西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

終戦から75年目の8月15日の今日、改めて考える終戦記念日の意義

今日は、75回目の「終戦記念日」「戦没者を追悼し平和を祈念する日」です。
先の大戦で亡くなられた英霊をお祀りする東京の靖國神社や全国各地の護国神社には、この特別な日、多くの参拝者が訪れ、また、東京都千代田区日本武道館では、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため式典としての規模は大幅に縮小(例年の参列者は6000人程ですが、今年の参列者は過去最少の500人程)されたものの今年も例年通り、天皇皇后両陛下をお迎えして全国戦没者追悼式が政府の主催により開催されました。

本年の全国戦没者追悼式は、マスクの着用や消毒が徹底され、参列者の社会的距離(座席は1メートル間隔を保つ)も配慮され、国歌も斉唱せず管楽器無しのオーケストラ演奏のみとするなど、感染防止対策を十分に取った上での式典となり、また、宮城・大阪・長崎・沖縄など20府県の遺族が参列を断念するなどしましたが、それでも、本日の同追悼式には安倍晋三内閣総理大臣や各界代表者、各都府県の遺族達が参列し、正午には参列者全員により、約310万人の大東亜戦争戦没者(軍人・軍属約230万人と民間人約80万人の御霊)に対して1分間の黙祷が捧げられました。

令和2年 全国戦没者追悼式
令和2年 全国戦没者追悼式

私も今日は、正午に合せて当社の大前を通して1分間の黙祷を捧げ、75年前に終結したあの戦争で、祖国を思い家族を案じながら戦場で散華された御霊(みたま)や、戦禍によって心ならずも命を落とされた御霊が安らかでありますようにという事と、そして、今私達が享受している平和と繁栄は英霊の尊い犠牲の上に築かれたものであるという事に、改めて思いを致しました。
また、戦場で斃れられた英霊のみならず、戦後筆舌に尽くし難い艱難辛苦を重ねて今日の日本の礎を築かれた先輩諸兄に対しても、改めて、感謝の思いを捧げました。

 

ところで、今更ではありますが、8月15日はなぜ特別な日なのでしょうか。その問いに対する答えを単に一言で言うなら、それは「終戦記念日だから」となるのですが、ではなぜ、8月15日は終戦記念日とされているのでしょうか。8月15日を終戦記念日とする理由は何なのでしょうか。

御前会議でポツダム宣言の受諾が決定し終戦詔書が発布されたのは8月14日(その旨は同日中に連合国側に通告されました)で、日本軍の全部隊・全員に対して戦闘行為を停止するよう大本営が命令を発したのは8月16日で、東京湾内に停泊した米海軍戦艦ミズーリの艦上で日本政府全権の重光葵外務大臣大本営全権の梅津美治郎参謀総長が降伏文書に調印したのは9月2日です。
ドイツ軍のポーランド侵攻によって昭和14年9月1日から始まり、6年の長きに及んだ第二次世界大戦は、国際法的にはこの日(昭和20年9月2日)を以て正式に終結した事になります。

戦艦ミズーリ艦上での降伏文書調印

つまり8月15日というのは、実態は兎も角、少なくとも形式的には、日本国内で「終戦詔書玉音放送があった」というだけの日なのです。
もっとも実際には、8月15日には、鈴木内閣の閣僚のひとり(陸軍大臣)であった阿南惟幾陸軍大将が陸相官邸で割腹自決したり、陸軍の一部将校らによるクーデター未遂事件「宮城事件」が起きるなどしていますし、後年になってこの日の出来事を詳細に取り上げたノンフィクション作品「日本のいちばん長い日 運命の八月十五日」(昭和42年と平成27年の2回、映画化もされています)が出版されて人気を博すなど、8月15日がやはり特別な日だった事は確かなのですが、少なくとも、その前後の数日に比べてこの日だけに格別に歴史的な大事件が起こった、というわけではありませんでした。

しかし、そうであるにも拘わらず、昭和天皇による玉音放送があった事で国民の心にはこの日が強烈に印象付けられ、それは、玉音放送の意義の偉大さ、つまりは昭和天皇という御存在の偉大さを、改めて証明するものとなりました。

