西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

秋まつり(例祭)

例祭

今日は年に一度の例祭です。私は、今日は朝の6時20分頃に神社に出社し、境内を掃いたりゴミ箱や灰皿を設置したり、お稚児さんたちが着替える場所(神楽殿前の芝生)にブルーシートを敷き詰めたり、午前8時から始まる例祭の準備をしたりするなどの準備作業を行ったのですが、神力会の方々は、御神輿の準備等のため、私が出社したときには既に何人も神社に来ておられました。皆さん、朝早くからお疲れ様です。

朝7時頃には、総代さんや町内会長さん達、敬神婦人会の方々、お稚児さんとして渡御の行列に参列する子供たちも来始め、境内も賑やかになってきました。お稚児さんたちの着替えや化粧は婦人会の方々が担当して下さり、私たち神社の職員は、参集殿にて総代さんたち(白衣・浅黄色の袴・格衣・烏帽子などを着装)や町内会長さん達(白衣・袴・裃などを着装)の着替えをお手伝いさせていただきました。

例祭は午前8時から斎行されるので、着替えのお手伝いを終えると私たち神職もすぐに装束を着装し、祭典に備えました。ちなみに、昨夜の宵宮祭では、私達神職は「斎服」という中祭用の純白の装束を着装しましたが、今日の例祭は大祭に当たるため、「正服」もしくは「衣冠」と称される、神職が着装する各種装束の中では最も正式な装束(斎服は外見上の区別はありませんが、正服の場合は神職身分に応じて色彩や紋が異なります)を着装しました。

今日の例祭は、①修祓、②宮司一拝、③開扉・献饌、④祝詞奏上、⑤宮司玉串、⑥参列者玉串、⑦閉扉、⑧宮司一拝、という次第で執り行われ、献幣と神楽がない分、昨夜の宵宮祭よりは時間的に短くなりますが、神事の重さとしては、当然例祭の方が上位です。総代さんたち、町内会長さんたち、猿田彦命奉仕者の方も、全員各々の装束を着装した状態で祭典に参列しました(写真参照)。

そして例祭が終了すると、すぐに渡御の準備が始まりました。当社には京神輿と江戸神輿の2基の御神輿があるのですが(子供神輿は当社の所有ではなく町内会が保有・維持しているものです)、京神輿は、トラックの荷台に載せたままの状態で他の車とともに車列を組んで氏子区域内を神幸し、もう一方の江戸神輿は、“担ぎ神輿”として、担ぎ手たちが威勢良く担ぎながら氏子区域内を神幸します。他の車というのは、総代長・副総代長、総代さんたち、町内会長さんたち、萬燈保存会の方々、お稚児さんたちなどを乗せた車のことで、当社前の道路では、京神輿を載せたトラックを中心にそれらの車により車列が組まれ、また参道では、神力会の会員さんたちや他会の奉仕者の方々が江戸神輿を囲い、出発の準備を整えました。

そして午前9時、花火の打ち上げとともに、定刻通り神幸行列が当社を出御しました。昨年の例祭日は、午前中はずっと小雨が降っていたのですが、幸い今年は晴天に恵まれ、皆晴れ晴れとした気持ちで当社から出発して行きました。ちなみに、今回は私は神社でお留守番で、渡御の行列には加わりません。宮司は毎年京神輿の方に付き、もう一人の神職が江戸神輿の方に付くのですが、その江戸神輿の方には松澤権禰宜と私が毎年交替で付くことになっているため、昨年江戸神輿に付いた私が、今年は神社で留守番することになったのです。

御神輿が出御して神社関係者が一気にいなくなった後も、境内は相変わらず多くの人々で賑わい、特に露天が出店している第二駐車場や、昨日に引き続きゲーム大会が開かれた土俵横などは沢山の子供たちで賑わい、昨日に引き続き犬のイラスト展が開催された社務所にも、多くの方々が見学に訪れて下さいました。

神社に残った私は、電話の応対(お祭りは何日までですか、露店は何時まで営業していますか、今日の催し物は何ですか、といった問い合わせの電話がとても多いのです)や雑用(神社に残った総代さんたちから「何々持ってきて」とか「あそこのスイッチを入れてきて」と言われる度に走ります)の合間に、例祭でお供えした神饌三方10台)を本殿から下げ、今日の夕方4時半から斎行される還御祭の神饌(米、神酒、塩、水など三方3台)を準備したり、昼の1時〜3時にかけては「こども相撲」が行われるため土俵の清祓いを行ったり、昼の3時からは神楽殿の前で古武術の演舞が奉納されるため神楽殿の正面に紅白の幕を張ったり、また、ホームページ(西野神社アルバム)にアップするためデジカメを持って境内各所を撮影するなどしていました。

