西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

大晦日から1月2日にかけての動き

新年

≪平成18年 12月31日≫

【21:00】

総代さんたちが神社に集合。総代さんたちは除夜祭に参列された後、明朝まで、参道にてかがり火を焚いたり、授与所の一画に詰めて参拝者の方々に御神酒や甘酒を振舞ったりして下さいます。

【21:30】

明朝9時まで授与所に詰めて下さる助勤の巫女さんたち4人と、除夜祭での玉串奉奠の際に楽を奏して下さる伶人の方(萬燈保存会の会員)3人が神社に集合。

【22:00】

宮司、松澤権禰宜、私(田頭)、実習生の4人奉仕により除夜祭(今年1年間の神様の御恵みに感謝する祭典)を斎行。3人奉仕の祭典では、私はいつも祝詞後取と玉串後取を務めさせていただいているのですが、今回の除夜祭では、実習生にはそのうちの玉串後取(玉串奉奠の際、参列者の方々に玉串をお渡しする所役)をしてもらいました。

なお、このときの除夜祭の様子は、総代さんにお願いして神社のデジカメで撮っていただき、それらの写真は全て「西野神社アルバム」の平成18年12月「除夜祭」のページ(下記URL)にアップさせていただきました。

http://nishinojinja.or.jp/photo/181231b.htm

【22:45】

初詣の参拝者を迎え入れるための最終準備、確認等を行いました。私は、おみくじのテント内に各おみくじ(おみくじの種類は毎年増え続け、現在では全部で10種類もあります!)の箱を設置したり、境内各所の凍結している地面に滑り止め用の砂を撒いたり、各ストーブの灯油を確認したり、かがり火用に使う灯油を準備したり、総代さん達から「あれないかい?」とか「あれどこにあるの?」と言われる度に物を探しに境内を走り回ったりしていました。


≪平成19年 1月1日≫

【00:00】

0時の時報とともに、拝殿の太鼓を宮司が打ち鳴らし(写真参照)、それと同時に、それまで向拝の前まで列を作って並んで待っていた参拝者の方々が一斉に賽銭箱にお賽銭を投げ入れたり鈴緒を鳴らし始め、新年がスタートしました。

午前0時からは新年の御祈祷も始まり、参拝者控室で待機していた人たちは拝殿に移動して、新年の御祈祷(家内安全など)を受けました(この時間帯の御祈祷は宮司が行い、私は社務所にて御祈祷の受付をしました)。御祈祷は1時間程で一段落し、あとは歳旦祭が終わる午前10時頃まで御祈祷はありませんでした。

【03:00】

毎年、元旦の0時からは、当社の境内は初詣の参拝者でとても混雑しますが、しかし例年ですと01:30頃には社殿前の参拝者の列がなくなり、01:40頃には参拝者の数もまばらになり境内は大分静かになるのですが、有り難いことに今年は昨年よりも参拝者の数が多く、向拝に続く参拝者の列は01:30の時点でもまだ鳥居まで続いており、参拝者の列がなくなったのは2時を過ぎてからで、境内で参拝者の姿がほとんど見られなくなったのは更に時間が下って3時頃になってからでした。

3時過ぎ頃には、社務所内に併設されている職舎(宮司さん一家の私邸)にて天ぷらそばをご馳走になりました。

【03:30】

3時半から5時までは、それまでおみくじのテントに詰めていた実習生と交代して私がテントに詰めました。おみくじを引くことに対してのお気持ち(おみくじによって違いますが100円〜300円)は各おみくじの箱に供えてある専用の箱に投入するだけなので、テントに詰めていても実はすべきことは然程多くはないのですが、混雑する授与所での両替の負担を軽減させるため、おみくじを引くための両替は一括してこのテントで行うようにしており、また、おみくじの補充をしたり、参拝者からの問い合わせに答えたりといったことも主にここでしていました。

しかし、屋根があるだけで壁のないテントなので、いくらストーブを焚いてもかなり寒く、折角おそばを戴いて温まった体もすっかり冷えてしまったため(←言い訳ですが)、参拝者が誰もいない隙を狙って(笑)、私はときどき総代さんたちが詰めている授与所の一画に行って御神酒や甘酒などを戴いておりました。

