西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

平成29年 新嘗祭

戦前や戦中は「新嘗祭」(にいなめさい)という名の祭日で、戦後は「勤労感謝の日」という名の祝日に改められた、11月23日の今日、当社では例年通り午前11時から大祭として「新嘗祭」が執り行われました。
また、これも例年通りですが、新嘗祭に先立って午前9時半からは、参集殿にて総代会の定例会議も開かれました(この会議は、毎年新嘗祭の日に合わせて開催されています)。

ちなみに、下の写真は新嘗祭当日の今朝撮影した、当社拝殿の外観や拝殿前参道などの様子です。今は、昨日までに降った雪が雨によってかなり融けかけている状態ですが、予報によると明日からはまたかなり寒くなるようなので、もしかするとこれらの残雪は、完全には融けないでそのまま根雪(春先まで融けない長期積雪)になるかもしれません。

平成29年11月23日 西野神社の境内


本日の総代会の会議では、開会に当たって先ず大坊総代長須浪宮司がそれぞれ挨拶をし、それから、本年の秋まつりの関連報告や、どの神社にとっても例祭時期と並んで年間最大の繁忙期となる年末年始の事業計画(1月15日のどんど焼きやその準備等も含む)についての協議・確認などが行われました。

平成29年11月23日 西野神社 総代会

平成29年11月23日 西野神社 総代会


そして、総代会の会議が閉会した後、午前11時からは社殿に於いて、平成29年中では当社最後の大祭となる「新嘗祭」の神事が執り行われました(中祭は来月も執り行われますが、当社での大祭は、本年中としてはこれが最後です)。

この新嘗祭とは、その年に収穫された新米や新酒などを天地(あめつち)の神様に捧げて、天皇陛下と国民が一体となって神々に五穀豊穣を感謝し神威を蒙る、我が国の代表的な農耕儀礼、国民的な祭典として、古代より連綿と受け継がれ執り行われてきた祭典で、宮中や、伊勢の神宮をはじめとする全国各地の神社では、斎行される時間に差異はあれども本日一斉に、新嘗祭が厳粛に斎行されます。
新嘗祭は、古代に於いては重要な国家儀礼のひとつでしたが、現在の神社神道に於いても、前述のように「大祭」「中祭」「小祭」の3つの祭祀区分では最も重儀の「大祭」に位置付けられております。ちなみに、「新嘗」とは、その年に収穫された新しい穀物の事です。

ここで、宮中での新嘗祭についても少し説明させて頂きます。
宮中の新嘗祭は、天皇陛下御自らが五穀の新嘗を、宮中奥深く御所にほど近い神嘉殿という殿舎にお供えして、天照大御神様をはじめとする天神地祇に神恩を感謝された後、陛下御自らもお召し上がりになる神事として御親祭遊ばされ、皇族の方々や、総理大臣・衆参両院議長、最高裁判所長官なども参列されます。
宮中での新嘗祭のうち「夕(よい)の儀」が始まるのは、この時期としては辺りがすっかり暗くなる午後6時で、天皇陛下は侍従に松明(たいまつ)で足元を照らされて(明かりはその松明のみ)神嘉殿に入られますが、その夕の儀が終了するのは午後8時で、更に午後11時からは同様の次第で翌24日の午前1時まで「暁(あかつき)の儀」が執り行われ、つまり、これらの神事は各2時間、計4時間にも及びます。
しかも陛下は、御高齢の御身でありながら、暖房も無く寒い神嘉殿で、御祭服(ごさいふく)という重く動きにくい装束を著けられたまま大半の所作を正座されて行われるため、宮中の新嘗祭は、数ある宮中恒例祭祀の中で最も重要な祭典(大祭)であると同時に陛下にとっては最も過酷な儀式のひとつとも云われています。
ちなみに、年毎の新嘗祭に対して、天皇の即位後、宮中で初めて行われる一世一代の新嘗祭は特に「大嘗祭」(だいじょうさい)と呼ばれ、年毎の新嘗祭とは区別されています。

西野神社新嘗祭に話しを戻しますが、今日の当社での新嘗祭には、例年同様、当社の松澤権禰宜が親族の方々と一緒に札幌の隣町・当別町にある500坪程の水田で自作したお米12〜13俵程のうち、約30kgが大前に奉献されました。
以下の写真はいずれも、新嘗祭に合わせて当社に奉献されたそれらのお米です。

平成27年11月 新嘗祭奉献米

平成29年11月 西野神社新嘗祭 松澤家からの奉献米

下の写真は、北海道神社庁札幌支部から、当社を含む同支部管内各神社に奉献された稲穂です。この稲穂は、管内各神社の新嘗祭に奉献するため、江別市内にある札幌支部神饌田で収穫されたものです。

