西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

御祭神・御分霊・御神体・御神札などの関係性を、「ロウソクの火」や「ドラえもんの秘密道具」に置き換えて考えてみると…

前回の記事(今月14日付の記事)の中で私は、『御神霊、御分霊、御神体などを、クラウドスマホ端末、アバターなどに例えるのはいかにも現代的で、もう若いとは言えない年代になった私にとってはなかなか新鮮な感覚ではありますが、他者に説明する際には、分かりやすい例えなのかもしれません』と述べましたが、神道に於ける御分霊や御増祀について説明する際には、クラウドアバターなどに比べるとかなりアナログ的な例えにはなりますが、一昔前から「ロウソクの火」が、好適な例としてよく用いられてきました。
今回は、こういった「例え」について、私の思う雑感等を書き連ねていこうと思います。

蝋燭の火

 

「ロウソクの火」の例えというのは、御分祀や御分霊とは、既に燃えているロソクの火を、別のロソクへと付けて火を移す事に似ている、という例え話です。
この例えを用いると、例えば、靖國神社を巡る所謂 “A級戦犯分祀問題” などについては、神社関係者が大抵反対の立場を採る事について、つまり、分祀が意味の無い事であるという事を分かりやすく説明する際、有効に使えます。
つまり、仮に靖國神社の御祭神からA級戦犯とされた御神霊を分祀申し上げたとしても、それは新たなロソクの火が灯されるだけで元の火が消えるわけではない、ようするに、分祀したとしても元の御神霊は靖國神社に引き続き残るのであって、そこから消えるわけではないし、消す事も出来ない、という説明です。

各神社でお祀りされている御祭神の御神霊が、その神社が頒布するおふだやお守りなどに宿られている事も、ロソクの火の例えで説明する事が出来ます。例えば、神社の御神体から数多のおふだへ、次々とロソクの火を移すかのように、神社で頒布している全てのおふだ・お守りには御本殿でお祀りされている御祭神の御分霊が宿られている、というように。

 

しかしこの例えでは、「御神体」と「おふだ」の優劣、上下関係については、適切に説明出来ません。ロソクの火の理論だと、どちらも全く同格であり、差異など何もないという事になるからです。
どういう事かというと、例えば、家庭の神棚などでお祀りされるおふだは、神様の御分霊が宿っておられるわけですから、大変尊いものです。尊いからこそ、不浄に扱う事は厳に否定され、恭しくお祀りされ、その御前で家庭祭祀も執り行われます。
しかし、おふだがいくら尊いものとはいえ、神社の御本殿奥深くに奉安されている御神体と全く同格であるかと問われれば、そうではありません。
もし完全に同格なのであれば、家庭の神棚のみでお参りすればそれで足りる事になり、わざわざ神社に来てお参りする意味はあまり無い事になりますが、当然、実際にはそんな事はありません。
神社から拝受したおふだは原則として一年毎に取り換えますが、それに対して神社の御神体は、原則として取り換える事は無く、御祭神の御神霊は何十年、何百年経とうとも変わる事なくそこに御座し続けるわけであり、この一事からも、両者に宿っておられる御神威にはやはり相当の差がある事が分かります。
しかし、前述のようにロソクの火の例えでは、この違いを上手く説明出来ないのです。火の場合は、分けても、元の火と新たに分けられ火とでは、性質は全く変わりませんから。

 

そのため私は、ロソクの火よりも更に俗っぽい例えになってしまうのですが、神社の御本殿内陣に鎮まっておられる御神体は、ドラえもんの秘密道具に置き換えるなら、私達人間からは見る事の出来ない高天原(もしくはその他の神界・場所)に御座す神様の御本体(御神霊)の大前に通じている「どこでもドア」のようなもので、そして、各家庭の神棚でお祀りされるおふだは、その神社(前述のように御神霊の大前に通じているどこでもドア)の大前に通じている「どこでも窓」のようなものなのでは、とイメージしております。ここで唐突にマンガ「ドラえもん」の話を持ち出してしまい、恐縮ですが(笑)。
ちなみに、「どこでもドア」と「どこでも窓」は、大きさは違いますが、道具としての機能はどちらも全く同じです。

そして、そのどちらも神様に繋がっていると仮定すると、サイズが小さくて中に入る際は身を屈めないと入れない「どこでも窓」よりは、誰でもそのままの姿勢で容易に全身が入る「どこでもドア」のほうが、より神様に近い、というイメージです。
また、おふだはその神社の御神体へと、そして、神社の御神体高天原の神様へと繋がっていると仮定すると、結局どちらも神様に繋がってはいるのですが、距離的には神社の御神体のほうがより神様に近い、というイメージになります。

 

もっとも、以上の「例え」はあくまでも “イメージ” であり、はっきり言ってしまうと、他者に分かりやすく説明するための「方便」です。実際には私も、以上のような例え話を、その字面通りそのままに解釈しているわけではありません。
そもそも神学的には、御神体やおふだは、「どこでもドア」や「どこでも窓」の例えで述べたように「神様に繋がっているもの」や「神様に近いもの」ではなく、どちらも直接「神様の御神霊が宿っておられるもの」ですからね。

神社によってその神事の名称は異なりますが、神社のおふだには必ず遷霊(当社の場合は「神符神札遷霊祭」という神事)が行われていますし、それに、もし御神体が単に「どこでもドア」や「どこでも窓」的な機能しかないものだとしたら、危急の際(前回の記事平成18年2月8日付の記事などで紹介した数々の事例)に於いて神職が命懸けで御神体を奉遷する事も、特に意味の無い事になってしまいます。

そういった意味では、御祭神・御分霊・御神体・御神札などの関係性は、あえて「ロソクの火」や「ドラえもんの秘密道具」などに置き換えて考えたりはせず、そのまま素直に「御神霊が直接宿られている依代」として解釈したほうが、結局は適切なのかもしれません。

 

文責:西野神社権禰宜 田頭