西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

令和の御代初めてとなる西野神社秋まつり(その2)

令和の御代初めてとなる西野神社秋まつり(その2) 表紙

今月の14~15日にかけて2日間に亘って行われた、本年の「西野神社秋まつり」については、1本の記事にまとめてしまうと相当長くなるであろう事から、「その1」「その2」「その3」の3本の記事に分けてこのブログにアップする事とし、今回の記事「その2」は、秋まつり1日目の日程とその内容をまとめた前回の記事「その1」の続きに当たる内容となります。

具体的には、今回の記事「その2」では、秋まつり2日目の、主に前半(午前中と、お昼過ぎ頃までの日程・様子)について、写真や動画と共に詳しく報告させて頂きます。なお、秋まつり2日目の後半(主にお昼過ぎ以降の日程・様子)について、すなわち今回の記事の続きは、次回の記事となる「その3」で報告させて頂きます。

秋まつりの2日目は、当社にとっては年に一度の例祭(その神社にとって最も由緒のある日に行なわれる大祭の事で、他の諸祭事とは区別された特別な祭事)の日であり、私達西野神社の神職にとっては、年間で最も参拝者数が多く家内安全の御祈祷などが集中する元日や、特に厄祓いの御祈祷が集中し午後からは豆撒きも行われる2月の節分の日などと共に、この日は一年を通して最も忙しい日のひとつです。

ちなみに、当社の例祭日は、平成15年までは常に「9月15日」でしたが、翌16年からは、祝日の「敬老の日」が移動した事に伴い、毎年「 “敬老の日” の前の日曜日」に例祭を執り行うのを通例としており、つまり、その通例に従って例祭日は毎年変動するようになりました。しかし本年については “敬老の日” の前の日曜日がたまたま15日であるため、例祭日も、変動前の日にちである9月15日と一致する事になりました。

 

令和元年 西野神社 秋まつり日程(2日目)



⑧ 例祭(例大祭

神社の恒例祭祀は「大祭」「中祭」「小祭」の三つに区分されるのですが、この日は午前7時50分から社殿にて、その三つの区分のうち最上位の大祭式にて、「令和元年 西野神社例祭」が執り行われました。

宮司以下私達神職衣冠(正服)を、総代長と、猿田彦命恵比須様・大黒様の各奉仕者は狩衣を、本神輿に供奉する総代さん達は格衣を、それ以外の総代さん達は背広を、本神輿に供奉する各町内地区代表の方々は 裃(かみしも)を、来賓や各崇敬会代表の方々は背広もしくはそれに準じた服装をそれぞれ着装した上で、奉仕もしくは参列し、粛々と本年の例祭が斎行されました。

西野神社例祭

当社の例祭は、例祭前夜に斎行される宵宮祭と比較すると、式次第から「献幣」が無くなり(神社本庁幣帛や総代幣帛は、宵宮祭から大前に上がったままです)、「神楽奉納」(巫女装束を著けた稚児2人により奉納される舞)も無くなるため、所要時間としては実は宵宮祭より例祭のほうが短くなるのですが、神事の重さとしては当然、「中祭」の宵宮祭よりも「大祭」である例祭のほうが上位となります。
秋まつりの2日目は、1日目に比べると執り行われる神事・行事等の数は増えるのですが、2日目に行われるそれらいくつもの神事・行事は、毎年常にこの例祭からスタートしており、つまりこの例祭は、当社にとっては秋まつり全2日間の中で最も重要な神事であると共に、秋まつり2日目の開始を告げる神事でもあるのです。

