西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

被災地で語られる幽霊話

前回の記事「神職としての研鑽」では、家に幽霊が出て困っている、という相談を電話で受けた事例を紹介しましたが、その相談とは別に関係無い事なのですが幽霊話といえば、私が個人的に以前から気になっていたのは、東日本大震災の被災地で語られている数々の幽霊の目撃談についてです。
一般のメディアではほとんど報道されていないようですが(但し、昨年の夏に全国放送されたNHKスペシャル「亡き人との“再会” 〜被災地 三度目の夏に〜」という番組では、この問題が大きく取り上げられました)、実は、東日本大震災の被災地では、地元住民による幽霊の目撃談が絶えません。

足だけの人影が道路を渡っていたとか、遺体安置所のあった場所から呻き声が聞こえてくるといった類の、恐怖譚として語られる話(但しそういった話の多くは、自身の目撃談としてではなく、知人の知人の経験、という伝聞の形で語られている事が多いようです)も少なくはないようですが、それよりももっと多いのは、亡くなったあの人が目の前に現れた、あの子の声が聞こえた、あの子の気配を感じたといった、深い悲しみの中で大切な故人と再会出来たという遺族自身による体験談です。

被災地で多く語られるようになった幽霊目撃や心霊体験の話は、第三者にとっては恐ろしいものかもしれませんが、被災者にとっては必ずしもそうではなく、幽霊でもいいから亡くなった大切な人と再会したいと切望している遺族もおり、そのため被災地での幽霊目撃談や心霊体験談の中には、幽霊となった大切な人や家族と再会を果たし、もしくはその気配を感じ、慰められたり励まされたりした(あるいは、絶望から立ち直るきっかけになった)という感動的なエピソードもあったりします。
幽霊となった大切な故人との邂逅は、いつまでも認める事が出来なかった故人の死を、遺された者が受容するために必要なステップ(儀礼)である事もあるのです。

勿論、そういった身内の幽霊話ばかりではなく、多くの人が亡くなった場所や遺体が安置されていた場所などでは、どこの誰か分からない死者の幽霊を見て戦慄した、という話も語られていますが、しかし、そもそも被災地、特に津波により甚大な被害を受けた一帯では、地元の住民達は震災直後、あちこちで無数の遺体を目の当たりにし、また、行方不明の家族を探して遺体安置所もまわるなどし、結果的に、望む望まないに関係なく数え切れない程多くの死者と直接向かい合わざるを得なかったわけですから、住民や被災者のそういった震災時の体験を踏まえると、被災地で語られる幽霊の目撃談は、何ら特別な事ではなく、その事情を鑑みるとむしろ自然な事なのではないかとさえ思えます。
被災者の中には、自分が体験した心霊体験が異常な事であると感じ、誰にも相談出来ずに悩んでいる方も多いと聞きますが、そういった相談を受ける側の人には、多くの人が亡くなった被災地での幽霊目撃や心霊体験は、決して異常な事ではなく、むしろ自然な事である、という前提で相談を受けとめる大らかな姿勢も必要なのではないかと思います。

なかには、実際には見ていないのに、見間違いや勘違いなどで、幽霊を見たと錯覚してしまった、という事例も少なくはないと思います。
しかし確実な事は、幽霊を実際に目撃しようがそれが単なる勘違いであろうが(もっと極論すると、そもそも幽霊がいようといまいと)、幽霊の存在を感じ、それによって悩んだり苦しんだり(場合によって逆に救われたり)している人がいるという事実であり、そういう人達の悩みに応えている宗教者もいるという事です。

霊的な悩みは、行政の担当者や医療関係者には打ち明けにくい事から、主に、地元の神社仏閣教会等で奉仕している現地の宗教者達や、各宗派や教団等から被災地に派遣されたボランティアの宗教者達が、そういった相談にのったり対処をしたりしているようですが、おおよその傾向として、日頃から除霊や加持祈祷を行う機会の多い密教(特に真言宗)系や日蓮宗系の僧侶はそういった対応に慣れているらしく、反面、浄土宗系や浄土真宗系の僧侶は、幽霊や霊魂などは全く根拠のないもの、として対応している人が少なくないようです。
特に浄土真宗は、「亡くなった方はこの世でのはたらきを終えて、阿弥陀如来様のお浄土へ還られる」という教えもあって、故人が幽霊になる事はない、そもそも幽霊は存在しない、幽霊とはその人の心の中の恐怖・悲しみ・苦しみを他のものにおしつけた表現の一つである、としているため、真宗関係者にはその傾向が強いようです。

そこまで明確に幽霊を否定しなくても、そもそも宗教者の中には、霊的な話題というものを嫌う人もおり(新宗教よりもむしろ伝統宗教の宗教者に多いかもしれません)、現実には宗教者によってその対応は大きく個人差があります。ただ全体的な傾向としては、多分、神社神道神職や、キリスト教の神父・牧師なども、そういった相談への対処はあまり慣れていないと思います。
宗教者としては(そういった相談の対処に慣れていない私自身の立場としても)、何とももどかしい所ではあります…。

以前、宗教新聞の「中外日報」紙上で、「大きな災害は、風化させるものではなく浄化させるものだ」「震災は忘れるのではなく、喪に服していく事で、不条理に亡くなった犠牲者と“和解”を果していく事が重要」という言葉が紹介されていましたが、私としては、そういった言葉も噛み締めた上で、宗教者には相談者の悩みを正面から受け止めるだけの器量や技量が求められるという事(とはいっても全てをそのまま受け入れるのではなく、場合によっては、それは単なる思い込みですよ、あなたの気の迷いですよ、とはっきり言う事だって必要だと思います)を痛感している、今日この頃です。

最後に、前回の記事「神職としての研鑽」に関連して一言補足すると、こういった幽霊話への対処については、神職養成機関や階位検定講習会では全く何も教えてくれません。そもそも教科書で学べるような事ではなく、これは現場で実践を積むしかありません!

(田頭)

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