西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

西野神社御祭神の縁結びと安産の御利益の由緒

前回の記事では、西野神社の神様(豊玉姫命様、鵜草葺不合命様、譽田別命様の三柱)は特に、縁結び、安産、勝運上昇などに御利益があり、その事(縁結びの御利益)と併せて、良縁祈願祭について紹介させて頂きました。
今回は、それらの御利益のうち特に縁結びと安産に注目し、どうして西野神社の神様は縁結びと安産に御利益があるのか、という事を、神話や西野神社御祭神の由緒を紐解きながら説明させて頂きます。


古事記日本書紀などの神話で語られている所によると、地上の世界で暮らしていた火遠理命(ほおりのみこと)様、一般には山幸彦(やまさちひこ)という名前で知られている天津神ですが、山で獣を狩る事を得意としていた山幸彦様は、ある日、海で釣りをしようと思い立ち、兄神である海幸彦(うみさちひこ)様から大切な釣り針を貸して貰うのですが、山幸彦様は、釣りをしている最中にその釣り針を失くしてしまいました。
いくら釣り針を探しても見つからず、海幸彦様からもその事を責められ、すっかり困ってしまった山幸彦様は、海幸彦様の釣り針を探し求めて、海の国を訪れました。

海の国は海中にあり、そこには宮殿がありました。民話などで云う龍宮城のような所なのですが、その海の宮には、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)様という、大変美しい女神様(西野神社主祭神)が、父神と共に住んでおられました。
豊玉姫命様は、釣り針を求めてやってきた山幸彦様と海の宮の前で出会い、山幸彦様の素晴らしい姿に魅せられ、また、山幸彦様も豊玉姫命様に惹かれ、山幸彦様は海の宮へ迎え入れられました。

海の宮での山幸彦様と豊玉姫命様

こうして夫婦となった山幸彦様と豊玉姫命様は、海の宮で楽しく幸せに暮らしましたが、山幸彦様は次第に望郷の念が強くなり、また、失くした海幸彦様の釣り針も海の世界で見つかった事から、結婚から3年後、山幸彦様は豊玉姫命を海の宮に残して単身で地上へと帰ります。

平成24年10月22日付の記事では、西野神社拝殿の南側内壁に設置・奉安されている「西野神社由緒彫刻額」を紹介しましたが、その彫刻額の右側に再現されているのがこの場面(下の写真)で、山幸彦様が、ワニの背中に乗って、海の宮から地上へとお帰りになっていく様子が彫刻されています。
ちなみに、この彫刻での山幸彦様は右手に箱を持っていますが、その箱の中には、豊玉姫命様のお父様から授かった呪宝が入っており、恐らくは、見つかった海幸彦様の釣り針も入っていると思われます。

由緒彫刻額(右側拡大)

下の2枚のイラストも、山幸彦様が海の宮から地上へとお帰りになっていく様子です。山幸彦様がお乗りになったものについては、ワニ、サメ、龍などの諸説があります。

ワニの背に乗って、海の宮から地上へと帰られる山幸彦様

サメの背に乗って、海の宮から地上へと帰られる山幸彦様


一方、海の国へと残された豊玉姫命様は、間もなくして、地上へ戻ってから地上の世界を統治するようになった山幸彦様の元を訪ね、「私はあなたの御子を身ごもり、臨月を迎えました。しかし、尊い天津神の御子を海原で生むわけにはまいりません。そこで、こちらへと出向いてまいりました」と言い、山幸彦様の御子を身ごもっている事と、地上の世界で出産したいという事を告げました。
山幸彦様と豊玉姫命様の御夫婦は、出産に備えて、鵜(う)の羽を集め、それを葺草(かや)の代わりにして、海辺に産屋(出産をするための仮小屋)を作り始めますが、まだ屋根を葺き終わらないうちに豊玉姫命様が産気付きます。そして豊玉姫命様は、「異郷の者は、子を産む時には本来の姿に戻ります。お願いですから、決して中を覗かないで下さい」と山幸彦様に言ってから、産屋にこもりました。

しかし、産屋の中の様子が気になった山幸彦様は、つい、中をこっそり覗いてしまいます。すると、出産中の豊玉姫命様は、大きなワニ(もしくはサメ、龍)と化してのたうっており、驚いた山幸彦様はその場を逃げてしまいました。
正体を見られた豊玉姫命様はこれを恥じて、産んだ子を地上に残し、「もう以前のように海と陸とを自由に往来して親しむ事は出来ません」と言い残して、海の宮へと帰ってしまわれました。

下の写真は、前出の「西野神社由緒彫刻額」の左側に再現されているその一場面で、これは、豊玉姫命様が御自分で産屋の屋根を葺いている様子です。

由緒彫刻額(左側拡大)

下のイラストは、産屋の中を覗き見る山幸彦様と、その産屋の中の様子です。
この時お生まれになった御子が、豊玉姫命様と共に当社のもう一柱の御祭神である、鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)様です。

豊玉姫命様の御出産

ちなみに、「鵜草葺不合命」という御神名は略称で、古事記に於けるこの神様の正式な御神名は「天津日高日子波限建鵜草葺不合命」(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)といい、これは意訳すると、「渚に鵜の羽毛を葺き合わないうちにお生まれになった、勇ましい天孫の御子」となります。つまり、産屋の屋根に鵜の羽を葺き終わらないうちにお生まれになったという誕生時の事情から、「鵜草葺不合命」という御神名になったのです。

なお、諸外国の神話に於いても、妻が「見ないで」と言ったにも拘らず夫がその禁を破って覗き見てしまい二人の関係が破局する、というお話は時々見受けられ、日本の神話では、この豊玉姫命様の御出産のエピソードの他に、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)様と伊邪那美命(いざなみのみこと)様の黄泉国でのエピソードもそれに当たりますし、日本の民話では、「鶴の恩返し」や「雪女」などのエピソードがそれに当たります。
しかし、山幸彦様と豊玉姫命様の場合は、妻が正体を見られ海の国へと帰った後も、夫婦は恋歌を交わし、妻は子の養育のため夫の元に妹(玉依姫命)を乳母として派遣するなど、その後も夫婦の友好関係が持続している、という点が、類似の他の神話や民話とは異なっています。


このように、本来は出会うはずのなかった、山の神様である山幸彦様と、海の神様である豊玉姫命様は、まるで運命の赤い糸に導かれるように海の世界で劇的な出会いをして、お互いに一目惚れをし、結婚し、そして豊玉姫命様は、安産(産屋の屋根も葺き終わらないうちに産気付きました)により御子を授かりました。
その御子(鵜草葺不合命様)は、成長して後に結婚をし、4人(柱)の子宝に恵まれ、その4人の御子の末子、つまり山幸彦様と豊玉姫命様からみると孫に当る神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)様が、初代天皇神武天皇として即位し、現在の皇室に繋がっています。

豊玉姫命と鵜草葺不合命に関する略系図

神話の中で描かれている、この大変お目出度く意義深い出会い・結婚・出産から、西野神社の神様、特に豊玉姫命様と鵜草葺不合命様は、縁結びや安産に御利益があると云われているのです。
ちなみに、西野神社の神様のもうひとつの代表的な御利益として知られている勝運上昇は、豊玉姫命様と鵜草葺不合命様に次ぐ三柱目の西野神社御祭神である譽田別命様の代表的な御利益です。


(田頭)

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