ちなみに、本年の例祭にも、例年同様、現職の衆議院議員や札幌市議会議員の先生方(いずれも代理ではなく御本人)が、来賓として参列して下さいました。

西野神社例祭
西野神社例祭
西野神社例祭

戦前は、神社の例祭には、官国幣社以下村社に至るまで、勅使または幣帛供進使が参向し幣帛が奉られていましたが、戦後、神社に対しての国からの奉幣の制度は全廃されました。しかし、特に皇室との関わりが深い一部の神社の例祭には今も皇室から勅使が差遣されており、また、国からの幣帛供進制度は神社本庁がその主旨と伝統を継承し現在は神社本庁が、本庁包括下にある全国の神社(勿論当社も含まれます)の例祭に献幣使を参向させ、本庁幣(神社本庁幣帛)が奉られています。
当社の場合、年間行事の中で本庁幣が奉られるのは、原則として、この秋まつり(1日目の宵宮祭と2日目の例祭)だけです。

ちなみに、この秋まつりで斎行される当社例祭は、「秋季例祭」と称される事もあり、「春季例祭」や「春まつり」など称される4月25日の大祭とは、祭事名としては対になっており、どちらも大祭であるという共通点もあります。
しかし、神社本庁の定める神社祭祀規程で掲げられている、年に1回の「例祭」に当たるのは、当社の場合は9月の例祭のほうであり、単に「例祭」もしくは「例大祭」といった場合、当社では例外無く9月の大祭を指し、春季例祭を略して例祭と呼ぶ事はありません。

 

本年の例祭の様子を写した写真は、「西野神社アルバム」(以下のページ)にも多数掲載しておりますので、こちらも是非御覧下さい。
http://nishinojinja.or.jp/photo/r010915c.htm



⑨ 御神輿の宮出し

当社が所有する3基の御神輿のうち、子供神輿だけは、午後3時から境外にある昭和会館より発輿しますが、本神輿(京神輿)と担ぎ神輿(江戸神輿)の2基については、例年通り午前9時に当社より発輿致しました。

発輿(宮出し)に先立ち午前8時45分頃には、神職が、担ぎ神輿と同神輿に供奉する担ぎ手の皆さん方を拝殿前でお祓いし、その直ぐ後、大坊総代長西野神社神力會の前鼻会長が担ぎ手の皆様方に一言挨拶をされ、そして定刻通り午前9時頃、宮出しとなりました。

神輿渡御に先立つ修祓
神輿渡御に先立つ修祓
総代長挨拶
神力會会長挨拶
発輿
発輿

ちなみに、本神輿には毎年常に宮司が供奉しますが、担ぎ神輿には、当社の権禰宜3人のうちの一人が年毎に交替で供奉しております。

 

ところで、このブログをいつも読んで下さっている読者さんにとっては「何を今更…」という話かもしれませんが、ネットで検索してたまたまこの記事がヒットし今初めてこのブログを読んでいる、という方もいらっしゃるかもしれませんので、改めて説明させて頂きますが、そもそも御神輿(おみこし)とは何なのか、というと、一言でいうと「神様に乗って戴くための輿(こし)で、ようは、御神霊が一時的に鎮まる、神様のための乗り物」です。
そして、その御神輿が、人々に担がれて、もしくはトラックや台車などに載せられて、その神社の氏子区域や町内などを回る事を、「渡御」(とぎょ)もしくは「神幸」(しんこう)あるいは「巡幸」(じゅんこう)といい、一般には渡御と言われる事が多いです。

神輿渡御の目的は、神社によっては違う事もありますが(例えば、神様が初めてその神社で祀られるようになった事跡や歴史的事実を再現して行なう、神様に縁故のある地を巡るなど)、当社の場合は、「普段は神社の御本殿奥深くに鎮まっておられる神様に、年に1回の例祭の日だけは御神輿に乗って外へと出て戴き、氏子区域の現状や発展の様子などを御神輿から直接御覧戴き、氏子区域内各所を神幸する事で同区域内の人々や家々、各会社・各お店などにも御神徳を分けて戴く」という事を主目的に、毎年例祭日(秋まつり2日目)に神輿渡御を行なっております。
神様が氏子区域内の各所を神幸する事で、人々は神様の御神威を受けて活力を得、また神様もその様子を御覧になって喜ばれるのです。
前項⑧でも述べた通り、2日間に及ぶ当社秋まつりの神事・諸行事の中で最も重要なのは「例祭」ですが、私の認識では、この神輿渡御は、宵宮祭・遷霊祭還御祭などと共に例祭に次いで特に重要な神事・行事といえます。

