西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

緊急時における御神体の奉遷

西野神社 遷御

 

今週、ツイッターで、火災時に神社の御神体をどのように取り扱うべきかが、ちょっとした話題になりました。
某神社(神社名は公開されていないので、どこのお宮かは分りません)の本職と思われる巫女さんが呟いた、以下のツイートが、その切っ掛けとなったものです。現時点で既にリツイートが5万以上、「いいね」も15万以上付いており、所謂 “バズった” 状態になりました。

私は、日々大前で神明奉仕をさせて頂いている常勤の神職(所謂 神道人)ではありますが、同時に、非常勤ではありますが地元自治体の消防団に団員として在籍する立場(所謂 消防人)でもありますので(単に経歴でいうなら、神職としてよりも消防団員としてのほうが長いです)、どちらの言い分も理解出来ます。ですからから個人的には、これはどちらの主張も正解だと思います。少なくとも、どちらか一方が絶対に正しくて、もう一方は確実に間違っている、というような事例ではないと思います。

 

そして、この巫女さんのツイートに対しては、現場の神職や巫女など神社関係者からも、以下のような反応が寄せられています。

 

また、この巫女さんのツイートに対しては、ツイッター上では以下のようなやりとりもされており、これらも、神学的に興味深い内容だなぁと思いながら読ませて頂きました。

 

御神霊、御分霊、御神体などを、クラウドスマホ端末、アバターなどに例えるのはいかにも現代的で(20年くらい前だったらほぼ誰にも通じない例えですよね)、もう若いとは言えない年代になった私にとってはなかなか新鮮な感覚ではありますが、他者に説明する際には、分かりやすい例えなのかもしれません。それが正確な解釈・例えであるか否かはまた別の話ですが。

 

今回の記事の冒頭で紹介させて頂いたツイートで想定されている火災の事例とはやや異なりますが、終戦直後の混乱期に、自分の命よりも何よりも優先して神社の御神体を実際に他所へと奉遷した神職や氏子さん達の実例については、以下の記事で詳しく紹介させて頂きました。
 今から13年も前にこのブログにアップした、かなり古い記事ではありますが、宜しければこちらの記事も是非御一読下さい。「神明奉仕する者としては、かくありたいです!」と思わせられる実例です。

https://nisinojinnjya.hatenablog.com/entry/20060208



神社本庁の設立と発展に深く関わり、戦後の神社神道の基礎を確立した第一人者とされる神道学者・小野祖教先生が著した名著『神道の秘儀』(平河出版社から上下2巻に分かれて刊行、昭和57年初版発行)には、火災など火急の際の御神体の奉遷方法についても詳しく取り上げておられます。以下に、その箇所を転載させて頂きます(但し以下の転載箇所については、この本全体の著者・編者である小野先生が記したものではなく、榊神社の当時の宮司であられた安川忠正さんが寄稿されたものです)。
こういった事は、神職養成機関での授業や階位検定講習会の講義などで学生や受講生達が直接教わる事はほぼ無く、神道概論、神道神学、神道教化、神社祭式などの教科書に記される事もありませんが、現場の神職は常日頃から心得ておくべき重要な事柄であり、私にとっても大変参考になる内容でした。ちなみに、以下の文章中に登場する「御」(ぎょ)とは、所謂「御神体」の事です。

 

神明奉仕に専念する神職として、常日頃、万一の場合を想定し、これが対策を講じて置くことは、必要なことだと思う。

一、御の奉遷

まず第一に心掛くべきは「御」の安泰をはかる事である。常日頃、防災には、細心の注意と、努力をはらっている事は勿論であるが、不慮の事態が発生した際、如何にして「御」を奉遷するか。
(一)「御」の奉遷場所の施設
(二)「御」の奉遷具の用意
(三)「御」の奉遷の仕方
(四)奉遷後の処置
(五)職員の役割、分担等
まず、(一)の問題点から考えてみよう。御本殿の防災に常日頃心掛けておくべき事は、今更、いうまでもない事である。御本殿の周囲に、相当の空地(火除地)の用意がある事が、最も望ましいが、可燃物を周囲に積んでおかない事等も、必要な心掛けの一つである。とはいうものの、万一の場合のため、別に、奉遷の場所、施設を設けておく事が望ましい。仮本殿の設備、仮奉安殿の設備、地下待避所(壕)の設備、あるいは神輿庫、神庫、祭器の事、境内神社等をあらかじめ仮奉遷所と想定しておく等が望ましい。できれば、境内のしかるべき場所に、鉄筋コンクリート造の殿舎を設備しておく事ができれば、これに越した事はない。

二、奉遷具の用意

御本殿の殿内または、しかるべき所に御羽車、笈(背負式御厨子)、唐櫃(覆布及び朸の用意が肝要)等々の奉遷具を用意しておく事が必要である。晒、白手袋、覆面等も、その近くにあらかじめ用意しておくと便利である。

