西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

建国記念祭

日の丸

今日は「建国記念の日」です。日本書紀によると、初代天皇である神武天皇はこの日に橿原の地で天皇の御位に即位したとされており、それを記念し、全国の主要な神社ではこの日、建国創業の御神徳を景仰し、「紀元祭」、「紀元節祭」、「建国記念祭」等の名称で祭典を斎行します。

規模の小さな一般の民社では祭典は行わないことも多いのですが、当社では毎年、2月11日には「建国記念祭」として祭典を斎行しており、今日は午前11時から、およそ30人程の氏子総代さんたちが参列するなか、斎主(宮司)と祭員2名(内1人は私)の3人奉仕により、「建国記念祭」を斎行いたしました。中祭としては、元日に斎行した歳旦祭以来の祭典です。

建国記念の日」は、明治初期から終戦直後までは「紀元節」という名の祝日でした。紀元節は、新年(元日)、天長節天皇誕生日)とともに三大節(昭和期からは明治節を加えて四大節)と称され、当日は、宮中三殿において天皇陛下により紀元節祭が親祭されるのをはじめ、全国の神社で紀元節祭が執り行われ、また全国の小学校や各種団体においても様々な記念式典が実施されていました。

しかし、昭和23年、当時日本を占領下に置いていたGHQの強い意向により祝祭日の改廃が強行され、「祝祭日のなかでも紀元節は特に神道指令の趣旨から存続は許されない」というGHQの強行な圧力により、大多数の国民に惜しまれつつも紀元節は廃止されてしまいました(同年の世論調査では、81%もの国民が紀元節の存続を望んでいました)。

当時の神社関係者たちは、紀元節を復活するため、占領最後の年の昭和27年には早くも神社の社頭などで署名運動を開始し、当初は微力な運動であったものの、やがてその運動は諸団体有志の大連合戦線となり、多くの国民の支持や協力を得て「建国記念の日」として紀元節を復活させるための法案が国会にも提出されるようになりました。しかし法案の通過は容易ではなく、7回も廃案になる憂目を見ながらも、ついに昭和41年、運動関係者の悲願であった「建国記念の日を2月11日とする」という政令が制定され、翌年公布されました。

既に述べたように、今日は、全国の主要な神社で祭典が執り行われますが、そのなかでも最も盛大に祭典が執り行われるのが、奈良県橿原市に御鎮座する橿原神宮です。橿原神宮は、神武天皇を御祭神としてお祀りする、明治23年に創建された比較的新しい神社ですが、神社の御鎮座する地に神武天皇の宮殿(畝傍橿原宮)があったことや、橿原神宮を含む橿原公苑内には神武天皇御陵があることなどから、神武天皇に最も所縁のある聖地として、毎年2月11日には、勅使(天皇陛下のお遣い)参向のもとに、大々的に例祭(紀元祭)が執り行われており、全国各地から数千名に及ぶ崇敬者が参列します。

当社では、建国記念祭の後は参集殿において直会が開かれ、総代さんたちはそこで1時間半程、直会の料理を食べたりお酒を飲みながら、皆さん大いに盛り上がっていました。私はその後地鎮祭に行かなければならなかったため、直会には少ししか出席できませんでしたが、私も楽しい一時を過ごさせていただきました。

(田頭)