山市内で昼食(岡山名産のきびだんごが入っているうどん)を食べてから、同市北区吉備津の吉備中山(きびのなかやま)という山の北西の麓に北面して鎮座する、備中国一宮・吉備総鎮守・旧官幣中社吉備津(きびつ)神社を参拝・見学させて頂きました。

吉備津神社は、第7代孝霊天皇の皇子である大吉備津彦命(第10代崇神天皇の御世に天皇の命を受けて吉備国に下られ、悪者を平らげて仁政を行い、281歳という長寿で薨去されたと伝わっています)をお祀りする神社で、この神様は古くから吉備国の殖産興業総親神として、また生成育児の守護神として崇敬され、神仏習合の時代には、虚空蔵菩薩に擬せられているように智恵や学業の神様ともしても信仰を集めてきました。神社の創建は、第16代仁徳天皇吉備国行幸された時と伝わっており、延喜式では名神大社に列せられ、三備(備前・備中・備後)の一宮とも称され、古来より全国から崇敬を受けてきました。

吉備津神社

上の写真は、拝殿の前から、拝殿の先にある本殿を望んだ光景で、拝殿と本殿は「吉備津造り」と称される全国唯一の珍しい神社建築として国宝に指定されています。この写真では、大麻のすぐ後ろにある階段)の手前までが拝殿で、階から奥が本殿となっており、本殿内は、手前から奥に向って外陣(げじん)・朱壇(しゅだん)・中陣(ちゅうじん)・内陣(ないじん)・内々陣(ないないじん)という順で段々と高くなっていく多段構造になっています。この写真では小さくて見辛いかもしれませんが、正面奥の、白い御幣が2つ奉安されているの置かれている所が中陣で、その先(金色の御扉から奥)が内陣で、御祭神は、更にその奥の内々陣に鎮まっておられます。

私とS君は最初、拝殿の賽銭箱の前から本殿に向かってお参りさせて頂いたのですが、吉備津神社にはS君の知り合いのUさんが同神社権禰宜として奉仕されている事から、S君が社務所にUさんを訪ねた所、私達はアポなしで突然吉備津神社を訪問させて戴いたにも拘わらず、Uさんは私達二人を正式参拝させて下さり、私とS君はUさんの案内で拝殿へと昇殿させて頂きました。

そして、拝殿で別の神職さんによる修祓を受けた後、私とS君は特別に本殿へも昇殿させて頂き、私は、朱檀に置かれた(ひざつき)の上(大祭などで宮司祝詞を奏上する座)まで上がらせて頂き、そこで本殿に鎮まっておられる神様に玉串拝礼をさせて頂きました。まさか本殿の内部にまで昇殿できるとは思ってもいなかったので、私はびっくりすると同時に大変恐縮してしまいました。ちなみに、以下のページの上から2枚目の図が、吉備津神社本殿の内部図解で、上から3枚目の写真が、私が上がらせて頂いた本殿内の朱檀です。
http://kibitujinja.com/honden.html

更に、私とS君はUさんの詳しい解説を拝聴しながら、本殿内の外陣を歩いて本殿内をぐるっと一周させて頂き、通常の参拝者であればまず見る事のできない本殿の内部構造や装飾、本殿の守護神として外陣の四隅にお祀りされている四小祠などを間近に見学させて頂く事ができました。Uさん、本殿内にまで昇殿させて下さり、また、御多忙の所大変親切丁寧に解説をして下さり、どうもありがとうございました!

吉備津神社

上の写真は、本殿内を見学した後、拝殿(一段低くなっている右側の社殿)と本殿(亀腹という白い基壇の上に建っている左側の社殿)の側面を背にして、Uさんと一緒に撮らせて戴いた写真で、向って右側の人物がUさんです。このように本殿を側面から望むと、本殿の屋根が縦に二分されている事から、一見、吉備津神社の本殿は八幡造りと似たような構造にも見えますが、二棟の建物を前後に連結している八幡造りとは異なり、吉備津造りの本殿は、屋根は八幡造りのように前後二つに分かれているものの、屋根より下の部分は最初から一つの社殿として造られており、社殿の内部は八幡造りのように前後に二分されていません。ちなみに、吉備津神社の本殿と拝殿はどちらも一昨年大規模な修繕が施されており、修繕が終わった一昨年の10月には正遷座祭が斎行されました。