 

なお、御神輿が神社の本殿や拝殿、もしくは所定の位置(神輿殿、神輿庫、御旅所など)から出発する事は「発輿」(はつよ)といい、特に神社の境内から出発する事は「宮出し」(みやだし)といいます。ただ、世間一般では発輿よりも宮出しという言葉のほうが認知されているため、神社以外の場所から出発する場合でも、御神輿が出発する事は総じて宮出しといわれる傾向があります。
逆に、御神輿が渡御を終えて神社に戻ってくる事は「宮入り」(みやいり)といいます。

ちなみに、発輿、宮入り、宮出しなどは、いずれも「御神輿」を主体とした言い方であり、御神輿よりも、その御神輿内の御神座に一時的に鎮まられる御神霊に着目した言い方としては、「出御」(しゅつぎょ)「還御」(かんぎょ)等があります。 この場合の御(ぎょ)とは神様の事で、神様が御神輿(もしくはそれに類するもの)にお乗りになって出発する事を「出御」、逆に、神様が御神輿等に乗って神社へと戻って来られる事を「還御」といいます。
ですから、全く同じ意味ではありませんが(ニュアンスは違いますが)、少なくとも神輿渡御に於いては、「宮出し」と「出御」、「宮入り」と「還御」は、それぞれほぼ同じ意味で使われる事が多いです。

 

下の動画は、この日の当社での担ぎ神輿の宮出しと、その直後(神社前の市道での渡御)の様子を映したものです。例年通り、本年も大変勇壮で活気のある宮出しとなりました。



⑩ 本神輿を中心とした神幸行列

本神輿(トラックの荷台に固定された京神輿)を中心とした神幸行列は、午前9時から午後4時頃まで、萬燈保存会の方々の方々が奏でる祭囃子と共に当社氏子区域を神幸致しました。
この神幸行列は、西野神社を出御してから平和第二会館に至るまでの区間(神輿渡御の最初の約30分間)と、昭和会館前を出御してから西野神社に還御するまでの区間(神輿渡御の最後の約1時間)は「徒歩による隊列」となり、それ以外の区間では、「車両を中心とした隊列」になりました。

下の図は、「徒歩による隊列」の形態図です。この図はクリックすると拡大表示されますので、興味のある方は拡大表示させて御確認下さい。

令和元年 神輿渡御 行列図(徒歩)

下の図は、もう一方の形態である「車両を中心とした隊列」の形態図です。小さくて見辛いとは思いますが、この図もクリックすると拡大表示されますので、興味のある方は拡大表示の上御確認下さい。

令和元年 神輿渡御 車両隊列形態図(本隊)

 

そして、西野福祉会館でのお昼休憩の後(午後2時15分から)は、この「本神輿を中心とした神幸行列」に担ぎ神輿の隊列も合流し、更に午後3時からは子供神輿の隊列も合流し、渡御の最後の1時間(午後3時から4時にかけて)は3基の御神輿が一隊となり、全員徒歩による神幸行列となって神社へ還りました。

猿田彦命奉仕者(西野神社神幸行列)
神幸行列本隊
神幸行列本隊
神幸行列本隊
神幸行列本隊
神幸行列本隊
秋まつり(福井のサツドラでの万灯演奏)

 

本神輿を中心とした神幸行列の様子を写した写真は、「西野神社アルバム」(以下のページ)にも多数掲載しておりますので、こちらも是非御覧下さい。
http://nishinojinja.or.jp/photo/r010915g.htm



⑪ 担ぎ神輿の渡御(午前)