三、奉遷の仕方

火急の際には、祭式は一々次第に適い難い事が多かろうが、まず速やかに、落ち着いて奉遷することが肝要である。常日頃、
(イ)御本殿御扉の御匙、御鑰の置き場、ならびにその取り扱い方
(ロ)仮奉遷所の御鑰の置き場所、ならびにその取り扱い方
(ハ)奉遷具の置き場所、ならびにその取り扱い方
(二)「御」の奉遷の順序と、その担当
(ホ)宮司不在の際の処置
等々を明らかにしておく必要がある。

四、奉遷後の処置

御動座役、御調度、御神宝、威儀物等々の移遷、仮奉安所の御警固、等々についても研究しておくべきであろう。

五、職員の役割、分担等

「御」の奉遷は、宮司が奉仕するのが建て前になっているが、種々の場合を想定し、必ず責任ある分担表を作成しておく必要がある。御動座奉仕、御警衛、消火対策、重要書類の持ち出し(搬出)等々の職務分担を、あらかじめ立案しておく事は勿論、見易い場所に張り出し、責任の所在を明らかにしておくべきであろう。特に職員に周知徹底させておく必要を痛感する。

第二には、御神宝、御調度、重要祭器具の搬出である。
御神宝、御調度は、神のものである。(それが国宝、重要美術品に指定されているや否やにかかわらず)「御」の奉遷後、速やかにこれが搬出に当るべきは当然である。

第三には、古文書、古記録を始め、重要書類、記録、帳簿の搬出である。「官国幣社以下神社神職奉務規則」にも、
第八条 火災、盗難等ノ予防ニ付テハ、周到厳密ヲ期シ、予メ取締方法ヲ定メ、常ニ警戒、注意ヲ為スヘシ
第九条 神社所蔵の宝物、貴重品、古文書等ニ付テハ、格護ノ方法を設ケ、常ニ之カ整理保存ニ注意スベシ
と定められている。
右は、
(一)災難予防に付テハ常ニ周到厳密ヲ期スコト
(二)予メ取締方法ヲ定メ、常ニ警戒注意ヲナスコト
(三)重要物品ニ付テハ格護ノ方法を設ケルコト
(四)之ガ整理保存ニ注意スルコト
の四項に分けられるであろう。更に第六条に、神職は已むを得ざる場合の外、神社の近くに居住する事と定められている。常日頃、神社の管理、警護に一層厳重に注意すべきである。

奉遷具について

火急の際に「御」を奉遷する用具としては、御羽車、鳳輦、神輿、唐櫃、笈等がある。
この中、最も正式んは、御羽車、鳳輦等が望ましいが、これ等は、駕輿丁として、最低四名が必要である。また、その形状も、相当の大きさを占める。一般的には、唐櫃または笈が便利である。唐櫃は、覆布、朸を必ず忘れぬように、用意しておくべきである。唐櫃は、駕輿丁二名を必要とする。次に、笈であるが、昔、行脚僧、修験者などが、仏具、衣服、食器などを入れて背に負うた箱で、葛籠に似、四隅に脚があって、開閉する戸を設けたものである。鎧櫃に似たものもある。
私の奉仕している社では、昔から御本殿の一隅にこの用意がある。かの関東大震災の折、祖父が、「御」をお入れし、背負うて難を避けたという事である。一人で背負えるし、両手も自由に働かす事ができる。まことに便利なものである。「御」の形状、大きさ等に合わせて、檜などの良材をもって調整し、御扉に錠がかかる様にし、また覆布などの用意、背負い紐の用意などをして、御本殿内に一隅にあらかじめ用意しておくと大変に強いと考えられる。

 

神道の秘儀』には、実際に火事が起こっている中で執り行われた「御」の奉遷実例も紹介されております。以下に、その箇所を転載致します。これは、著者の小野先生と、当時神宮の少宮司であられた田中喜芳さんとの対談です。

 

田中 猿投山の麓に猿投神社という有名な神社があって、山の上に西宮、東宮というのがあります。山火事が起こって、山上の西宮があぶなかった。高い山で消防もきかないから、大火事になって、火は猛烈にひろがって行った。そこへ駆けつけたのが、加藤という神職です。田舎の事だから、野良着で畑からかけつけた。猿投神社の神職ではないが、御神体を御遷ししなければと思った。しかし、肥たごかついだ野良着で御神体にふれるわけにはゆかない。咄嗟に考えて、裸になると、付近の檜の枝を三、四本折って、錠前をたたきこわして飛び込むと、御神体を檜の枝に包んで抱え出した。
安全地帯に御遷しして、そこに、更に新しい木の枝をしいて安置申し上げた。真裸で、いかにも恥ずかしかったが無我夢中だったという。その人が、直会の席でその時の模様を話したのを覚えています。

