西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

フィギュアに霊魂は宿るのか? ボーカロイドキャラクターに霊魂は宿っているのか?

恐らく、昨年5月18日にこのブログにアップした「フィギュア供養」と題した記事を読まれて当社に問い合わされたのではないかと推察しますが、先日、「ボーカロイドのキャラクターに霊魂は宿るのか」というテーマで卒業論文を執筆中という学生さんから、メールと電話で、その件に関してのインタビューを受けました。

デロリアンと雪ミク

なかなか興味深いテーマだったので、以下に、それらの質問と、それに対しての私の考えをまとめてみます。但しこれはあくまでも、全国に2万5千人以上いるとされる神職達の中でも末端の一神職に過ぎない私の個人的の見解であり、西野神社としての公式見解ではありませんし、ましてや、「現在の神社界では、多くの神職達がこのように考えている」というものでもありませんので、その点は予め御承知おき下さい。

西野神社に納められた各種フィギュア

 

① なぜ、人形供養に加え、フィギュア供養を始めたのか

過去の記事でも述べた通り、当社の人形供養祭では、ぬいぐるみ、ひな人形、五月人形、市松人形、フランス人形、博多人形など、いろいろな人形をお預かりしており、フィギュアについても、それら人形の様々なジャンルのひとつとしてお預かりしております。
ですから、通常の「人形供養祭」とは別に、「フィギュア供養祭」というものを行っているわけではなく、当社に於いてはフィギュアとその他の人形は何ら区別しておりません。当社としては、人形供養の一環として「今まで通り、フィギュアもお預かりする」というだけで、「従来の人形供養に加えて、新たにフィギュア供養という神事を始めた」という感覚はありません。

もっとも、ボーカロイドキャラクターやアニメキャラクターなどのフィギュアは、毎年3月に斎行する合同の人形供養祭の時にまとめて納められる事がある、という程度で、現状では、3月以外の時期にそれらが納められる事は多くありません。

 

② 人形やフィギュアに霊魂は宿っているのか

神道では、草木や小石など小さな物から、山や海、国土など大変大きなものに至るまで、あらゆるもの(それは自然物とは限りません)に神霊や霊威が宿っていると捉えており、当然、人形やフィギュアなどにも、何らかの霊的なものが宿っていると解します。
ましてや、平成18年2月26日付の記事で述べたように人形は歴史的にも、元々呪術性の高い宗教的な呪具でありましたし、それに、もし人形に霊的なものが全く宿っていないのだとしたら、根本的な問題として、そもそも当社の人形供養祭は一体何のためにやっているのか、人形供養祭で奏上される「祭詞」やお供えされる「」は一体どこの誰に対してのものなのか、という事になります。
勿論それらは、人形やフィギュアに何らかの霊的なものが宿っているという確信がある、もしくはその可能性を信じているからこそ、成立し得るのです。

なお、前出の「祭詞」というのは、神職などが神霊に対して奏上する、祝詞に類するもので、厳密にいうとそうとは限らないのですがざっくり言うと、平安時代の古い日本語で作文されている詞(ことば)です。
その「祭詞」を人形やフィギュアに奏上したところで、そもそも人形やフィギュア(に宿っているであろう霊的なもの)は、古語である祭詞の内容を本当に理解してくれるのか、もし理解してくれないのであれば祭詞を奏上する意味はあるのか、という点についての私の見解は、平成18年8月26日付の記事で述べた通りなので、興味のある方はそちらの記事も御一読下さい。

 

ボーカロイドキャラクターに霊魂は宿っているのか

これは、ちょっと難しい問題ですね。
例えば、平成24年3月9日付の記事では、ボーカロイドキャラクターの中で最も知名度が高く代表的な存在であり当地(札幌)生まれのバーチャルアイドルでもある「初音ミク」を紹介しましたが、その初音ミクのフィギュアが、所謂「供養」のため神社に納められた事があります。
しかしそれはあくまでも、初音ミクを立体化した “フィギュア” という造形物に対してその持ち主が何らかの霊性を感じた事から神社に納められたのであり、初音ミクというキャラクターそのものに霊魂が宿っているという意味とは同一ではないはずです。

では、仮想空間を生きるボーカロイドキャラクターに霊魂は宿っていないのでしょうか。こういった回答をすると「まるで禅問答のような答え方で(←こういった例えをすると、禅僧の方々からは怒られてしまうかもしれませんが)、結局どっちなんだかよく分らん」と突っ込まれてしまいそうですが、この問いに対する私の見解は、「霊魂が宿っていると感じている人にとっては宿っているし、宿っていないと感じている人にとっては宿っていない」です。
「何だそれは。どっちつかずで逃げているな!」と言われてしまいそうですが(笑)、私としては、「これはもう当人のお気持ちの問題なので、そこはあえて明確にすべきではない」というスタンスです。