担ぎ神輿(江戸神輿)は、何度かの神事休憩を挟みながら、午前9時から午後4時まで、当社氏子区域を神幸致しました。当社の神輿会「神力會」の他、札幌の市内・近郊を始め道内各地から各神輿会の方々が助勢・遠征に来て下さり、賑々しく勇壮に神輿渡御が行われました。
この項⑪では、午前9時から午後4時まで7時間(但し休憩時間等も含む)にも及んだ担ぎ神輿の渡御のうち、主に前半(神社を発輿してから、駐御祭やお昼休憩が行なわれる西野福祉会館に到着する直前まで)の様子を写した写真や、動画をアップさせて頂きます。

なお、この担ぎ神輿の隊列は、前項⑩でも述べたようにお昼休憩の後は、本神輿を中心とした神幸行列と合流して一緒に神社へ還るのですが、午前中は、途中で何回か合流する事はあるものの多くの区間では本神輿とは別ルートで渡御致しました。

担ぎ神輿の渡御
担ぎ神輿の渡御
担ぎ神輿の渡御
担ぎ神輿の渡御
担ぎ神輿の渡御
担ぎ神輿の渡御

上の各写真では小さくて分かり辛いと思いますが、本年は担ぎ神輿の屋根の軒下に、北海道神社庁一区教化委員会の事業品である「天皇陛下御即位・令和の御大禮の奉祝記念綬」が飾り付けられました。
御神輿正面の向かって左側には「奉祝 天皇陛下御即位」(裏面は「聖壽無窮 國土安穏」)、向かって右側には「奉祝 令和の御大禮」(裏面は「國安かれ 民安かれ」)と、それぞれ紫地に白字で記された記念綬が垂らされました。

 

ちなみに、午前9時の宮出しから午後4時の宮入りまでの間ずっとトラックの荷台に固定されている「本神輿」と違い、「担ぎ神輿」は、渡御順路の多くの区間で、担ぎ手の皆さん方に直接担がれるか、もしくは専用の台車に載せた上で担ぎ手の皆さん方に人力で牽引されましたが、長距離移動を伴う一部の区間では、下の写真のようにトラックの荷台に載せた形での渡御も行われました。
その際は、担ぎ手の皆さん方には当社で用意した専用の大型バスに乗って戴き、担ぎ神輿のトラック移動中は担ぎ手の皆さん方にもバスで移動して戴きました。

担ぎ神輿の渡御

 

下の動画は、一昨年の担ぎ神輿渡御で撮影された動画です。 “お祭りの華” ともいえる神輿渡御は今年もこのような感じで、大変威勢よく行われ、大いに盛り上がりました。

 

本年の担ぎ神輿の渡御の様子を写した写真は、「西野神社アルバム」(以下のページ)にも多数掲載しておりますので、こちらも是非御覧下さい。
http://nishinojinja.or.jp/photo/r010915h.htm



野点(お茶会)

本神輿や担ぎ神輿が発輿した後、午前10時から午後3時までは、神輿殿(みこしでん)前の石畳にて、「西野神社氏子青年会 皐月会」の会員さん達によるお点前で、野点(のだて)が行われました。
例年同様、多くの方々が立ち寄りって下さり、皆様方に抹茶の味覚を堪能しながら野点の雰囲気を楽しんで戴きました。

西野神社秋まつり 野点
西野神社秋まつり 野点
西野神社秋まつり 野点
西野神社秋まつり 野点

 

この日の野点(お茶会)の様子を写した写真は、「西野神社アルバム」(以下のページ)にも多数掲載しておりますので、こちらも是非御覧下さい。
http://nishinojinja.or.jp/photo/r010915c_.htm



⑬ 野菜・果物販売

午前10時からは、授与所直ぐ隣の車庫(三が日にはみくじ所が仮設される場所)で、神社近隣の皆様方へ日頃の感謝の思いを込めて、西野神社総代会により、安価での野菜・果物の販売が行われました。例年同様、西野神社敬神婦人会の会員さん達もお手伝いして下さいました。

秋まつりでの野菜・果物販売
秋まつりでの野菜・果物販売
秋まつりでの野菜・果物販売
秋まつりでの野菜・果物販売

 