戦争終結を知らせる新聞

そして、8月15日にはもうひとつ大きな意味があります。玉音放送によって、国民にとってこの日が「終戦」や「敗戦」を象徴する日となった事で、この日は私達日本人にとって、「戦中」と「戦後」というふたつの時代の、明確な「区切りの日」になったのです。
ポツダム宣言の受諾はいつか、戦闘行為は具体的にいつ終わったのか、降伏文書はいつ調印されたのか、サンフランシスコ講和条約の調印や発効はいつか、などといった事に関係無く、私達日本人のほぼ全員が、8月15日より前が「戦中」で8月15日より後が「戦後」、という共通の認識を持つ事となったのです。

玉音放送を拝聴する人々

 

普段は、日々の仕事や家事等に追われて何かと忙しく、七十数年前のあの激動の時代(戦時中、終戦時、終戦直後など)を振り返る機会がほとんど無いという方も、せめて8月15日というこの特別な日には、靖國神社護国神社・最寄りの神社などの大前を通して、もしくは御家庭の神棚の御前を通して、先人達の尊い犠牲に対して深い哀悼の念を捧げ、当時、命を懸けて我が国を守って下さった人達が沢山いたという事に、そして、英霊が生きる事が叶わなかった一日一日を大切に生き、平和で豊かな日本の未来を創る事に、思いを馳せるべきかと思います。

西野神社の大前で拝礼する参拝者

 

以下の各記事は、過去に私がこのブログにアップした、「終戦」に関する記事です。興味のある方は、是非これらの記事も併せて御一読下さい。

▼ 「終戦記念日
https://nisinojinnjya.hatenablog.com/entry/20050815

▼ 「終戦に伴う神様の御動座」
https://nisinojinnjya.hatenablog.com/entry/20060208

▼ 「ヤルタ会談
https://nisinojinnjya.hatenablog.com/entry/20060608

▼ 「鈴木貫太郎
https://nisinojinnjya.hatenablog.com/entry/20070815

▼ 「一億の号泣」
https://nisinojinnjya.hatenablog.com/entry/20080817

▼ 「原爆投下から終戦までの流れ」
https://nisinojinnjya.hatenablog.com/entry/20110809

▼ 「70回目の終戦記念日
https://nisinojinnjya.hatenablog.com/entry/20150815

▼ 「終戦へと導いた鈴木貫太郎阿南惟幾
https://nisinojinnjya.hatenablog.com/entry/20170815

▼ 「74回目の終戦記念日を迎えました」
https://nisinojinnjya.hatenablog.com/entry/2019/08/15/193000

 

以下の各記事は、過去に私がこのブログにアップした、「終戦」から「日本が独立回復をする日(サンフランシスコ講和条約の発効)」までの間に起こった出来事や事件等について取り上げた記事です。興味のある方は、これらの記事も御一読下さい。

▼ 「パール博士」
https://nisinojinnjya.hatenablog.com/entry/20060421

▼ 「講和条約と昭和の日」
https://nisinojinnjya.hatenablog.com/entry/20060429

▼ 「東京裁判開廷から今日で丸60年」
https://nisinojinnjya.hatenablog.com/entry/20060503

▼ 「9人の乙女」
https://nisinojinnjya.hatenablog.com/entry/20060820

▼ 「満州で散華した神州不滅特別攻撃隊
https://nisinojinnjya.hatenablog.com/entry/20100819

当然の事ながら、8月15日の「終戦」を以って、直ちに平和で安定した世の中が到来したわけではありませんでした。「終戦」の後も暫くの間、国内や国外では依然として、上の各記事で取り上げたような、戦闘行為や特攻、戦勝国による殺戮などの悲惨な事件、その他、明らかに戦争の延長線上にある出来事(連合国による日本占領、占領下での検閲や言論統制戦勝国による軍事裁判とその刑の執行、占領からの脱却・再独立を図る動き)などが起こっており、サンフランシスコ講和条約の発効まで、日本にとっては「完全に戦争が終わった」とは言えない状態が続いていました。

 

文責:西野神社権禰宜 田頭