ところで、実在の人物ではないという意味では、これはボーカロイドキャラクターだけではなく、マンガやアニメなどのキャラクターにも全く同じ事がいえますよね。
いずれも古い事例で恐縮ですが、「あしたのジョー」の力石徹、「六神合体ゴッドマーズ」のマーグ、「機動戦士ガンダム」のガルマ・ザビ、「タッチ」の上杉和也、「北斗の拳」のラオウ、「銀河英雄伝説」のヤン・ウェンリーなどは、いずれもマンガやアニメの作中で死亡した架空の人物ですが、キャラクターに絶大な人気があった故に、現実世界に於いてもそれなりの規模で葬儀が執り行われており(実際に寺院で執り行われたり、寺院ではなくイベント会場で行われた場合でも、僧侶による読経があったりしたそうです)、こういった事例は、霊魂の問題を考える上では個人的にとても興味深いです。

鎌倉幕府第3代執権の北条泰時が定めた武家法「御成敗式目」の第一条には、『神は人の敬により威を増し 人は神の徳によりて運を添ふ』という、私達神道人にはお馴染みの文言があり、これは現代語に意訳すると、『神は人から敬われることによって霊験があらたかになって益々その威力を発揮するようになり、また人は、神を敬うことによって、より良い運を与えられる』という意味です。
御成敗式目のこの文言を、そのままボーカロイドやアニメのキャラクターに当てはめて考えるのはさすがに無理がありますが、しかし、ボーカロイドやアニメなど架空世界の人物にも霊魂が宿っていると仮定するなら、多くのファンが熱烈に支持したり(例えば前述のように、架空世界での死を受けて、現実世界に於いても葬儀を執り行うなど)、尊崇したりする事によって、キャラクターの側もその思いを受けて更に “霊威が高まっていく” という可能性は否定出来ないと思います。

そして、その “霊威が高まっていく” という現象が更に高じると、やがてそのキャラクターは本格的な “信仰の対象” へと昇華していく、という事も有り得、それが現実となった具体例としては、奈良県桜井市初瀬に鎮座する「玉鬘神社」の事例が挙げられます。
この神社は、世界中に翻訳されている我が国の名作古典「源氏物語」の第22帖に登場する玉鬘(たまかずら)という名の姫君をお祀りするため、昨年創祀された神社です。つまり、創作物のキャラクターである架空の人物が、現実世界の神社に於いて、御祭神として、人々の信仰の対象としてお祀りされているのです。これは、私にとっても大変興味深い事例です。
ちなみに、作中の玉鬘は、主人公・光源氏の養女となった事や、その美貌ゆえに数奇な運命を辿った事などで知られています。

 

④ フィギュアを持ってくる方々は、フィギュアをどのように捉えているのか(たとえば、生きている人間と同様に扱っているかなど)

もし持ち主の方が、フィギュアを単なるモノと考えいるのであれば、「ゴミとして普通に処分する」「そのフィギュアに理解を示してくれる他の人に譲る」「リサイクルショップへ売に行く」「ネットオークションに出品する」などするでしょうから、それ以外の選択肢(しかも宗教的な選択肢)である「神社に納める」をあえて選択したという事は、やはり単なるモノとしては捉えていない証左でしょう。
しかし、フィギュアを「生きている人間と同様に扱っている」のかといえば、そこまでの事例は、私はまだ見た事がありません。あくまでも私が見た事がないだけで、現実にそういった事例が有るという可能性は勿論ありますが。

ただ、ボーカロイドやアニメなどのキャラクターのフィギュアではありませんが、人間の幼児を模った、ほぼ等身大のリアルな造形の人形などは、たまに、大きなダンボール箱の中に、タオルにくるまれた状態で丁寧に納められる事があり(そのダンボール箱の中に、人形へのお供え物としていくつものお菓子が同梱されている事もあります)、そういった時は、そのダンボール箱がまるで “棺桶” のようにも見え、持ち主の方の深い思いを感じます。

昨年、30代の公務員の男性が、現実世界に於いて初音ミクと結婚式を挙げ、ネットニュースやテレビのワイドショー番組などでも大きく取り上げられて話題になりましたが、そういった事例(二次元キャラクターを生きている人間と同様に扱う事)が増えれば、今後は「自分の愛する二次元キャラクターの立体物であるそのフィギュアを、生きている人間同様に扱う」という事も、増えてくるだろうと思います。

 

文責:西野神社権禰宜 田頭