この日の野菜・果物販売の様子を写した写真は、「西野神社アルバム」(以下のページ)にも多数掲載しておりますので、こちらも是非御覧下さい。
http://nishinojinja.or.jp/photo/r010915c_.htm



⑭ 泣き相撲(赤ちゃん相撲)

午前10時半から午後12時半頃までは、一昨年の秋まつりから始まり当社にとっては今回が3回目の開催となる奉納行事「泣き相撲」(赤ちゃん相撲)が、「西野神社氏子青年会 皐月会」の進行により境内の土俵で執り行われました。

泣き相撲とは、赤ちゃん(首が据わっている0歳から2歳くらいまでの男女児)同士を土俵上で対面(にらめっこ)させてその泣き声を競い合う、「泣く子は育つ」のことわざに因んだ行事で、赤ちゃんの元気な泣き声を神様に聞いて戴く事でその赤ちゃんの健やかな成長を願い、赤ちゃんへの神様の一層の御加護を願う、という意味もあります。
泣き相撲の勝敗は、先に泣いた赤ちゃんが勝ち、というルールを採っている所と、逆に、先に泣いた赤ちゃんが負け、というルールを採っている所があり、勝敗のルールは各地によって異なりますが、当社の泣き相撲では、先に泣いた赤ちゃんを勝ちとさせて頂いております。同時に泣き出した場合や時間内にどちらも泣かなかった場合は、引き分けとなります。
ちなみに、トーナメント戦やリーグ戦などを行なって総合優勝を決定する他の相撲大会(前回の記事の②項で紹介した「中学校新人相撲選手権大会」や、次項⑮で紹介する「子供相撲大会」)とは異なり、泣き相撲でそれぞれの赤ちゃんが参加する取り組みは一試合のみです。優勝やその他の順位などは決めません。

泣き相撲

会場の混雑防止・安全確保等のため、当社の泣き相撲は今年から二部制となり、受付の後、取り組みは一部(前半)と二部(後半)とに分かれて行われ、赤ちゃん力士には一部もしくは二部のどちらかに出場して戴きました。取り組み前の土俵での神事(修祓や代表者玉串拝礼)も、一部と二部それぞれの最初に斎行されました。

 

以下の写真2枚は、第1駐車場(秋まつり期間中は原則として車両進入禁止となります)の奥で、午前10時半からの泣き相撲に先立って10時から行なわれた受付の様子です。事前(今月5日まで)に神社へ参加を申し込まれた赤ちゃんの保護者の方に先ずはここへ来て戴き、参加者名簿と照らし合わせた上で、一部・二部のどちらに出場するかを御案内しました。

泣き相撲
泣き相撲

 

以下の写真4枚は、午前10時から始まった「一部」の様子です。昨年までの泣き相撲では、土俵回りは常に大混雑していましたが、今年は二部制にした事で、昨年に比べるとやはり混雑は緩和されました。

泣き相撲
泣き相撲
泣き相撲
泣き相撲

 

以下の写真4枚は、午前11時過ぎ頃から始まった「二部」の様子です。一部が終わった時点で、一部に参加された赤ちゃんやその御家族には会場から退場して戴き、二部に参加される赤ちゃんやその御家族と入れ替わって戴きました。

泣き相撲
泣き相撲
泣き相撲
泣き相撲

 

下の動画は、この日の泣き相撲で撮影された動画です。本年も、泣き相撲が行われている間、赤ちゃんの御家族や見学されている方々からは常に笑いが絶えず、お陰様で大盛況のうちに無事泣き相撲を終える事が出来ました。

ちなみに、泣き相撲開催時間中は、授乳室として社務所の応接室を、おしめ替え室として参集殿(広間)を、それぞれ開放させて頂きました。

 

本年の泣き相撲(赤ちゃん相撲)の様子を写した写真は、「西野神社アルバム」(以下のページ)にも多数掲載しておりますので、こちらも是非御覧下さい。
http://nishinojinja.or.jp/photo/r010915d.htm



