西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

阪神・淡路大震災から今日で丁度25年が経ちました

今から半世紀前に当る、丁度25年前の今日、平成7年1月17日に、兵庫県淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の大地震が関西地方を襲い、死者6,434名、行方不明者3名、負傷者43,792名、全半壊家屋合計249,180棟(約46万世帯)、一部損壊家屋390,506棟、被害総額は約10兆円という甚大な被害を出す、未曾有の大惨事となりました。
この大地震を、気象庁は「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」と命名し、そして、その兵庫県南部地震とそれに伴う一連の災害を、政府は「阪神・淡路大震災」と命名しました。

この阪神・淡路大震災は、戦後に発生した地震災害としては東日本大震災に次ぐ規模(東日本大震災が発生するまでは最大最悪のもの)で、国内史上初の震度7が観測された巨大地震でもありました。
特に、震源に近かった神戸市内の被害は極めて甚大で、当時東洋最大の港であった近代都市を襲った災害として、日本国内のみならず世界各国にも大きな衝撃を与えました。

その阪神・淡路大震災の発生から四半世紀の月日が経った今日は、当時の被災地を中心に全国各地で、同震災で亡くなられた方々に対しての追悼行事や黙祷が行われ、日本列島は深い鎮魂の祈りに包まれました…。

阪神・淡路大震災から25年目の追悼
阪神・淡路大震災から25年目の追悼

 

阪神・淡路大震災が発生した当時、私はまだ神職になるずっと前で、札幌の実家で生活しており、当時の私はまだ関西とはほぼ何の縁もありませんでしたが、家のテレビで放送された関西の被災地各地の惨状、特に、大都市神戸の市街地で猛威を振るった大規模な火災や、三宮など都心の各所で崩落したビル、無残に崩れ落ちた阪神高速鉄道各線の高架、海上都市のポートアイランド六甲アイランド等で発生した液状化現象などの様子には、「えー!何これ!?」とただただ驚くばかりでした。

その後私は、自宅のある札幌から、九州最南端の佐多岬までをバイクで走る日本縦断ツーリングを行い、その際には神戸や淡路島などの被災地にも立ち寄り、そのツーリングを終えて暫くした後は、神職の資格を取得するため生活の場を札幌から京都へと移し、京都府八幡市で2年間生活しました。その2年間の関西在住中は、神戸へも何回か足を運びました。
神職の資格を取得して再び札幌へと帰り、西野神社に奉職した後は、関西に関係する特定のジャンルの情報を発信するためのブログをプライベートで開設したり、連休を利用して関西各地へも年に1~2回は行くなどしてきました。京都では、私が幹事となってほぼ毎年定期的に飲み会を開催し、現地の神社関係の方々と交流を続けさせて頂き、また関西へ行った際には、人と防災未来センターや、震災からの復興を象徴する鉄人28号のモニュメント北淡震災記念公園など、震災に関係するスポットも積極的に訪問・見学するなどしてきました。
更に5年程前には、大阪で生まれ育った女性(現在の私の妻)と結婚した事により、大阪方面に新たな親戚が出来るなどもしており、今では、私は関西とはいろいろと浅からぬ縁があると思っています。

また、阪神・淡路大震災についての当時の連日の報道で大きな衝撃を受けた事を切っ掛けに、私は災害・防災・消防・救急などの分野に強い関心を抱くようになり、消防関係の免状・資格や、救急関係の資格を積極的に取得したり、防災や消防に深く関わるため札幌市の消防団にも入団するなどしたため(途中で違う消防団へと移籍していますが、初めての入団から20年経った今も、消防団には在籍しております)、阪神・淡路大震災は、私の考え方や生き方、そして人生にも、大きな影響を与えたといえます。

それだけに、私は関西人ではありませんし25年前に直接被災したわけでもないのですが、阪神・淡路大震災は今でも強く私の印象に残っていて、事ある毎に思い返す出来事でもあり、同震災に関する事は今後も情報を収集し、各ブログやツイッター、SNS等で、それらの情報を積極的に発信し続けていこうと思っています。

 

以下に、代表的なSNSのひとつとして知られる「Facebook」に昨日もしくは今日アップされていた、特に私の印象に残った、阪神・淡路大震災の関連投稿(いずれも全体公開に設定されているもの)を、そのまま転載させて頂きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

阪神・淡路大震災で亡くなられた方々の御霊(みたま)に改めて衷心より哀悼の意を捧げると共に、様々な困難に直面しつつも一歩ずつ着実に復興への歩みを続けてこられた方々に、心より敬意を表します。

 

文責:西野神社権禰宜 田頭