西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

秋まつりの助勤

渡御

昨日から明日にかけての3日間、札幌支部管内に鎮座する某T神社では秋まつりが行われています。昨日が宵宮祭で、今日が例祭で、そして明日が後日祭です(当社の場合は、後日祭がないため秋まつりは2日間です)。そのT神社の宵宮祭と例祭には、当社からは毎年松澤権禰宜が祭員として助勤に行っているのですが、今年は初めて、私がT神社に助勤に行かせていただきました。

昨日の宵宮祭は午後6時からの斎行で、修礼(祭典のリハーサル)や斎場の確認、装束の着装(斎服を着ます)などがあるため、祭典の始まる1時間前にはT神社に着くように行きました。同日の同時刻、札幌市北区内に鎮座する某S神社では、御鎮座120周年の記念事業して実施された社殿の改築工事完了による遷座祭が斎行されたため、札幌支部管内の神職の多くはそちらの方に参列したようですが、それでも、T神社の宵宮祭には私の他にも、上川支部管内の下川町に鎮座する某S神社の前宮司さんや、札幌市中央区に鎮座する某H神宮の職員さん2人が祭員として、また典儀として北区に鎮座する某S皇大神社宮司さんもそれぞれ助勤に来られ、斎主(T神社宮司)、副斎主(T神社職員)、助勤の神職(私を含め4人)たち6人の奉仕と典儀1人により、宵宮祭が斎行されました。

ところで、神職になるまで私は知らなかったのですが、祭典において助勤の神職がどの装束を着装するのかは、各地域や各神社によって実は大きく異なります。昭和21年に神社本庁が制定した「神職の祭祀服装に関する規程」では、本庁包括下の神職は、大祭の場合及び天皇三后・皇太子・皇太孫御参拝の場合は正装(正服)を、中祭の場合は礼装(斎服)を、小祭及び恒例式の場合は常装(狩衣など)をそれぞれ着装すると定めていますが、この規程はあくまでも自分の所属する神社の祭典において着装する装束についての規程であり、助勤者の装束についてまで定めたものでありません。

そのため、例えば札幌支部管内の神社では、大祭・中祭に関わらず助勤者は斎服を着装するのが一般的なのですが、上川支部管内の神社では、助勤者は狩衣もしくは浄衣を着装するのが一般的らしく、同じ北海道内でも地域によってその慣例が異なるのです。大祭において斎服や狩衣を着装するのは、助勤者はその神社で奉仕する職員に遠慮して、その神社の職員よりも下位の装束を着装すべき、という趣旨からです。しかし、この趣旨も統一されている訳ではなく、札幌支部管内の神社でも、神社によっては助勤者も大祭においては正服を着装する所があるそうです。

T神社の宵宮祭と例祭では、助勤者は斎服を着装するのが慣例なのですが、昨夜は、助勤者のうちの一人が上川支部管内の出身であったため斎服ではなく浄衣を持ってきており、その関係から、昨夜の宵宮祭では祭員の装束がバラバラとなる事態になりました。斎主が正服(赤い袍)を、斎主に次ぐ上位の祭員2人が浄衣を、そして私たち助勤の神職と典儀が斎服を着装したのです。これは本来あり得ない組み合わせなのですが、しかし文月会においても、毎年12月に奉仕している月寒忠霊塔慰霊祭では、祭員たちは浅黄色の袴の上に浄衣を着装するなど、本来の規定ではあり得ない装束を着装することがあるので、重箱の隅を突付くようなあまり細かい指摘は無用なのかもしれませんが…。

西野神社で斎行する祭典はいつも3人奉仕で、神饌の伝供(手渡し)が行える程の人数がいないため大祭でも神饌の伝供は行わず(瓶子と水器の蓋を開ける動作を以って献饌としています)、そのため手長を務めたのも1年半ぶりくらいでしたが、手長の所役も無事に務めることができました。振り返ってみますと、頻繁に手長を務めたのは学生(神職実習生)のときで、現職の神職になってからは、その機会はほとんどない気がします。職員を何人も抱えているような規模の大きな神社であれば、神饌の伝供は日常的によく行っていることなんでしょうけど。

そして今日は、午前11時から例祭が執り行われました。今日は、清田区に鎮座する某A神社の禰宜さんも助勤に来られたため、祭員は昨日よりも1人増え、7人による奉仕で祭典を執り行いました。今日の例祭では、斎主は正服(赤い袍)、副斎主も正服(青い袍)、以下の祭員は全て斎服で、神職の装束も上下順に綺麗に揃いました。

昨夜の宵宮祭は、参列者の数が少なく、社殿に並べた胡床の3分の2以上は空いていましたが、一転して今日の例祭では胡床の大半が埋まり、T神社の鎮座する都市の市長さんをはじめとする市政の関係者や、北海道神社庁札幌支部の正副支部長などの神社関係者も参列されました。

祭典終了後、T神社からお弁当を頂き、助勤として来られた神職の方々はお弁当を食べた後、次々と自社に帰っていかれましたが、私はそのままT神社に残りました。今日の夕方4時半からT神社の御神輿が出御するため、夕方頃には、御神輿を担ぐため西野神社神力会をはじめ道内各地の神輿会の人々がT神社に来ることになっており、今日の渡御には私も担ぎ手の一人として参列させていただくため、私は西野神社には戻らずそのままT神社に残ったのです。

とはいっても、4時半までにはまだかなりの時間があったので、3時頃まではT神社の職員さんと一緒に、渡御の準備(総代さんたちの着替えのスペースを確保するため参集殿内のデーブルや座布団を片付けたり、総代さんたちの着装する裃・袴などの装束を出したり、渡御の行列で使われる五色の幟を準備したり等)をしたり、御殿での作業(夕方4時から始まる遷霊祭の神饌を準備したり、拝殿内の胡床を全て片付けたり、絹垣を組み立てたり等)を手伝ったりしていました。

3時半頃には、当社の宮司と神力会の人たちもT神社に到着し、宮司に持ってきていただいた担ぎ手の装束に着替えてから、私も神力会の人たちと合流しました。そして4時からは遷霊祭(本殿から御神輿に御霊代をお遷しする神事)が執り行われました。当社の場合、御神輿への遷霊は宵宮祭の直後に行っているのですが、T神社の場合は宵宮祭の翌日、御神輿の出御の直前に行うようで、他社のこういった神事を見学させていただいたことは、私にとってよい勉強になりました。

渡御(写真参照)は、夕方4時半から夜の8時半まで、4時間に亘って行われました。途中の休憩箇所(御旅所)ではお握りや豚汁などが振舞われ、私も美味しくいただきました。当社の秋まつりが終了して間もない時期に、T神社の秋まつりに2日間奉仕しましたので、私としましては、何だか今年は秋祭りを2回経験したような感覚です(笑)。

(田頭)