西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

紀元祭

平成28年 西野神社 紀元祭の日の朝の境内

今日(2月11日)は「建国記念の日」です。
建国記念の日は、我が国にとっては格別な意味を持つ、実にお目出度い記念日ですが、残念な事に最近は、そもそもこの日は何に由来する記念日でどうして祝日なのか、その意味を知らない日本人がかなり多いらしいです…。

「しらべぇ」というニュースサイトに本日アップされた記事に、しらべぇ編集部が全国の男女1,331人に対して「建国記念の日とは、とある天皇が即位した事に由来する日なのですが、その天皇を以下の中から選んで下さい」という質問をしたアンケート結果が、掲載されていました。以下がその質問(五択)と回答一覧です。

7割の国民が「建国記念の日に即位した天皇」を知らないらしい…

江戸時代が終わって日本が近代国家として歩みを始めた明治時代の幕開けを“日本の建国”と考える人が多いのか、4割もの回答者が「明治天皇」と答えています。
勿論それは誤答で、このブログを読まれている方であれば、恐らくこの質問にはほとんどの方が正解を即答出来ると思いますが、この質問は簡単なひっかけ問題で、正解は「その他」に含まれている神武天皇です。

建国記念の日とは、簡潔にまとめると、皇紀元年に大和の橿原(現在の奈良県橿原市)の地で、当社御祭神の一柱である鵜草葺不合命ウガヤフキアエズノミコト)様の御子である神倭伊波礼琵古命(カムヤマトイワレビコノミコト)様が、初代天皇神武天皇として即位されたと伝わる日を、日本が建国された日としてお祝いをする祝日です。
それにしても、約7割もの回答者が、建国記念の日に即位した天皇を知らないというこのアンケート結果には、正直驚きました。これは別にあえて“上から目線”な言い方をしているわけではなく、私は今まで、神武天皇が初代天皇として即位された日を「日本国のお誕生日」としてお祝いする事は、日本人として当然の常識であると信じて疑っていなかったので…。


奈良時代に成立した日本の官選史書である「日本書紀」の巻第三には、『辛酉年(かのとのとりのとし)の春正月の庚辰(かのえたつ)の朔(ついたちのひ)に、天皇(すめらみこと)、橿原宮に即帝(あまつひつぎ)位(しろしめ)す。是歳(ことし)を天皇の元年(はじめのとし)とす』と記され、様々な苦難を乗越えて日向から大和の地へ到達された神武天皇橿原宮で日本を建(た)てると宣言された日が明らかにされており、明治時代になってからその「辛酉年庚辰の朔」を西暦年月日に換算して算出されたのが、紀元前660年(皇紀元年)2月11日です。この日を以って、我が国は神話時代(神代)から歴史時代へと入ったのです。
そしてこの事は、我が国が神話と歴史が直結している世界唯一の国家である事をも意味しています。世界各国の王朝は、かつてはそのほとんどが神話に起源を持っていましたが、神話に起源を持つそれらの王朝は日本だけを唯一の例外として全てが滅亡してしまい、我が国のみが、現在も皇統連綿として万世一系の皇室を戴いているのです。

ところで、「世界最古の国家」はどこの国か、御存知でしょうか。
これについては、仮に知らなかったとしても今までの話の流れから、大よそ推測出来るのではないかなと思いますが、答えは我が国、日本です。
「中国三千年の歴史」とか「中国四千年の歴史」などという言葉が一人歩きしている事から、中国を世界最古の国と勘違いしている方も少なくないようですが、現在の中華人民共和国は、建国してからはまだ六十数年しか経っていない、非常に若い国家です。中国にはかつて様々な帝国や王国が存在していましたが、王朝が替わると、新王朝により前王朝の皇帝やその一族は処刑されたり追放されるなどし、その度に王朝が断絶しているため、いくら郷土としての歴史は古くても、中国にひとつの国家としての連続性は無いのです。
しかし日本は、政権を担う政体が例え朝廷から幕府に移ろうと、内閣に変わろうとも、皇統は初代神武天皇からただの一度も途切れる事なく現在に連綿と続いており、役職名は変われども時の政権の最高責任者(摂政、関白、征夷大将軍、内務卿、内閣総理大臣など)はいずれも天皇から任命(大命降下)される事でその正当性が保障されてきたため、ひとつの国家としての連続性が認められるのです。
ちなみに、ギネス世界記録(ギネスブック)では、「世界最古の王家」として日本の皇室が認定されています。

