西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

SNSでの西野神社のアカウント

西野神社LINEアカウントの案内

 

過去の記事でも紹介した事がありますが、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に於ける西野神社の公式アカウントを、改めて以下に紹介致します。SNSを利用されている方は是非、これらのアカウントから発信されている情報も御覧下さい。

Instagram(インスタグラム)での西野神社公式アカウント
https://nisinojinnjya.hatenablog.com/entry/20181126

▼ LINE(ライン)での西野神社公式アカウント
https://nisinojinnjya.hatenablog.com/entry/2020/10/15/163000

YouTube(ユーチューブ)での西野神社公式アカウント
https://www.youtube.com/channel/UCdZSC3xGDeoSAPU4Kaf-iTw

 

ちなみに、Twitterツイッター)でも、一応当社の公式アカウントを開設しておりますが、現在は運用を停止しており、ここ数年更新は全くしていない状況です。
facebookフェイスブック)では、今後の事は分りませんが令和3年2月現在は、公式アカウントはまだ開設しておりません。

 

文責:西野神社権禰宜 田頭

西野神社 神前結婚式の動画

以下の動画は、昨年秋頃に当社の儀式殿で斎行された神前結婚式の様子を映したものです。
親族紹介なども含めて約6分に編集されていた動画を、音声は一切加工せずに映像だけを短縮して2分半程に編集し直したものであるため、BGMが突然途中で途切れるなど不自然な箇所もありますが、神前結婚式のおおよその雰囲気はこの動画からも分かって戴けるのではないかなと思います。

 

以下の動画は、過去にも紹介させて頂いた事のある、西野神社での神前結婚式の御案内動画です。こちらは、実際の神前結婚式で撮影されたものではなく、神前結婚式のイメージ映像となります。

 

文責:西野神社権禰宜 田頭

今年の節分の「豆まき・餅まき」は中止となります

当社では毎年、2月の節分(昭和59年以前は、4年に一度の閏年だけは2月4日が節分で、それ以外は2月3日が節分でしたが、昭和60年から昨年までの三十数年間については、常に2月3日が節分でした)に境内第二駐車場で「豆撒き・餅撒き」(豆打ちの儀)の神事を執り行っており、本年についても例年通り、節分に「豆撒き・餅撒き」を行なう予定でした。

平成29年 西野神社節分祭(豆撒き・餅撒き)

今年の節分は、明治30年以来124年ぶりに2月2日が節分となるため、当社にとっては初めて2月2日に執り行われる「豆撒き・餅撒き」となる予定でもありましたが、新型コロナウイル感染症の拡大が依然として収まらない厳しい現状を踏まえて、所謂「密」の状態となる事を避けるため、残念ながら来月2日に執り行う予定であった本年の「豆撒き・餅撒き」は、中止する事となりました。

楽しみにされていた方には申し訳ありませんが(中止の発表も遅くなってしまい申し訳ありません)、御理解・御了承の程、宜しくお願い申し上げます。

 

ちなみに、今年の節分はどうして2月2日になったのか、その理由については、以下のツイートで紹介されている記事を御参照下さい。分りやすく説明されています。

 

文責:西野神社権禰宜 田頭

社務所(しゃむしょ)

西野神社境内の主要な施設・建物等のうち、昨年12月15日付の記事では「社殿」(本殿幣殿拝殿など)について、昨年6月7日付の記事では「儀式殿」について、昨年6月4日付の記事では「神輿殿」について、平成23年8月1日付の記事では「参集殿」について、平成28年6月10日付の記事では「授与所」について、また、解体されており現存しませんが平成30年10月10日付の記事では現在儀式殿が建っている所にあった「楽殿」について、常設の施設ではありませんが昨年12月29日付の記事では年始にのみ開設される臨時の「みくじ所」について、 それぞれ詳しく紹介致しましたが、今回の記事では、当社の「社務所」という建物とその機能について、紹介させて頂きます。

神社に於ける社務所(しゃむしょ)とは、一般の会社でいうところの事務所、寺院でいうところの庫裡や寺務所などに当る建物で、社務所という名の通り、神社の社務全般を執っている場所です。当社の神職達も、平時はここに詰めております。

社務所玄関の看板と幟

歴史的には、近世まで神社の社務は神職の役宅や私邸などで行なわれるのが普通でしたが、明治期に社家が廃止されて神社が国家の管理を受けるようになった事に伴い、神社としての公的な社務を行なう場所と神職個人の私生活を営む場所を明確に区別する必要が生じ、社務所という建物が設置されるようになりました。
戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が日本政府に対して発した所謂「神道指令」によって神社は国家の管理を離れますが、やはり社務は専用の建物で執るほうがいろいろと都合が良かったため、その後も、神社の規模を問わず多くの神社は社務所を設置しています。但し、神職が常駐していない神社では、現在でも社務所は設置していない所が多いです。
なお、職舎(宮司もしくはその他の常駐神職の住居)と社務所が、隣接していたり、連絡通路で繋がっていたり、同一建物内にあるという事例は、民社では現在でもよく見受けられます。

