神力會により煤払いが行われました
昨日(土曜)と今日(日曜)の2日間、神社は特に忙しかったです。
昨日は、土曜日と戌の日(十二支の戌に当たる日)が重なった事から、社殿では安産祈願の御祈祷が朝から夕方近くまでずっと続き、それに加え、外祭(地鎮祭、竣工祭、霊祭、事務所開きのお祓いなど)の奉仕も複数お受けしていたため、この時期連日行っている所謂“年末年始に向けての諸準備”は一時中断せざるを得ない程でした。
そして今日は、御祈祷の件数は昨日に比べると大分少なかったですが、午前11時から、当社の神輿会「西野神社神力會」の会員さん達の御奉仕により、12月恒例行事の「煤払い」(すすはらい)が行われました。
煤払いとは、新しい年を清々しい気持ちで迎えるため、煤や埃を払って清める“年末の大掃除”の事を云い、建物の内外を掃いたり拭いたりして綺麗にするのですが、単なる“年末の大掃除”ではなく、一年間の厄を祓い落として歳神様(としがみさま)というお正月の神様をお迎えするための宗教的な習慣・行事でもあります。
江戸時代は12月13日に煤払いを行うのが一般的で、当時は熱源として薪を焚いていたため家中に煤が付き、そのため、神様は穢れを嫌う事から歳神様をお迎えするために普段は行なわない天井の煤まで掃除をする必要があり、笹の束や羽根などを先端に取り付けた特製の煤竹で煤払いが行われていました。そしてこの時は、神棚もいつも以上に入念に掃除をします。
下の写真は、煤払いで使うため、毎年煤払いの前日に当社の神職によって作られる特製の煤竹(予め刈ってきた笹竹の先に葉や藁などを付けたもの)です。
現在、一般の家庭で行われている年末の大掃除は、新年を迎えるに当たっていつもよりは丁寧に掃除をする、という程度の軽い意味合いで行われているのが実態で、前述のような宗教的な意味合いはほとんど失われており、日にちについても特に明確に定められる事く行われていますが、江戸時代の煤払いはお正月の準備にとりかかる節目の日とされていて、その日から物忌み(神事を執行するために一定期間心身を清浄にし、宗教的タブーを犯さぬようにする事)が始まっていました。
今日当社で行われた煤払いでは、神力會の会員さん達によって拝殿向拝の梁や軒下に溜まった一年分の塵や埃が払い落され、更に、拝殿・参集殿・社務所などの窓ガラスも全てピカピカに磨かれ、台所やトイレもいつも以上に丁寧に清掃されるなど、境内全域及び各建物で大掛かりな掃除が行われました。
また、掃除と合せて、授与所や手水舎などの屋根に積もった雪の除雪作業も行われました。ちなみに、当社周辺地域(西野一帯)は、今月7日から根雪(春先まで溶けないであろう長期積雪)になりました。
そして煤払いの後は、参集殿に於いて、昼食を兼ねて神力會の忘年会が開かれました。今日のその忘年会の様子は撮影していないため、以下の写真2枚はいずれも過去の神力會忘年会の様子ですが、今年の忘年会も例年通り、このような感じで大いに盛り上がりました。神力會の皆様方、今年一年間お疲れ様でした!