平成27年11月 新嘗祭奉献米


当社で斎行された今日の新嘗祭には、招待者の方々(当社氏子区域内各地区の農事組合長さん達、西野神社萬燈保存会西野神社神力會西野神社敬神婦人会の各代表者)、当社の責任役員の方々、総代長以下総代の方々など、40名近くの方々が参列して下さいました。
以下の写真はいずれも、今日の新嘗祭で撮影された、同祭が斎行されている様子です。宮司による祝詞奏上の後は、例年通り、神社本庁制定祭祀舞のひとつである朝日舞私が演舞奉納させて頂きました。

平成29年11月23日 西野神社 新嘗祭

平成29年11月23日 西野神社 新嘗祭

平成29年11月23日 西野神社 新嘗祭

平成29年11月23日 西野神社 新嘗祭

平成29年11月23日 西野神社 新嘗祭

なお、来月の自身の誕生日を以て西野神社を定年退職する松澤権禰宜にとっては、当社の常勤職員としては今日が最後の大祭奉仕となりました。
松澤権禰宜、23年弱にも及ぶ西野神社神職としての神明奉仕、大変お疲れ様でした!


そして、新嘗祭の後、午前11時45分頃からは参集殿にて、昼食を兼ねた直会(なおらい)が開かれました。
この直会では、下の写真に写っている、滋賀県新嘗祭御神酒謹醸蔵で作られた新嘗祭専用の御神酒「白酒」(古式ゆかしく醸します濁酒で独特の風味を持つお酒)を、大前よりお下げして出席して下さった皆様方にお分かちしました。

平成25年 新嘗祭白酒

直会に出席して下さった皆様方は、御神酒やその他のお酒を飲みながら、大いに懇親を深められていたようでした。ちなみに、下の写真の3枚目は、開宴の乾杯の前に皆様方に、定年退職を迎えるに当たっての挨拶をしている松澤権禰宜です。

平成29年11月23日 西野神社新嘗祭 直会

平成29年11月23日 西野神社新嘗祭 直会

平成29年11月23日 西野神社新嘗祭 直会


なお、今日の総代会の会議と、新嘗祭やその直会の様子を写した写真は、「西野神社アルバム」の平成29年11月「総代会、新嘗祭直会」のページ(以下のURL)にも多数掲載させて頂きましたので、宜しければこちらも御覧下さい。
http://f.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/291123%20%E6%96%B0%E5%98%97%E7%A5%AD/?sort=old


ところで、最後に「新嘗祭」と「勤労感謝の日」の関係についても少し触れておきますが、結論からいうと、同日でありながら両者にはほとんど関係性や繋がりはありません。
そもそも宮中の新嘗祭の主旨は、「天皇陛下が大神様に五穀豊穣を感謝する」事にあり、それに対して勤労感謝の日は主旨は、「勤労を尊び生産を祝い、国民が互いに感謝し合う」事にあり、全く違うものだからです。
新嘗祭神道色が濃厚であった事から(というより、神道の祭典そのものでした)、戦後、GHQの指示により祭日としては廃止される事になり、それに伴い、祝日の勤労感謝の日がたまたまその日に振り当てられたのです。ですから、勤労を感謝する(働いている人に感謝の気持ちを伝える)という主旨は大いに結構な事ですし、私もその主旨には賛同しますが、勤労を感謝するその記念日が11月23日である必然性は、実際には何もありません。
神様の恵みに感謝する日に、人間の勤労に感謝するというのは、本来であればちょっとおかしな話でもあるのです。

なお、神社によっては、新嘗祭を「勤労感謝祭」「新穀勤労感謝祭」「新嘗祭並新穀勤労感謝祭」などの名で執り行っている所もあり、実際当社も、8年前までは長らく新穀勤労感謝祭の名で斎行していました。
占領下の日本は、神社祭式や祝詞にまでGHQの目が厳しく光る時代であったので、「勤労感謝」という祭典名は、そういった過酷な状況の中で何とか新嘗祭を残そうとした当時の神社関係者達の懸命な努力(良い意味での妥協)の結果であったのかもしれませんが、戦後70年以上経った今となっては、新嘗祭の名をあえて勤労感謝という言葉に置き換える意義は薄いため、当社の場合は、古儀に倣うと共に神社本庁の神社祭祀規程に基づき平成21年から、祭典名を「新嘗祭」に復しました。


(田頭)

人気blogランキングへ