吉備津神社

上の写真は、本殿脇の南随神門(境内に建つ社殿の中では最古の建物で国の重要文化財に指定されています)から境内南側にある摂社の本宮社へと続いている、総延長約400mにも及ぶ廻廊です。坂道を利用した曲線美が美しいこの廻廊は、県の重要文化財に指定されています。

私は、南随神門からこの廻廊を歩いて、廻廊と連絡している御釜殿という社殿(国の重要文化財)へ行き、その御釜殿も外側から見学させて頂きました。この社殿は、本殿の御祭神によって退治された温羅(うら)という鬼の首が埋められているという伝説が伝わる社殿で、ここでは、阿曽女という巫女がお釜の鳴る音の大小長短によって吉凶禍福を占う「鳴釜神事」という神秘的な神事が、今も行われています。この神事は、江戸時代後期に著された近世日本文学を代表する怪奇小説集「雨月物語」(全九編)のうちの一編「吉備津の釜」にも登場する事で知られています。

吉備津神社では、職員のUさんの計らいで思いがけず正式参拝をさせて頂く事ができ、更に、国宝の本殿内に昇殿させて頂いたり、詳細な解説まで聴かせて頂き、とても貴重な経験をする事ができました。


◆吉備津彦神社を参拝

吉備津神社を参拝・見学させて頂いた後は、吉備津神社のすぐ近くの、岡山市北区一宮に鎮座する、備前国一宮・旧国幣小社吉備津彦(きびつひこ)神社を参拝・見学させて頂きました。吉備津彦神社は、吉備津神社が鎮座している吉備中山(きびのなかやま)という同じ山の、北東麓に東面して鎮座している神社で、主祭神吉備津神社と同じ大吉備津彦命です。

神社の創建については明らかではありませんが、社伝によると、吉備津彦神社は推古天皇の御代に創建されたとあり、吉備国備前・備中・備後に分割されて以降、備前国の一宮として特に篤い崇敬を集めるようになりました。神仏習合が盛んになってくると神宮寺や法華堂も建てられ、正宮・本宮・摂末社合わせて51社を数えるようになり、平安時代末期には多数の荘園も抱えていたようです。その後、戦乱の時期には社領の一部を喪失するなどしたものの、鎌倉時代室町時代は将軍家の保護を受け、江戸時代に入ってからも、岡山の地を治めた池田氏からの篤い崇敬を受け、藩主自らが参詣した事などもあって、藩中諸神社の中では筆頭の地位にあったようです。

吉備津彦神社

上の写真は、二柱の門番の神様がお祀りされている随神門から、拝殿を望んだ光景です。随神門は、元禄10年(1967年)に藩主・池田綱政が造営したものです。私とS君は、拝殿の前から本殿の神様にお参りをさせて頂きました。

吉備津彦神社

上の写真は、社殿群を側面から望んだ光景で、扉が開けられている右端の社殿が拝殿で、最も奥に位置する左端の社殿が御祭神の鎮座する本殿です。拝殿と本殿との間には、祭文殿・釣殿・渡殿などの各社殿が建っています。吉備津彦神社では昭和5年、火災により本殿と随神門を除く社殿を焼失し、そのため現在建っている社殿の多くは昭和11年に再建されたものなのですが、焼失を免れた三軒社流れ造りの本殿は、現在、県の重要文化財に指定されています。ちなみに、吉備津神社同様、かついては吉備津彦神社にも釜占い(釜鳴り)の神事が伝わっていたそうですが、現在は中絶しているとの事です。

私にとっては、吉備津彦神社も、今回の旅行ではとても印象に残った神社の一社となりました。


◆黒住教本部の大教殿を参拝

吉備津彦神社を参拝・見学させて頂いた後は、岡山市北区尾上の神道山という丘陵地にある、黒住教の本部へと行ってきました。吉備津彦神社からはすぐ近くにあり、理由は分かりませんが不思議な事に、この辺り(岡山市北区)には、車で数分で移動できる範囲内に吉備津神社吉備津彦神社、黒住教本部、最上稲荷(初詣シーズンは毎年岡山県下最大の参拝者約60万人で賑わう日蓮宗の寺院)など、大規模な宗教施設が固まっているのです。

黒住教は、岡山の神官・黒住宗忠が江戸時代末期(文化11年)に開いた教派神道で、ほぼ同時期に開かれた天理教金光教と共に幕末三大新宗教の一つに数えられ、戦前は神道十三派(政府から宗教団体として公認されていた13の神道系教団)の一つともされ、現在は教派神道連合会を構成する十二教派(出雲大社教・大本・御嶽教黒住教金光教實行教神習教神道修成派神道大教神理教扶桑教禊教)のうちの一教派です。

