紀元祭
昨日(2月11日)は、我が国の“お誕生日”に相当する「建国記念の日」でした。
建国記念の日とは、当社でお祀りしている御祭神の一柱である鵜草葺不合命様の御子であられる、神倭伊波礼琵古命様が、大和国の橿原の宮(現在の橿原神宮)で初代天皇「神武天皇」として御即位された日(日本書紀によると神武天皇元年正月庚辰朔)を太陽暦に換算し、その日(太陽暦での2月11日)を日本が建国された日としてお祝いする記念日です。
「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨のもと、国民一人ひとりが今日に至るまで建国の精神を守り伝えてきた先人達の努力に感謝と敬意を捧げ、我が国の更なる発展を願う、国民の祝日でもあります。
明治6年に「紀元節」として祭日に定められ、戦後はGHQによって一旦廃止されましたが、紀元節の復活を望む多くの国民世論を受けて、昭和41年に「建国記念の日」として、改めて国民の祝日に加えられました。
その「建国記念の日」の昨日、当社では午前10時から総代会の会議が、11時からは、参列者全員で偉大な建国の大事業を祝福して感謝の真心を捧げる祭典「紀元祭」が、11時40分頃からはその紀元祭の直会が、それぞれ行われました。
以下の写真2枚は、紀元祭に先立ってまず参集殿で開催された、総代会の会議の様子です。
総代さん達以外の関係者の方々(西野神社萬燈保存会、西野神社神力會、西野神社敬神婦人会、西野神社氏子青年会皐月会の役員さん達など)も出席し、今年度の事業報告や、先月無事終えたばかりの年末年始の事業についての反省(意見交換)などが行われました。
以下の写真8枚は、総代会の直ぐ後に社殿にて斎行された紀元祭の様子で、今年も例年通り、『開式の辞 → 修祓 → 宮司一拝 → 開扉(巻簾) → 献饌 → 献幣(総代幣帛) → 祝詞奏上 → 国歌斉唱 → 斎主玉串拝礼(祭員列拝) → 参列者玉串拝礼 → 撤饌 → 閉扉(垂簾) → 宮司一拝 → 閉式の辞』の次第に従って、中祭式にて粛々と執り行われました。
特に、本年は明治維新から百五十周年という節目の年でもある事から、私達神職は、建国創業の御聖業を景仰すると共に、「明治」という近代日本の礎を築いた時代にも想いを致しながら、大前にて厳粛に御奉仕させて頂きました。
なお、紀元祭や神武天皇、建国の神話などについて御興味をお持ちの方は、以下の各記事(いずれもこのブログに過去にアップした記事です)も併せて御一読下さい。
▼ 神武天皇の御生涯
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20060403
▼ 神武天皇即位を元年とする皇紀について
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20060603
▼ 神武天皇が発せられた橿原奠都の詔について
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20090210
▼ 神話を知る事、学ぶ事の意義
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20110819
▼ 一旦廃止された紀元節が、建国記念の日と名を変えて復活した経緯
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20120211
▼ 神話に起源を持つ王朝が現在も続いているのは日本のみである事の意義
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20160211
昨日当社で行われた総代会、紀元祭の様子を写した写真は、「西野神社アルバム」の「平成30年2月 総代会、紀元祭」のページ(下記URL)にもアップしておりますので、宜しければこちらも是非御覧下さい。
http://f.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/300211%20%E7%B4%80%E5%85%83%E7%A5%AD/?sort=old
ちなみに、昨日は「日曜日」で「戌の日」でもあったため、安産祈願の御祈祷を受けに来られる方も大変多く、紀元祭斎行のため社殿での御祈祷を中断していた午前10時半〜11時45分頃の時間帯を除き、ほぼ途切れる事無く、御祈祷もずっと続いていました。
お守りや御朱印などを受けに来られた方々もかなり多かったため、昨日は、社務所も授与所も夕方頃までずっと忙しかったです。
しかし、新年の御祈祷が集中していたお正月、合同新年会、どんど焼き、節分祭・豆まきなどの、昨年末から続いていた一連の行事は、昨日の紀元祭で漸く一段落し、今日からは、社務にも大分余裕が出てきました。あとは、来月4日に斎行される人形供養祭まで、当社で行われる行事は特にありません。
(田頭)