西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

「大丈夫、あなたが一人でも」という新刊、大変興味深い内容でオススメです!

本年3月20日付の記事では、神職であり救急救命士であり大学教授でもある鈴木哲司さんの著書「命が消えたらどこへゆくのか」を紹介致しましたが、今回は、その鈴木さんが、日本看取り士会会長の柴田久美子さんや佛心寺副住職の新田崇信さんと共に3人で著された「大丈夫、あなたが一人でも」という本を紹介致します。今月出版されたばかりの新刊です。

書籍「大丈夫、あなたが一人でも」 表紙

 

4年後の2025年(令和7年)、日本では団塊の世代の方々が75歳以上となり、4人に1人が75歳以上という超高齢化社会が到来する事になります。厚生労働省によると、その5年後の2030年(令和12年)には、病院でも施設でも自宅でも死ねない「看取り難民」が47万人にも達する試算されています。
本書では、この所謂「2025年問題」を踏まえて、看取りの重要性、看取りとは先祖の想いを次世代に引き継ぐ「命のバトンタッチ」であるという事、死と真っ直ぐに向き合う事や信仰を持つ事の大切さ、安心して涙を流せる優しい社会を目指すべき事などが、分りやすく説かれています。

書籍「大丈夫、あなたが一人でも」 著者紹介

 

本書の中で、著者のひとりである柴田さんは、『 今の日本は宗教を失っていると言われています。そんな危機的な状況にある日本の宗教なのですが、もしかすると既存の宗教を超えたところに「看取りの文化」というものが再構築できるのではないかという思いが湧いてきました。日本中の人々、あらゆる人々に今こそ宗教を超えて、死をまっすぐに見つめ、看取りというものの本質を知っていただきたい 』と述べておられ、また鈴木さんも、『 実は私の携わっている神道界は現在では積極的に死を扱わないようになってしまっているのですが、そんな中で積極的に死に向き合おうとする神様が、柴田さんの故郷である島根県出雲大社のご祭神である大国主大神なんですね。そこには、「人は死んだらどこへ行くのか」というみ教えが、古代日本の伝統叡智としてしっかり根付いています。ところが、それが特に戦後になってからは、唯物主義が蔓延り、本来日本人が何よりも大切にしてきた「霊性」をほとんど伝えられることがなくなってしまっています。現代こそ「死の文化」や「霊性」をしっかりと掘り起こして、また宗教的な側面と現実的な医療の側面とを融合させて、一般の人たちにも、抹香臭くない内容で分かりやすくお話ししていくことによって、死をきちんと理解したもらうことができれば、もっとみんなに楽に楽しく生きていけるのではないかと思います 』と述べておられ、本書はそういったテーマを主軸に据えて、解説が進められています。

 

個人的には、本書の中で述べられていた鈴木さんの以下の言葉が特に強く印象に残り、私としても大いに共感致しました。

日々の生活の中で起こっている一切の事柄は、自分のありようを知るための機会です。この世の中に現れる一切のことは神様のみはたらきであり、神様の恵みです。そのことをよく認識して、起きてきたことを自身の向上のために必要なことだと捉えて生きていくことが必要なのです。

『 「死は悲しみであり、怖いものである」というふうに植えつけられてしまっている。これを私はなんとか変えたいと思っています。

『 生から死に渡るというのは、見える世界から見えない世界に渡っていくということです。

幼い子供たちに先立たれることは、愛する家族にとっては大変つらいことであり、できることならば自分が代われないものかとすら思うものです。(中略) 幼い子供は身体も未熟であるため、霊体が整うまで霊界で成長するといわれています。その成長を出助けする大きな力は、家族や親族の丁寧なお祀りを通じて御霊を想う祈りのエネルギーです。この想いは、必ず御霊に届きます。なぜならば、霊界は想念の世界だからです。真心を込めた御霊まつりを行いましょう。

『 日々犠牲になっている赤ちゃんの命を守るというような活動を生涯かけてやっていきたいということも、私が宗教者を目指した大きな理由のひとつです。

『 今は泣けない社会ですよね。特に「男は泣いたらダメだ」なんて言われますから。でも、泣いたほうが良い、いや泣かないと駄目だと思っています。泣くことによって感情が浄化され、魂が磨かれていくんです。

『 泣きたい時には思い切り泣けばいいのです。それこそが、悲しみ苦しみを終わらせ、希望を取り戻し、笑顔で新たな一歩を踏み出すために最も必要なことなのですから。

『 死を正しく認識するにあたってはやはり、目に見えない世界、宗教、信仰、霊性文化に価値観を重く置く生き方が重要であり、そのあたりをお伝えしていくことも死に際しての不安を解消していく非常に大きな支えとなると考えます。

『 今、日本人の真の霊性回復が求められています。そして、この霊性回復は大切な人の死や看取りを通じて行なわれることが一番の近道なのです。

 

また、僧侶でもある新田さんが本書の中で以下のように述べられていた、葬儀の意義(葬儀は一方向ではなく双方向の大切な時間であるという事)も、個人的にはやはり印象に残りました。

ただ、そんな中でも少しづつ心の中に変化が訪れます。大切な人の「死」を受け入れようと心を整理されていく中で、故人との「新たなつながり」や「新たな出会い」を経験されるのです。
寂しさや悲しさの中にあっても、故人の想いが、温かく穏やかな言葉として心の中に響いてくるようになります。
悲しみの中に贈り物があります。亡くなられる方は、死を通して、その生涯、その「いのち」を、遺された方々に贈るのです。
そして、その「いのち」のバトンが受け取られる続ける限り、人間が本当の死を迎えることはなく、遺された方々と共に生き続けることができる…。私はそれが真実だと確信しています。
そのような視点から見てみると、葬儀や法事、お墓参りといった場の持つ意味も、少し変わってくるのではないでしょうか。
葬儀は、遺された人の立場から、故人のために行うものと思われています。また親戚同士が集まる貴重な時間として、遺された人同士の繋がりを強めるためという側面もあるかもしれません。
しかし葬儀とは、遺された方かた故人のために行われるというだけではなく、実は、故人から遺された方々のために行われるという意味もあり、一方向ではない双方向の大切な時間であることを決して忘れてはならないと思うのです。
肉体の死を迎えてなお、遺された方々へ贈る「いのち」のエネルギー。このエネルギーを遺された方々にしっかり送り届けること。それこそが、葬儀や法事のもう一つの大切な役割なのです。
僧侶としてお参りに行く際は、遺された方々の想いをしっかりと故人へと届けるために、そして同時に故人の想いをしっかりと遺された方々に届けられるようにと、お祈りをさせていただいております。


良書ですので、興味のある方は是非、現物の本書を直接手に取ってお読み下さい。ワタクシ的にはオススメの本です!

 

文責:西野神社権禰宜 田頭