私とS君は、その黒住教の本部が置かれている神道山へ行き、昭和49年に竣工したという、四方切妻入母屋造りの巨大な本部神殿「大教殿」でお参りをしてきました。下の写真が、その大教殿の正面外観です。

黒住教 大教殿

大教殿の向拝でお参りをしていると、大教殿の中から黒住教本部の職員の方が出て来て、私達に「どうぞ中にお入り下さい」と声をかけて下さったので、折角なのでその御好意に甘え、私達は大教殿の中に入らせて頂きました。大教殿の内部は300畳もの畳が敷かれ、最大で約2,000人を収容する事ができるそうで、私はその巨大な空間に少々圧倒されながらも、大教殿の内部を見学させて頂きました。

大教殿の内部で、改めて正面の御神座(天照大御神八百萬神、教祖宗忠神の三座)に向かって拝礼をしていると、私達はその職員さんから「宗教関係の方ですか?」と尋ねられたので、私が「はい、札幌の神社で奉仕させて頂いております」と答えると、「神社本庁系列の神社ですか?」と訊かれ、「そうです」と答えると、その職員さんは私達に黒住教伊勢の神宮との関係について説明をして下さいました。黒住教主祭神が神宮と同じく天照大御神である事、教祖黒住宗忠が黒住教を立教されてからも神宮への参拝を続けていた事、歴代の教主も教祖に倣って伊勢参りを続けてきた事などから、昭和48年、式年遷宮により古殿となった内宮の古材を大量に下賜され、大教殿はその古材によって造られ、その御神恩に報いるため、黒住教は第61回式年遷宮に奉賛するべく昭和59年から10年間神宮に献納を重ね、現在も、平成25年に行われる第62回式年遷宮に教団を挙げて奉賛している、という事などをお話して下さいました。

他にも、その職員さんはいろいろと丁寧に解説をして下さり、私は有難い事にここでもまた、神職としていろいろと勉強をさせて頂く事ができました。黒住教本部は、行事のある日には全国から参集する信者さん達で大いに混雑するようですが、私達が訪れた日は何の行事も無い日だったらしく境内は閑散としており、とても静かな雰囲気の中、ゆっくりと散策しながら境内を見学させて頂く事ができました。


◆神戸空港から札幌に帰りました

黒住教本部を参拝・見学した後、私は、S君に岡山駅まで車で送って貰い、午後4時頃、年内の再会を約束して岡山駅前でS君と別れ、札幌への帰途に着くため新幹線に乗って新神戸駅へ向かいました。神戸空港から新千歳空港行きの便に乗るためです。

500系新幹線

上の写真は、岡山駅から新幹線に乗る直前、同駅のホームでたまたま見かけた、500系電車により運用されている下り(東京発・博多行)の「のぞみ」です。500系は、既にデビューから13年が経つ電車ですが、まるで戦闘機か近未来アニメに登場する電車のような流線型の特徴的フォルムや、突出した性能の高さ(最高速度は後発の700系よりも実はこちらの方が速いです)などから、未だに子供達からは最も人気の高い新幹線車両で、外国人からも特に“ウケ”のいい新幹線車両なのですが、最新型のN700系との置き換えが進んでいる事から順次「のぞみ」としての運用からは撤退しており、現在、500系の運用による「のぞみ」は一日一往復しか運転されていません。私は、一日一往復しか運転されていないその500系の「のぞみ」に、たまたま岡山駅のホームで遭遇したのです。500系電車そのものは、来月以降も8両編成の「こだま」として運用が続けられますが、16両編成による「のぞみ」としての運用は今月を以て終了するため、最後に岡山駅で16両フル編成の500系の姿を見る事ができ、ちょっと嬉しかったです。

そして私は、新神戸からは地下鉄に乗り換えて三宮へと向かい、三宮からはポートライナーに乗り換えて神戸空港に向かい、午後6時40分発の便で神戸を発ち、今回の2泊3日の旅程を無事に終えました。

今までの旅行もそうでしたが、今回の旅行もまた、密度の濃い大変充実した旅行となりました。いろいろな場所を周る事ができ、また、いろいろな人達を話す事ができ、とても充実した3日間でした。特に、自社で大祭(祈年祭)がある日であったにも拘わらず、祈年祭の奉仕を終えた後、午後4時頃までずっと私に付き合って倉敷・岡山両市の各地を車で案内してくれたS君、本当にどうもありがとうございました!


(田頭)

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