西野神社創祀百三十年臨時大祭・記念事業竣工奉告祭
このブログでも今まで何度か触れてきましたが、西野神社は今年、明治18年の御創祀から丁度130年を迎えました。
そのため、創祀130年記念事業として、境内の石畳工事(第一駐車場・授与所前・創祀百二十年記念碑周りの地面に御影石を敷設する工事)、掲示板の改修工事(老朽化の著しかった旧掲示板を撤去し、新たに大型の掲示板を設置)、西野神社氏子青年会の結成、創祀130年記念誌の作成を行ってきましたが、これらが全て無事に完遂した事を受け、本日、大祭式にて「西野神社創祀百三十年臨時大祭・記念事業竣工奉告祭」が執り行われました。
来賓の方々、総代長以下各総代さん達、各崇敬会の会長さん達など、約40人の方々に御参列戴きました。
上の写真 及び 以下の写真はいずれも、今日の午前10時から斎行された、「西野神社創祀百三十年臨時大祭・記念事業竣工奉告祭」の様子です。
宮司が斎主として、松澤権禰宜と越川権禰宜が祭員として、それぞれ奉仕致しました。私は、浄衣を著けて典儀(司会)兼写真撮影所役として奉仕させて頂きました。
以下の写真2枚は、神事を終えた後、その場で参列者の皆様方に挨拶をする、当社の大坊総代長と須浪宮司です。
宮司挨拶の後は、御奉賛者を代表して株式会社クリーンリバー代表取締役社長の古川浩二様に、宮司より感謝状と記念品を贈呈させて戴きました。
参列者の皆様方に御神酒をお受けになって戴いた後は、拝殿前で記念撮影をしました。この写真はクリックすると拡大表示されるので、是非拡大表示の上御覧下さい。
記念品も用意させて頂きました。いずれも非売品で、西野神社創祀130年記念事業に御奉賛戴きました方々に頒布させて頂きます。
同事業に御奉賛戴きました377人の方々には、心より感謝申し上げます。皆様方の御奉賛のお蔭を以ちまして130年記念事業を無事完遂する事が出来ました!
この度の祭典では直会は設定しておらず、拝殿前での写真撮影終了を以て解散となり、その後は、竣工となりました境内を各自御散策戴きました。
なお、本日の西野神社創祀百三十年臨時大祭・記念事業竣工奉告祭の様子は、「西野神社アルバム」の、平成27年8月「西野神社創祀百三十年臨時大祭・記念事業竣工奉告祭 」のページ(下記URL)にも写真を多数アップしておりますので、こちらのページも是非御覧下さい。
http://f.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/270830%20%E8%87%A8%E6%99%82%E5%A4%A7%E7%A5%AD/?sort=old
西野神社の創祀130年を記念して、本年から遡る事10年前の平成17年に行われた創祀120年記念式典(創祀百二十年記念大祭、御影石の参道渡り初め、創祀百二十年記念碑除幕式、創祀百二十年祝賀会)の様子も、以下に写真で紹介させて頂きます。
私は西野神社に平成16年から奉職しているので、私にとっては奉職2年目の出来事でした。
下の写真は、創祀百二十年祝賀会の会場で撮影された、当時(平成17年6月)の当社総代・神職の集合写真です。この写真はクリックすると拡大表示されるので、是非拡大表示の上御覧下さい。
下の写真は、この時除幕された創祀百二十年記念碑です。一辺が1.2m、高さ1mの六角形の台座の上に、西野神社御祭神の安産の御利益に因んで安産の象徴とされる犬(親犬1匹と子犬12匹の計13匹)の石像が配置されています。
下の写真は昨年(平成26年)撮影されたものですが、このように参拝者の方々は、健康・子宝・安産・その他の願意を祈念しながら犬の石像をよく撫でていかれます。
ちなみに、創祀120年記念事業の具体的内容は、「それまで砂利道であった表参道(鳥居から拝殿前まで)と、それまでコンクリートだった拝殿向拝下に御影石を敷設する工事」「それまで道の無かった、参道から神輿殿までの間に砂利道を新設する工事」「神楽殿から、参道や駐車場方面に電気配線を延長・埋設する工事」「創祀百二十年記念碑の建立」「創祀百二十年記念誌の発行」でした。
西野神社の創祀130年を記念して、西野神社の御社殿(拝殿正面の外観)の変遷の様子を、以下にイラストや写真で紹介させて頂きます。
まず下のイラストは、当社創建当時(明治18年)の様子を想像して描かれたイラストです。
残念ながら当時の記録はほとんど残っておらず、そのためこれはあくまでも想像図に過ぎないのですが(実際どのような形の社殿であったのかは不明です)、しかし当時の当社の社殿は、「社殿」というよりは、この絵に描かれているような「小祠」の類だったと思われます。
下の写真は、明治時代後期〜大正時代にかけての当社の社殿です(具体的に何年に撮影されたのかは不明です)。
御鎮座から14年を経た明治31年、西野神社を正式に西野・平和・福井の鎮守(氏神神社)として認めて貰う議が起こり、その認可を受けた翌年、社殿の造営が進められたと記録にある事から、この写真はそれ以降に撮影されたものと思われます。掘っ立て小屋のような質素な社殿ではありますが、上の想像図に比べると、格段に立派な社殿に発展しています。
下の写真は、昭和42年に造営された社殿です。
大正5年に社殿が新築されてから50年の年月が経ち、社殿の老朽化が著しく進んでいたため、札幌市と手稲町の両市町が合併した昭和42年に、半世紀ぶりに社殿が建て替えられました。本殿遷座祭は同年11月21日午前零時に斎行されました。
下の写真は、昭和58年に増改築された拝殿です。
この増改築工事は、西野神社創祀百年記念事業として行われ、幣殿の造営、拝殿の増築、神饌所の増築、社殿の屋根の銅板による葺き替え、回廊や欄干の増設などが行われて、社殿の様相は一新されました。また、社務所の新築、神札所・物置・渡り廊下の改築、ガレージの移設、手水舎改装等の工事も同時期に併せて行われました。
下の写真は、平成17年春、当社の創祀百二十年記念事業として行われた、拝殿向拝下・参道への御影石敷設工事を終えた後に撮られた拝殿の写真です。
参道は砂利から御影石の石畳へと変わり、欄干も御影石製のものに変わりました。また、それまでコンクリートが剥き出しとなっていた向拝の階段にも、御影石が敷設されました。
下の写真は、数日前に撮影したばかりの、現在の拝殿正面外観です。
向拝の直ぐ下に木彫装飾が取り付けられ、向拝を支える2本の柱には根巻金具が取り付けられました。また、拝殿に向かって参道の直ぐ左側の地面も、砂利から石畳へと変わりました。この石畳は、授与所前や第一駐車場全面まで続いています。
(田頭)