【05:00】

5時から6時半までは、再び実習生にテントに詰めてもらい、私は社務室にて休憩していました。この休憩時間に少しでも仮眠をとっておけば良かったのですが、テントに詰めていたときは何度か睡魔に襲われかけたものの社務所に戻ると何故かすっかり眠気が覚めてしまったため、この時間、私は社務室のPCでネットサーフィンをしていました(笑)。

助勤の巫女さんたちは御祈祷の控室にて交替で休憩(仮眠)していたのですが、仮眠を終えて控室から出てきた2人の巫女さんに「寝られたかい?」と訊いてみると、2人とも「微妙です」と答えたので、巫女さんたちも熟睡はできなかったようです(まぁ当然でしょうけど)。

【06:30】

再びテントに詰めました。まだ列が出来る程ではありませんが、この時間頃から再び参拝者の数が多くなってきました。

【08:00】

職舎にて、宮司さんの奥さんやお母さんが作って下さったお節料理をいただきました。とても美味しかったです!

【08:30】

歳旦祭にて神楽を奉納する巫女さん2人と、歳旦祭での玉串奉奠の際に楽を奏して下さる伶人の方3人が神社に集合。

【09:00】

宮司、松澤権禰宜、私(田頭)の3人奉仕により歳旦祭(今年一年間の無事平穏や豊作をお祈りする)を斎行。祭典の次第は昨晩の除夜祭とほとんど同じで、除夜祭と異なる点といえば、総代幣帛の献幣がないことと、神楽の奉納がある点くらいです。除夜祭も歳旦祭も「中祭」であるため、装束も、前日の除夜祭のときと同じものを着装しました(例外もあるのですが一般には、大祭では正服を、中祭では斎服を、小祭では狩衣を着装します)。

なお、前日の除夜祭に続きこの日の歳旦祭でも、再び総代さんに神社のデジカメをお渡しし、その総代さんに写真を撮っていただきました。「西野神社アルバム」の、平成19年1月「歳旦祭」のページ(下記URL)にそれらの写真をアップさせていただきましたので、是非御覧下さい(神楽を中心に撮られています)。

http://nishinojinja.or.jp/photo/190101.htm

【10:00】

新年の一般の御祈祷開始です。ときどき「八方除」「星厄消除」「開運招福」「商売繁盛」「合格祈願」などの御祈祷もありましたが、この日の御祈祷は、例年通り「厄除」と「家内安全」がほとんどでした。授与所には、松澤権禰宜と巫女さんたちが入り、宮司と私は社務所に残って交替で御祈祷を担当しました。私は正午頃までは主に御祈祷の受付を担当し、午前中の社殿での御祈祷は宮司が執り行っていたのですが、新年の御祈祷はこの時間帯(元日の午前中)に最も集中するため、引っ切り無しにずっと御祈祷をされていた宮司さんはかなりお疲れになったことと思います。

ちなみに、正午になる少し前に、宮司さんの奥さんが宮司さんを気遣い「宮司の様子はどう?」と私に訊いてきたのですが、それに対して私は、次から次へと受付に来られる参拝者の御祈祷の受付に追われながら、ほとんど頭の中が真っ白に近い状態で「もう、いっぱいいっぱいです」と答えたのですが、後から考えてみると、そのとき「いっぱいいっぱいです」と答えていた私の方が明らかに「いっぱいいっぱいです」の状態で(笑)、宮司さんは疲れをあまり表に出さない方なので、まだ余力は残されていたようです。

【12:00】

昼食を食べた後、午後は主に私が御祈祷を執り行いました。ちなみに、昨日までの予定では、この日の御祈祷は宮司と私による交替ではなく、宮司が斎主を、私が祓主と玉串後取を務めることで2人同時に奉仕する予定だったのですが、都合により、結局例年通り交替で御祈祷をすることになりました。

【14:00】

御祈祷の合間を縫って、昨日の「師走の大祓」のために人形(ひとがた)を納められた方全員の連絡先をPCに入力する作業を行いました。4日には、入力したこれらの連絡先を全てラベルにプリントアウトして、人形を納められた方全員に大祓のお札を発送するため、この作業はそれまでには全て終わらせておく必要があるのです。

