西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

神職で救急救命士の鈴木哲司さんが著された「命が消えたらどこへゆくのか」という本、一読をオススメします

今日(3月20日)は、春分の日です。春のお彼岸の日でもあり、この日とその前後の3日間、合せて7日間は、家族皆で御先祖様のお墓をお参りしたり、御先祖様をお祀りしている祖霊舎・仏壇などに感謝の祈りを捧げる期間とされており、今日、宮中では「春季皇霊祭」が、全国各地の神社でも「春季皇霊祭遥拝式」「皇霊殿遙拝式」「春季祖霊祭」「春季霊祭」等の名称で、やはり霊祭(みたままつり)が執り行われます。

今日が、御先祖様に祈りを捧げる日である事に因んで、今回は、私が昨年読んだ本の中でも特に印象に残った、昨年8月に二見書房から出版された「命が消えたらどこへゆくのか」という本を紹介させて頂きます。

書籍「命が消えたらどこへゆくのか」

 

この本は、現職の神職(千葉県長生郡に鎮座する熊野神社禰宜)であり、救急救命士(一般社団法人日本救急救命士協会 会長)でもあり、また、東日本国際大学健康社会戦略研究所で客員教授、地域医療連携推進法人医療戦略研究所で医療チャプレンなども務められている鈴木哲司さんが、書名の通り、私達人間の魂は死後どこへ行くのか、という他界観や死生観について著された本です。

神職救急救命士として抱く揺るぎない信念・使命感・責任感や、様々な人生経験などに基づいて記され、更に、それらの内容は確たる信仰と豊かな教養(著者は神社神道のみならず、国学や、大本などの教派神道、仏教やキリスト教などにも造詣が深いです)によって裏打ちされており、必見です。私はグイグイと引き込まれて一気に読破しました。

個人的には、故人の立場から見た神葬祭(交通事故で亡くなった40代半ばの男性が、亡くなってからも魂として意識を持ち続け、自分の神葬祭を全て見届けてからあの世へと旅立って行く様子)の描写や、神道的な解釈に基づく「あの世」の具体的な内容、著者が高度救急救命センターで勤務していた当時経験した過酷な日常とそこでの忘れられない臨床経験、臨死体験研究のエピソードなどは、とても興味深かったです。

また、教派神道の一派である神理教の佐藤経彦教祖が述べられた説として紹介されていた、『故人の四魂のうち、「荒魂」はお墓(奥津城)に鎮まり、「幸魂」は神様がおられる霊界(高天原)に帰り、「奇魂」は霊璽に留まって子孫の家や身に付き添い守り、「和魂」は産土神社にとどまってその地域共同体を守る』という説も、その一部には私も納得・共感出来る部分があり、やはり興味深かったです。
神葬祭では必ず、故人の御霊(みたま)を御遺体から霊璽(れいじ)へと遷し申し上げる「遷霊」という儀を執り行いますが、その遷霊によって、もし故人の御霊が完全に霊璽へと遷ってしまうのであれば、遷霊後の御遺体は御霊が抜けて何も入っていない「もぬけの殻」という事になってしまいますが、勿論現実にはそんな扱いは致しません。実際のところ、年祭などでは霊璽を拝礼対象としますが、少なくとも発柩祭・火葬祭・納骨祭や、納骨以後の墓前祭などは、明らかに霊璽に対してではなく御遺体(納骨祭や墓前祭の場合は御遺骨になっていますが)に対して執り行う霊祭であり、これはどういう事かというと、ローソクの火を分灯しても元の火が消えないのと同様、遷霊を行なって御遺体に御霊を遷し申し上げた後も御遺体から御霊が消えるわけではなく、故人の御霊は霊璽と御遺体(御遺骨)のどちらにも宿り続けるという事であり、この説で言う「荒魂はお墓に鎮まり、奇魂は霊璽に留まる」というのは、つまりそういう事なのだろうなと、個人的に解釈・納得出来ました。

産土神社の神様が雲の上の世界に於いて、その人が生まれた後、人生に於いて乗り越えるべき課題や使命などの調整を図り、それに基づいて、その人が赤ちゃんとして生まれるべき最適な環境の家・親・兄弟などを決められた、という中間生記憶(胎内に宿る前の、霊界での記憶)のエピソードは、今私が概略として記したこの文章だけを読むと、ややスピリチュアルな感じがして若干の違和感を感じる、という方もおられるかもしれません。
しかし、例えば幼い我が子を亡くして「この子の短か過ぎる人生には、一体どんな意味があったのだろう」と悲嘆に暮れている方などの中には、「神様は、意味があって私達をこの子の親として選び、私達にこの子を授けて下さったのだ」という事が感じられるこのエピソードに少なからず「救い」を感じるのではないかなとも思いました。

興味のある方は、是非この本を購入して読んでみて下さい!

 

文責:西野神社権禰宜 田頭