午前11時頃にはそれらの作業も一段落しましたので、社務所のPCからブログの文章(この文章)を少し打ち込んだりもしましたが、11時半には、地鎮祭奉仕のため一旦神社を離れ、地鎮祭の現場へと向かいました。今日の現場は神社からは少し離れた所だったのですが、高速道路を利用しましたので、幸い昼の2時半には神社に戻ってくることができました。

午後3時からは、神楽殿前の芝生で田浦無想流古武術の奉納が行われ、刀術や柔術などが披露されました。披露された武術の内容は当然ですが、冒頭の挨拶で武士道精神の重要性を熱く説かれていたことも私にとっては強く印象に残りました。古武術の奉納は予定では30分間だったのですが、少し長引いて凡そ45分間に亘って披露されました。また、古武術の奉納が終わる直前の午後3時40分からは、第一駐車場にて、「西野リトルウェーブ」という子供達のチームによるYOSAKOIが披露されました。とても勇ましい舞でした。

そして午後4時15分頃、定刻より15分程遅れて渡御の行列が神社に還ってきたのですが、古武術YOSAKOIの奉納が終わってから御神輿が神社に還ってくるまでの短い合間に、神楽殿正面に張った紅白の幕を外したり、お稚児さんの着替えのため再び神楽殿前にブルーシートを敷き詰めたり、渡御の最中に奉納された奉献酒を拝殿に運んでの上に並べたり、還御祭の神饌を準備したり、その合間に電話の応対もしたり装束へ着替えたりもしなくてはいけなかったため、御神輿が還ってくる直前は急に慌しくなりました。

神社へは、まず先に京神輿が到着し、神輿殿前に移動され、続いて江戸神輿が、沢山の神輿会の人達に威勢よく担がれながら神社に還ってきました。江戸神輿も無事に宮入り(拝殿前の参道正中に到着)をし、神輿会の人達による三本締めの後、すぐに神輿殿前に移動され、二基の御神輿が揃った時点で直ちに遷霊が行われました。この場合の遷霊とは、二基の御神輿の中に鎮まっておられるそれぞれの御霊代を、本殿の内陣の中に再びお還しすることです。そして遷霊が終わるとすぐに、御殿で還御祭が執り行われました。2日間に亘って行われた秋まつりの中では最後の神事となるこの還御祭には、平服に着替えた総代さんたちや町内会長さんたちにも参列して頂きました。

午後6時からは、凡そ2時間、神楽殿にて大道芸と民謡のショーが行われ、大道芸のショーでは、皿回し、南京玉簾バナナの叩き売りなど懐かしくも新鮮な数々の芸が披露され、民謡ショーでは、昨夜の演歌歌手の方々に再び御出演いただき、その素敵な歌声を皆さん方に披露していただきました。

その間私は、拝殿内を平常に復する作業(掃除をしてから胡床を並べ替えるなど)をしたり、明日の地鎮祭の神饌の準備をしたりなどしていましたが、7時頃にはそれらの作業も一段落し、あとは境内を見回りしたり、カメラで各所を撮影したりしていました。

そして午後8時、最後の民謡が終わり、余興は全て終了し、その少し後には露店の営業も終了し、授与所の窓口も閉め、昨日から今日にかけて2日間に亘って執り行われてきた今年の秋まつりは、無事に全日程を終了致しました。多くの方々の御協力を賜り、事故もなく、全ての行事を無事滞りなく終えることができました、皆様、御協力、御厚志、本当にどうもありがとうございました。特に、当社にお供え物や玉串料などを奉納して下さった氏子の方々、御神輿を担ぐため当社まで遥々遠征に来て下さった各神輿会の方々、この2日間のために何ヶ月も前から様々な準備を進めて下さった総代会・崇敬会始め当社関係者の皆様方には、篤く御礼申し上げます。

また、今年の秋まつりの期間中は、余所の神社の神職の方々も当社を訪れて下さいました。今日は、北区に鎮座する某S皇大神社宮司さんとE市に鎮座する某E神社の宮司さんが、自社の神輿会の方々と一緒に当社の渡御に参加して下さり、清田区に鎮座する某A神社の宮司さんも、当社の渡御の様子を見学に来られました。また昨日は、当社と氏子区域を接する某K神社の禰宜さんと奥さんが、まだ生まれて間もない赤ちゃんを抱いて当社を訪れて下さいました。どうもありがとうございます。

なお、今日の例祭や渡御の様子、境内の催し物などを写した写真は、「西野神社アルバム」の中の平成18年9月「秋まつり(例宮)」のページ(下記URL)に多数アップしておりますので、こちらも是非御覧下さい(各写真はクリックすると拡大表示されます)。今年の秋まつりの様子は、私の個人的なカメラも含め4台のデジカメで撮影し、今日一日だけで、4台のデジカメの撮影合計枚数は300枚にも及びましたが、その中から私が独断で選びました75枚を、以下のURLにアップさせていただきました。

http://nishinojinja.or.jp/photo/180917.htm

(田頭)