【17:00】

巫女さんの交代と合わせてこの時間から、授与所を閉める21時まで、私はずっとおみくじのテントに詰めていました。シフトでは、巫女さんはこの時間から5人から2人に入れ替わる予定だったのですが、参拝者の列が途切れないため、急遽もう1人の巫女さんにも来てもらい、授与所には松澤権禰宜と巫女さん3人に詰めていただきました。

昨晩一睡もしていなかったため、さすがに私もこの頃から睡魔に襲われ始め、テント内のパイプイスに座りながらときどき船を漕いでいました。おみくじを引きにきた方から「兄ちゃん、疲れてるな!」と声をかけられてからは一応目が覚めました(笑)。

【19:00】

結局、境内の人波が消えたのはこの時間頃です。例年の元日はもっと早くに人波が消えていたはずなので、今年の元日は例年に比べ参拝者の数は多かったようです。

ちなみに、元日にオリコンから発表された「みんなどこへ?初詣に行きたい場所ランキング!」(全国アンケート)によると、2位は明治神宮、3位以下は伊勢の神宮、川崎大師、成田山などいずれも格式のある社寺がランクインしているのですが、そんな中で見事1位に輝いたのは意外(?)なことに「近所の神社」という回答でした。その理由としては、「一番落ち着くし、地元の神様と言うことでご利益がありそう」「久々に中学時代の友達と会える」「近くで利用しやすいから」などで、有名な社寺などでは宿命ともいえる「混雑」を理由に近場で十分と挙げる人も多く見られたようです。

【21:20】

21時に授与所を閉める予定だったのですが、人の波が消えたとはいえまだ授与所に来られる方は多かったため21時には授与所を閉められず、人が途切れた21時20分頃に、やっと授与所を閉めました(屋外に出している授与品やおみくじなどは全て授与所内にしまい、窓口を施錠しました)。

【21:50】

2日ぶりに退社しました。家に帰って夕食を食べて入浴してから、43時間ぶりに布団に入りました。さすがにかなり疲れました。しかし、最も混雑していた時間帯に御祈祷を担当されつつも、同時の社務の全てを仕切っていた宮司さんや、ずっと授与所に入って参拝者への応対をしつつ、巫女さんたちに指示を出したり授与品の補充などを続けていた松澤権禰宜は、きっともっと疲れていたことと思います。皆様お疲れ様でした。


≪平成19年 1月2日≫

【08:20】

神社に出社。授与所を開け、助勤の巫女さんたちが出社する9時まで授与所に詰めました。

【09:00】

境内に落ちているおみくじを拾って集めたり、神社から発送する郵便物の宛名ラベルを印刷するなど雑用をこなしていました。

【09:30】

宮司さんは外祭に行き、松澤権禰宜は授与所での社務を仕切っているため、午前中はずっと私が御祈祷を担当しておりました。御祈祷をしていると時間が過ぎるのはあっという間で、何気なく時計を見てみると、さっき時計を見たときから既に2時間も経っていたりましす。

【12:30】

昼からは、宮司さんと交代で御祈祷をしました。私は、御祈祷をしていない時間には、昨日の御祈祷のデータをPCに入力するなどの作業を行っていました。

【14:00】

物を受け取りに北海道神宮に行ってきました。さすがに三が日だけで70万人もの参拝者が訪れるお宮だけあって、北海道神宮の駐車場入口には長い車の列が出来ており、更に周辺道路の路肩には三角コーンが立ち並んで路駐もできないようになっていましたが、私は駐車場入口に立っていた交通誘導警備員に「社務所に届け物に来ました」と言って、強引に駐車場出口から境内に入り、そのまま人込みをかき分けて車で社務所前まで行きました。社務所内では、K禰宜や、さざれ石会の事務局長でもあるK権禰宜にお会いしましたので、謹んで新年の御挨拶を申し上げてきました。

【15:00】

神社に戻ってからは、再び宮司さんと交代で御祈祷をしました。引っ切り無しに続いていた訳ではないものの、一応17:30頃までは御祈祷が続きました。

【20:10】

授与所を閉めました。

【20:40】

退社して家に帰りました。


(田頭)