近年は、日本の国の成り立ちについては小・中・高校でもほとんど教えていないため、大学生でも、「日本はいつどのように出来たのか」という問いに明確に答えられる人は少ないようですが、紀元前660年2月11日(旧暦の神武天皇元年1月1日)に神武天皇が初代天皇として即位された事を建国の由来とする我が国は現存する世界最古の国家である、という事を改めて知ると、私達は日本人である事にもっと誇りを持てるのではないでしょうか。
以上の事を踏まえて改めてまとめると、建国記念の日とは、偉大な建国の大事業と、国が今に続いている事に感謝しつつ、その精神の継承を期して国民が一丸となってお祝いをする日、と云えるでしょう。

下の絵は、幕末から明治時代前期にかけて活躍した浮世絵師・月岡芳年により描かれた、日本の建国を象徴する「神武東征」の一場面です。神武天皇が携える弓の先に眩く輝く金鵄が留まり、それを目の当たりにした敵兵達が怖れ慄いている様子が版画で再現されています。

神武東征


2月11日の今日、全国各地の神社では、神武天皇の御即位と建国創業の御神徳を景仰して、「紀元祭」「紀元節祭」「建国記念祭」「建国記念の日奉祝祭」等の名称で祭典が斎行されました。
宮中に於いても、今日は天皇陛下宮中三殿に御拝される臨時祭祀(GHQの圧力により紀元節祭は廃止されてしまい、紀元節祭という名称は今も使われておりませんが、現在行われている臨時御拝の趣旨は戦前の紀元節祭と全く同じです)が執り行われ、また、神武天皇御即位の地である橿原神宮へは勅使(天皇陛下のお遣い)も遣わされました。

もっとも、社務やその他諸般の事情により現実には、中小規模の神社では紀元祭(もしくはそれと同趣旨の祭典)の斎行は省略される事も少なくはないのですが、当社では、前述のように本殿でお祀りしている御祭神の一柱・鵜草葺不合命様が神武天皇の御父君であり、西野神社の御祭神と神武天皇は深い関わりがある事から、2月11日は毎年必ず「紀元祭」を斎行しております。
今日当社では、紀元祭に先立ってまず午前10時から総代会の会議が開催され(下の写真がその様子です)、その後、午前11時から、例年通り中祭式にて紀元祭を執り行い、参列者全員で偉大な建国の大事業に感謝の真心を捧げました。

平成28年 西野神社 紀元祭直前の総代会


以下の写真4枚は、当社で斎行された本日の紀元祭の様子です。
開式の辞 → 修祓 → 宮司一拝 → 開扉(巻簾) → 献饌 → 献幣(総代幣帛) → 祝詞奏上 → 斎主玉串拝礼(祭員列拝) → 参列者玉串拝礼 → 撤饌 → 閉扉(垂簾) → 宮司一拝 → 閉式の辞』の次第に従って粛々と執り行われました。
なお、以下の2枚目の写真で、左端の神職(越川権禰宜)が手に執り顔前で構えているのは、17本の長短の竹管を環状に立てた、笙(しょう)という和楽器(楽に用いる管楽器)です。これは、巻簾・垂簾の際に吹奏されました。

平成28年 西野神社 紀元祭

平成28年 西野神社 紀元祭

平成28年 西野神社 紀元祭

平成28年 西野神社 紀元祭


そして、紀元祭の後、午前11時40分頃からは、参集殿直会が行われ、今日の紀元祭に参列された当社関係者の皆様方(総代さん達や、萬燈保存会神力會敬神婦人会氏子青年会皐月会など各崇敬会代表の方々)が、昼食を兼ねて、大前から撤下された御神酒や、別に用意されたお食事などを戴きました。

平成28年 西野神社 紀元祭直会


なお、今日当社で行われた総代会、紀元祭直会の様子を写した写真は、「西野神社アルバム」の「平成28年2月 総代会、紀元祭直会」のページ(下記URL)にもアップしておりますので、宜しければこちらも是非御覧下さい。
http://f.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/280211%20%E7%B4%80%E5%85%83%E7%A5%AD/?sort=old


(田頭)

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