西野神社の社殿
本年6月7日付の記事では「儀式殿(ぎしきでん)」、本年6月4日付の記事では「神輿殿(みこしでん)」という殿舎をそれぞれ詳しく紹介しましたが、西野神社御祭神への信仰の最大の中心地である「御社殿(ごしゃでん)」については、社殿変遷の歴史について触れた平成20年7月13日付の記事などを除くと、このブログでは今まで特に詳しくは解説しておりませんでした。
そのため、今更ではありますが、今回の記事では西野神社の社殿(前出のように、より丁寧な言い方は「御社殿」ですが、以下「社殿」と略します)について、写真と共に改めて解説させて頂きます。
まず「社殿」という言葉の意味・範囲についてですが、これは各神社によって異なりますが当社の場合は、「本殿(ほんでん)」「幣殿(へいでん)」「拝殿(はいでん)」という、連なって建っている三殿の総称として用いております。
西野神社の御祭神三柱(豊玉姫命様、鵜草葺不合命様、譽田別命様)がその内部に鎮座されている最も神聖な殿舎が「本殿」、その本殿の手前に位置し神職が祝詞を奏上したり幣帛(へいはく)を捧げたり神職もしくは巫女が祭祀舞を奉納したりなどする殿舎が「幣殿」、その幣殿の手前に位置し祭典の参列者や御祈祷を受けられる方などが胡床(こしょう)という座具に座ったり玉串拝礼をしたりなどする殿舎が「拝殿」です。
これらの三殿は、北海道以外の地域では外から一目見ただけで明らかに別々に建っていると判別出来る構造になっている事が多いですが、北海道の場合は、主に冬期の積雪対策の理由などから、ほぼ一体化して連なって建っていて、外観上は各殿舎が判別しにくくなっている事が少なくありません。
当社の場合もそのような構造になっており、社殿は正面から見ると、手前に建つ拝殿が見えるだけで、その奥に建つ幣殿や本殿は原則としてほぼ見えず、側面から見ると、各殿舎の屋根の高さと、屋根の傾斜の向きなどから三殿の違いが分る程度となっています。
下の写真は、東西に縦一列に並んで建つ当社の社殿を、側面(南側)から撮った写真で、この写真の中に、具体的にどこがそれぞれの殿舎(本殿・幣殿・拝殿)に当るのかを矢印で記してみました。とりあえず屋根を見れば、その違いが分るようになっています。
ちなみに、幣殿の直ぐ横(この写真では左端)に位置する、外側に窓口のある殿舎は「授与所」です。
なお、拝殿正面の最も手前(上の写真では右端)にあって、前方に屋根がせり出している部分(平時には天井から鈴緒が垂れていて、床にはお賽銭箱が置かれている、一般参拝者のための拝礼所)は、「拝殿向拝」(はいでんこうはい)と称します。
向拝はあくまでも拝殿の一部ですが、屋外となるため(そのためここでは24時間どなたでも土足のまま拝礼出来ます)、より神様に近くて神聖な拝殿内とは区別されています。
以下の写真はいずれも、当社の「拝殿」を前方から撮影した写真です。
厳密には、前述のように拝殿と本殿は明確に区別されるのですが、一般には、この拝殿を含めた西野神社の社殿全体を「本殿」と称する方が多いです。
以下の写真は、いずれも「拝殿向拝」です。ちなみに、現在(令和2年12月現在)は疫病対策のため、向拝の鈴緒は撤去しております。
以下の写真は、いずれも「拝殿」の内部です。御祈祷を受けられる方々は、社務所から繋がっている連絡通路(渡り廊下)を経て、こちらの殿内に昇殿して戴きます。
ちなみに、現在(令和2年12月現在)は疫病対策のため、胡床はこれらの写真のように直接隣接はさせておらず、それぞれ一定の間隔を保った状態で配置しています。
下の写真は、拝殿内から見た「幣帛」と「本殿」、それぞれの正面です。
この写真では、中央の手前側と奥側にそれぞれ階段(神社では単に「階」と記して「きざはし」と読みます)がありますが、具体的には、手前の階段より更に手前側が「拝殿」、手前の階段と奥の階段との間が「幣殿」、奥の階段より更に奥が「本殿」となります。外側から見た各殿舎(本殿・幣殿・拝殿)の屋根の高さや向きの違いも、これら階の位置とそれぞれ対応しています。
以下の写真はいずれも、正面もしくは斜め前方から見た「幣殿」と「本殿」です。
拝殿までは一般の方々も昇殿出来ますが(但し、祭典の参列者や来賓、御祈祷を受けられる方などにほぼ限られるため、誰でもというわけではありません)、幣殿には、原則として神職・巫女・伶人など、祭典・神事の奉仕者しか昇殿出来ません。
幣殿の床に敷かれている軾(ひざつき)という敷物には、祝詞を奏上する際や玉串を奉りて拝礼する際に斎主が座ります。というか、原則として斎主以外はここには座りません。
下の写真は、本殿の御扉(みとびら)と、本殿の大床(おおゆか)です。
神様はこの御扉の奥に鎮まっておられ、本殿内(この御扉を開扉した先)は、更に前後二つの部屋に分かれていて、前室に当る手前側を「外陣」(げじん)、外陣の奥にある御扉を開けた更にその先、本殿内で一番奥の部屋を「内陣」(ないじん)といいます。
大祭や中祭で神饌を伝供(でんく)する際などには、私達職員の神職(権禰宜達)も外陣までは入る事がありますが、神様が鎮まっておられる、本殿内でも最も神聖な内陣へは、宮司(一社の長である神職)以外は原則としては何人も立ち入る事はありません。
下の写真は、側面(北側)から見た「幣殿」と「本殿」の外観です。本殿の屋根の前半分が、幣殿の屋根の上に重なっている構造が視認出来ます。
但し、この写真を撮影した場所は非公開区域(当社関係者以外は立ち入り禁止の区域)であるため、申し訳ありませんが一般の方はこの光景を直接見る事は出来ません。
ところで、神社の社殿を本殿・幣殿・拝殿と三殿に区別するのは、あくまでも当社に於ける事例であり、これは全国共通の事例ではありません。
そもそも規模の小さな神社や小祠などでは、本殿一殿しかないのが普通ですし、ある一定以上の規模の神社では、大抵 本殿と拝殿の二殿がありますが、その二殿の間に建つ殿舎は当社のように「幣殿」と称するとは限らず、「祝詞殿」や「舞殿」など別の呼称で呼ばれたり、それら複数の殿舎が同時に隣接して建っている事もあり、また、拝殿の直ぐ前もしくは直ぐ隣に「祈祷殿」や「神楽殿」などが建っている神社も少なくはありません。
広大な境内地を有し何十人もの常勤神職を抱える大規模な神社であっても、日本人全員の総氏神様であり全国の神社が本宗として仰ぐ神宮(三重県伊勢市)や、三大八幡のひとつとされる石清水八幡宮(京都府八幡市)のように、本殿はあっても拝殿が無かったり、逆に、日本最古の神社のひとつとされ三輪山を神体山とする大神神社(奈良県桜井市)や、昔の石上神宮(奈良県天理市)のように、拝殿はあっても本殿がない、などの例外的な事例もあります。
ちなみに石上神宮は、神武朝より皇室(大王家)に仕えた古代の有力豪族 物部氏の氏神様で、大和朝廷の武器庫でもあったお宮であり、かつては本殿が無い神社として知られていましたが、大正2年に拝殿後方の禁足地に本殿が造営され、現在は他の大多数の神社同様、本殿のあるお宮となっています。