西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

西野神社の遙拝所発見

西野神社 小祠 西野神社 小祠

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先日、当社から車で15〜20分程の距離に当たる、市内中央区某所(当社の氏子区域内ではありません)の雑木林の中で、当社の歴史に関わる祭祀遺物が発見されました。その付近に住んでおられる方から、「西野神社って書いてありますけど、おたくのじゃないですか?」と当社に電話があり、それを受けて私が宮司の指示により現地に確認をしに行って見つけてきました。

写真のように目測で高さ50cm程の小祠(というよりも、ほこらの形をした石碑)で、正面には「西野神社」の四文字が、背面には「明治廿二年一月創立 氏子總代 川中長三郎」という文字がそれぞれ刻まれており(川中長三郎氏は当社の初代総代です)、それ以外に記された文字はなく、また当社でもこの小祠についての記録はないため、由緒などの詳細(そもそもなぜここにあるのか)は全く分からず、西野神社の創祀が明治18年、西野神社という社号の認可が降りたのが明治32年、そしてその間が記録のない空白期間である事を考えると、この小祠が当社の創建時もしくはそれに極めて近い時期のお宮である可能性も考えられました。

昨年6月24日付の記事「西野神社の創建」には、当社の創建当時の様子が描かれた想像図を貼付させて頂きましたが、この小祠はそれとほぼ同時期、もしくはその数年後程度につくられたものである事も考えられ、そうであるならば、これは当社の創建に関わる極めて重要な小祠(元宮)である事も考えられ、当社としてもこれをこのまま放置する事はできず、今日、改めて宮司が直接視察に行って参りました。

そして、宮司が近隣の人から話を聞いた結果、この小祠は、札幌神社(現在の北海道神宮)の禰宜で明治32年から昭和8年まで当社の社掌(宮司)も兼任していた野村茂氏がつくったものであるらしい事と、その野村氏が兼務社であった当社に直接お参りに行けない時にこの小祠を通して当社にお参りしていたらしい事、などが分かりました。つまり、この小祠は西野神社の遙拝所のようなものであったのです。

私が先日撮ってきたこの小祠の写真を見て、宮司は「明治22年につくられた割にはちょっと新しいね」と言っていたのですが、宮司がそう感じていたように、どうやら明治22年にできたものではなく、実際にはもっと新しいもののようです。私などは、「西野神社の元宮かも!」と結構期待していたのですが。もっとも、そこまで古くはないといっても、野村氏が当社の社掌在任期間中(明治32年〜昭和8年)につくられたものである事は確かなようです。

また、この小祠のすぐ近くには、野村氏が兼務していた他の神社の名が刻まれた同型の小祠も4社分発見され、そのため、北海道神社庁札幌支部管内各社の宮司さん達が一同に集まる今月中旬の支部の総会時に、これらの小祠と関係のある各神社の宮司さん達が、今後これらの小祠をどうするか話し合って決める事になりました(一応各社が引き取る方向で話を進めるそうです)。

(田頭)

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