西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

護國神社宵宮祭

献饌

今日は夕方6時から、市内に鎮座するS護國神社で「宵宮祭」が斎行され(写真参照)、私を含め9人が、文月会から祭員として助勤に行かせていただきました。

護國神社では、毎年、例祭の前日に当たる7月5日に「御霊璽奉安祭」という合祀祭を斎行しており、文月会の会員が毎年御奉仕させていただいていおります。御霊璽奉安祭がどういう趣旨の祭典であるかということは、昨年7月5日付の記事「護国神社 合祀祭」にまとめさせていただきましたが、改めて簡単にまとめますと、御英霊の御遺族がS護國神社の合祀管内(石狩・空知などの5支庁)以外の地から合祀管内に引っ越してきた場合、御遺族の申請により御英霊も、その御遺族が以前住んでいた地域の護国神社からS護国神社分祀されるのですが、御霊璽奉安祭とは、その分祀された御英霊を新たにS護國神社に合祀(お迎え)する祭典です。ちなみに、S護国神社では昨年は3柱の御英霊が合祀されました。

しかし今日執り行われた祭典は、例年のように「御霊璽奉安祭」としては斎行せず、例祭の前夜祭として、「宵宮祭」の名称で祭典が執り行われました。実は、こういった事態はS護國神社でも今年が初めてだそうですが、今年は一件も合祀がなかったため、御霊璽奉安祭としては斎行できず、そのため、通常の宵宮祭として祭典が執り行われたのです。来年以降、また合祀が行われることになれば、そのときには例年通り御霊璽奉安祭を執り行うとのことですが、合祀が行われなかったという今年の事例からも、終戦から既に60年以上も経っているという“時の流れ”を改めて実感しました。

なお、今年の宵宮祭は、前述のように文月会からは9人が祭員として御奉仕させていただきました。護国神社の職員さん3人と助勤者9人により総勢12人での御奉仕となり、この人数は、一社の祭典の奉仕としてはかなり多い数といえますが、それでも、例年の御霊璽奉安祭よりは少ない人数での御奉仕となりました。一つの部屋に沢山の助勤者が入って改服するため、例年ですと斎服を着るのも畳むのも隣の人とぶつかり合いながら行っていたのですが、今日は、昨年と同じ部屋を使わせていただいたにも関わらず隣の人とぶつかることなく悠々と着替えることができましたので、こういったことからも人数が少ないことを実感しました。今年に限ってなぜ助勤者の人数が少なかったのかというと、現在、北海道神社庁では初任神職研修が、また北海道神宮では職員旅行が実施されており、そちらに参加している人たちがかなりいたためです。

宵宮祭の後は直会に出席させていただき、その後、文月会の役員たちはS護國神社のすぐ近くに鎮座するY神社に移動し、Y神社にて午後8時から、文月会の役員会が開かれました。今日の役員会では、先月の行事(道神青研修会花見)の収支報告が行われた後、来月3日に行われる家族慰安会や、来月9日に行われる救急救命講習会、その他(文月会ホームページ文月会カレンダー、教化リーフレットなど)が議題に上がり、およそ2時間、それらの議題について話し合われました。

(田頭)