西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

新穀勤労感謝祭

朝日舞

今日は「勤労感謝の日」です。勤労感謝の日とは、昭和23年、国民の祝日に関する法律により制定された国民の祝日の一つで、勤労を尊び、生産の豊かなことを祝い、国民が互いに感謝しあうという日で、この日は、戦前は「新嘗祭」(にいなめさい)と呼ばれる祝日でした。新嘗祭とは、宮中や全国の神社で年毎の11月に行われる収穫祭のことで、祝日の名称が変わった現在でも、この日には、宮中や全国の神社では新嘗祭(もしくはそれに類する祭典)が斎行されています。

新嘗祭は、収穫を感謝して神威を蒙る代表的な稲作儀礼として、その起源は稲作開始の弥生時代にまで遡ることができ、古代より国家の重要な行事として執り行われてきました。「新嘗」とはその年収穫された新しい穀物のことをいい、宮中における新嘗祭では、その新嘗を天皇陛下自らが神殿(神嘉殿)に供えて大神様に収穫を感謝する神事として執り行われており、全国の神社も、この宮中の儀に合わせて大祭として新嘗祭を執行しているのです。ちなみに、年毎の新嘗祭に対して、天皇の即位後、宮中で初めて行われる一世一代の新嘗祭は特に「大嘗祭」(だいじょうさい)と呼び、年毎の新嘗祭とは区別されています。

その勤労感謝の日新嘗祭の日に当たる今日、当社では「新穀勤労感謝祭」という祭典が斎行されました。祭典の名称こそ違いますが、祭典の内容は新嘗祭そのもので、実際、斎主の奏上する祝詞新嘗祭祝詞と全く同じです。他の地域については知りませんが、札幌やその周辺では、一般の民社では「勤労感謝祭」等の名称で新嘗祭が斎行されることが多いのです(ただし北海道神宮では「新嘗祭」の名で斎行しています)。

総代さんたちが祭典に参列するため来社するこの日に合わせて、当社では今日、朝9時から参集殿で役員会や総代会などの会合が開かれました。そして、11時から社殿で新穀勤労感謝祭が斎行されました。今日の祭典では、私たち神職は「正服」という装束を着装して祭典に臨みました。正服は、正式な作法(衣文道)では他の人に着せてもらうことになっており、本来は着装者が自分自身で着るものではないのですが、実際にそういう正式な形で着装をしているのは、多分、相当大きな神社の宮司くらいで、大抵の神職は、正服は(斎服も)皆自分一人で着装します。正服は、早い人だと10分程度で着装してしまいますが、普段正服を着慣れていない人だと(私もそうです)その倍の時間は要します。通常の祭典(小祭)や平常の御祈祷では、神職は狩衣(かりぎぬ)という着装が容易な簡易な装束を着るため、正服を着装する機会は年に数回程度しかなく、また神社によっては、本来正服を着装すべき祭典でも狩衣で通している所もあり、意外と正服を着慣れていない神職は多いようです。

今日の新穀勤労感謝祭では、斎主の祝詞奏上の後、「朝日舞」という舞の奉納が行われ(写真参照)、僭越ながら、この私が舞わせていただきました。それまで舞の経験は全くなかったのですが、今日のために、今月始めから宮司の奥さんの指導のもと舞の練習を重ね、本日の披露(舞デビュー)となりました。祭典の後の直会では、複数の総代さんたちから、「今日は舞の奉納があると聞いていたけど、巫女さんは来ていないし、一体誰が舞うのかと思っていたんだけど、あんただったとはなぁ」と驚かれました。祭典では巫女さんが舞を奉納するのが一般的で、祭員を務める男性神職がその祭典で実際に舞うということは珍しいため、やはり私が舞うことは、意外性が高かったようです。

意外性はともかく、肝心の舞の出来についてはどうだったのか、と問われれば、実はかなり微妙な出来だったのですが(笑)、幸いなことに、今日の祭典に参列した総代さんたちの中に舞に精通している方は誰もおらず、しかも、今回は私一人だけで舞ったため他に比較の対象もなく(一緒に舞った人が上手な人だとヤバかったですが)、総代さんたちからは「良かったんじゃないのー」と概ね好意的に評価していただきました。次に私が舞うのは、4月の春祭りになります(予定)。

(田頭)