小野 立派なやり方ですね。

田中 立派だと思います。いつどこに、どういう事が起こるかも知れない。どんな時にどんな事で神さまにふれる事になるか、常時覚悟を持ち、心掛けも持たねばならぬと、しみじみ考えました。
神宮でも戦時中、空襲のもとで、当時の大宮司以下真剣な御苦労をされたそうです。宮内省や神祇院の意見をきいてきめるのだが、安全に御避難できるようにしなければならなかった。神宮の歴史を見ても、正式に御遷宮のお祭りができない危急の場合は度々ありました。

 

以下も、同著からの転載で、この2例はいずれも、火災直後の焼け跡から「御」を奉遷した実例です。
1例目は、小野先生と、当時の神明社宮司であられた大村重由さんとの対談、2例目は、小野先生と、当時愛知県護国神社宮司であられた井上信彦さんとの対談です。ちなみに、2例目の火災の原因は不明ですが、1例目は、放火による火災でした。


大村 実は昨年の五月五日、子どもの日の夜、ねていると電話がかかってきて、私の兼務社が焼けていることを知らせてきました。

小野 近くですか。

大村 一キロ半ほど離れたところで、吉川という字です。大変だと思って、早速倅を起こして、顔を洗わせ、装束に白い布を一ぱい持たせて、自転車でかけつけさせました。咄嗟の考えでしたが、「いいか、御神体が御無事ならこの布にくるんで、落ち着いて御遷しするんだぞ、もし御全焼で見つからなければ、御本殿大床の下の石コロ一つでもいい、何でも残ったものが御神体になるのだ、大切に包んで、その場でお祭りをして御遷ししろ」といってやりました。

小野 やはり多年の経験ですね。

大村 私もこんな事ははじめてです。考えるひまも何もありません。倅がかけつけると、ちょうど、また、ドシャ降りの日で、ザーザー、流れるように雨が降っている。その中に、氏子がみんな集まっているが、御本殿も拝殿も全部丸焼けでどうしようもない様子だった。しかし、現場に着いて声をかけると、総代がいて、「禰宜さん、御神体だけは出しました」といって鏡を見せた。

小野 やっぱり、氏子も御神体を一番気にするでしょうからね。

大村 ところがそれは前立の鏡です。「御神体はそれではない」と、倅は装束をつけて、火がまだくすぶっている御本殿焼あとに入ってゆくと、御内陣が焼け残っていた。外から見ると、まっ黒に焼けたようだが、火は入っていない様子です。そこでお扉を破って見ると、中にある御神体は全く御無事だった。そこで用意の白布に包んで、うやうやしく捧持して、焼残りの木で壇をつくって、おのせした上で、気持ちを落ち着けて祝詞をあげた。
すると、これを見た氏子がすっかり感激をしてしまって、神さまの神威に打たれたのでしょう。その場で再建の話ができてしまった。氏子はもともと二十八戸で、大した大きい神社ではないが、アパートや新しい住宅もあるので、みんな寄附をして、三百五十万円集めて、前より立派な御社殿をつくり上げてしまいました。

小野 御神体が焼けなかった上に、適切なお祭りあれば、それはそうでしょう。

 

井上 御霊代の取り扱いについては、こういう例を聞きました。御炎上の事ですが、非常の時はこんな事もあり得るという例です。
戦前の事ですが、社名を忘れました。そこが御炎上して、宮司がかけつけた時には、もうすっかり火が廻ってしまって、焼け落ちた後だったそうです。宮司は火の鎮まるのを待って、浄衣をつけて、作法に従って御内陣あとに入り、そこをさがしたが、もう形を失っていて、御霊代はわかりませんでした。しかし、宮司は静かに、焼けあとから何かを集め、白布に包み、装束の袖に被い奉って、おごそかに遷霊の儀を行い、威儀を正して仮殿にお納め申し、後日、正遷座を行う際に、新しい御霊代を御つくり申し上げて、これに遷霊申し上げて、無事新御殿に御鎮祭したそうです。
この処置を落ち着いて行ったため、氏子の人々も、神さまが御無事だったという安心感を持って、何等支障がばかったという事ですが、こんなのは参考になるのではないでしょうか。

小野 神霊の本体はあくまでも目には見えないものですから、たとえ形はなくとも、神霊の実在を信ずる立場で御遷し申し上げなければならない。形としては、御内陣あとの灰でもいい訳ですからね。しかし、立派な態度でしたね。よくしたものですね。

 

これらの実例は、火急の事態をシミュレーションする際、大変参考になります。そういったシミュレーションは、どの神社にとっても、いや、神社に限らずお寺や教会などでも、常日頃から意識しておかねばならない、とても大切な事です。

しかし、そういった万一の事態にならないために、先ずは万全の防災・防犯態勢を敷く事が肝要です。当社の場合は、境内に複数の防犯カメラを設置しており、警備会社に警備も委託しております。
また、境内の各建物内には、消火器や警報器などの消防設備も備えており、そして、これは「たまたま」なのですが、市道一本を挟んで神社の直ぐ向かいには札幌市西消防署平和出張所があり、同所には2台の消防車が配備されており、当社を含む西野地域一帯の万一の事態に備えてくれています。

 

文責:西野神社権禰宜 田頭