⑮ 子供相撲大会

赤ちゃん力士達による「泣き相撲」が正午過ぎ頃に終わった後、午後1時から3時半頃までは、引き続き同じ場所(境内の土俵)で、秋まつり恒例の「子供相撲大会」が開催されました。

毎年秋まつりの1日目に同じ場所で開催される中学校新人相撲選手権大会は、中学1・2年生の男子を対象とした、北海道相撲連盟の主催による本格的で公式な相撲大会ですが、秋まつり2日目に開催されるこの相撲大会は、幼稚園年中(5歳くらい)から小学6年までの男女児を対象とした、西野神社総代会の主催による(氏子青年会皐月会も当日の進行を手伝って下さいます)、もっとざっくばらんとした雰囲気の大会で、前述の対象年齢で相撲のルールを最低限知っている子供であれば原則として誰でも参加する事が出来ます。
参加する子供達には、土俵では裸足になって貰いますが、脱いで貰うのは足首から下だけで、着衣は洋服のまま(自主的に上半身だけ裸になる子はたまにいますが)で、回しを付けたりもしません。

なお、受付(参加申し込み)は、社務所玄関前で午前10時から午後12時半までの間、行なわれました。前項⑭で紹介した泣き相撲は、赤ちゃんにお貸しする物や差し上げる物など予め用意しておく物がある都合上、事前申し込みとしておりますが、子供相撲大会は毎年、当日申し込みとしております。

子供相撲大会
子供相撲大会
子供相撲大会
子供相撲大会
子供相撲大会

 

下の動画は、この日の子供相撲大会で撮影された動画です。子供相撲大会は今年も大盛況のうちに無事終える事が出来ました。

 

本年の子供相撲大会の様子を写した写真は、「西野神社アルバム」(以下のページ)にも多数掲載しておりますので、こちらも是非御覧下さい。
http://nishinojinja.or.jp/photo/r010915e.htm



古武術演舞奉納

午後3時から3時半までは、儀式殿前の芝生に敷き詰められた白色軟質マットの上で、例年通り、日本総合武術研究会(本部は札幌市南区真駒内)の会員さん達による「田浦無想流古武術演舞」の奉納が行われ、迫力ある各種の古武術が披露されました。

古武術演舞奉納
古武術演舞奉納
古武術演舞奉納
古武術演舞奉納
古武術演舞奉納

 

本年の古武術演舞奉納の様子を写した写真は、「西野神社アルバム」(以下のページ)にも多数掲載しておりますので、こちらも是非御覧下さい。
http://nishinojinja.or.jp/photo/r010915f.htm



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この日(秋まつり2日目)の境内の様子(御神輿の宮出しまで)を写した写真は、「西野神社アルバム」(以下のページ)にも多数掲載しておりますので、こちらも是非御覧下さい。
http://nishinojinja.or.jp/photo/r010915a.htm

 

下の動画は、この日(秋まつり2日目)の当社境内の様子を撮影したもので、第一駐車場(泣き相撲受付)、参道(奉納提灯)、野点、土俵(泣き相撲)、第二駐車場(露店)などが映っています。宜しければこちらの動画も是非御覧下さい。



なお、第3回となった本年の泣き相撲には、札幌市西区二十四軒2条4丁目にお餅屋の店舗を構える美好屋(みよしや)様が協賛して下さり、泣き相撲に参加された赤ちゃん力士の御家族全てに「紅白餅」が配られました。
美好屋様、紅白餅の御提供ありがとうございました。

また、泣き相撲に参加される赤ちゃんの御家族・御親族等専用の駐車場として、秋まつりの2日目には、例年通り本年も、札幌市西区福4丁目に社屋を構える株式会社坂ノ下興業様から平和地区にある臨時駐車場(冬期に雪堆積場として使われる広大な敷地)を御提供戴きました。
坂ノ下興業様、駐車場の御提供ありがとうございました。

 

文責:西野神社権禰宜 田頭