ちなみに、社務所の名称は、全国的に社務所でほぼ統一されていますが、特殊な例外として、大規模な神社の中のごく一部には、三重県伊勢市に鎮座する神宮の「神宮司庁」(じんぐうしちょう)、名古屋市熱田区に鎮座する熱田神宮の「熱田神宮宮庁」(あつたじんぐう きゅうちょう)、大分県宇佐市に鎮座する宇佐神宮の「宇佐神宮庁」(うさじんぐうちょう)、奈良県橿原市に鎮座する橿原神宮の「橿原神宮庁」(かしはらじんぐうちょう)などのように、「社務所」ではなく「〇〇庁」と名乗っている所もあります。

 

以下の写真は、いずれも当社の社務所の外観です。
御祈祷を受けられる方や、御朱印を拝受する方、その他神社もしくは神職に御用や問い合わせ等のある方は、こちらの玄関からお入り下さい(但し玄関の空いている時間は、原則として09:00~16:30です)。

西野神社 社務所
平成30年3月1日の西野神社境内
令和2年末の西野神社 社務所玄関

 

以下の写真は、社務所玄関内や、玄関にある窓口などです。当社の場合、御朱印の別紙はここでお渡ししております。

社務所窓口 全景(改修後)
平成26年 西野神社 七夕まつり(社務所玄関)
社務所玄関窓口(神職)
社務所玄関窓口(巫女)
社務所窓口(改修後)

 

以下の写真は、社務所玄関内にある受付場所です。御祈祷を受けられる方はここで受付をして戴いた後、神職の案内により社殿、儀式殿、参集殿のいずれかに昇殿して戴きます。

社務所玄関(御祈祷受付)
令和3年 西野神社元日 社務所玄関の祈祷受付
社務所玄関(人形供養受付)

 

以下の写真はいずれも、社務所内にある「社務室」で撮られたものです。
室内には机が並べられており、日中はここに神職達が常駐して、神事に関する事(祝詞作文、授与品の奉製、紙垂折り、その他)や、各種の事務(PCを使った入力作業、書類の作成など)、電話の対応、その他の雑務などを行なっております。
ちなみに、社務室内には当社関係者以外の立ち入りは御遠慮戴いておりますが、社務所窓口のガラス窓や社務室出入口のガラス戸などを通して、社務所玄関からは社務室内のほぼ全景が窺えます。

社務室
御朱印を書いている様子
西野神社 社務所(祝詞作文中)

 

以下の写真は、社務所の建物内にある「御祈祷控室」の内部です。
当社で御祈祷を受けられる方は、御祈祷の受付を終えてから御祈祷が始まるまでの間、この部屋でお待ち戴いております。

御祈祷控室(社務所内)
御祈祷控室(社務所内)
小学6年生7人 西野神社訪問

 

ちなみに、当社の場合、社務所と授与所はそれぞれ独立した建物で、それぞれの場所も離れていますが(但し、両建物の間に位置する拝殿・幣殿・渡り廊下などを介して一応繋がってはいます)、社務所と授与所は分離する事なく完全に一体化もしくは融合している、という事例も、民社に於いては全国的に広く見られます。

当社の場合でいえば、社務所は、授与所とではなく参集殿のほうと一体化しており、参集殿(その奥に位置する祖霊殿も含む)は一棟の独立した社殿という形態ではなく、社務所の建物の一部に組み込まれている形となっており、そのため参集殿に昇殿する際は必ず社務所の玄関から先ず社務所内に入る必要があります。

 

文責:西野神社権禰宜 田頭

本年の「どんど焼き」は終了しました

前回の記事で詳述した通り、西野神社に於ける本年の「古神札焼納祭・どんど焼き」は、例年通り1月15日(一昨日)を以って終了致しました。
毎年、どんど焼きが終わった後に神社に各種の納め物を持って来られる方が少なからずおられますが、しめ縄・しめ飾りや、正月飾り関係の品々は、どんど焼き終了後は原則としてお預かり出来ません。

どんど焼き終了のご案内
どんど焼き終了のご案内

 

どんど焼きが終了した後の、しめ縄・しめ飾り・正月飾り等の処分方法につきましては、以下の記事を御参照下さい。
https://nisinojinnjya.hatenablog.com/entry/2020/01/19/092246

なお、おふだ、お守り、破魔矢、熊手、その他神社から受けた授与品につきましては、どんど焼き終了後も、社務所玄関もしくは授与所窓口にてお預かりしております。

 

文責:西野神社権禰宜 田頭

お正月行事の最後を締め括る「どんど焼き」が執り行われました

元日である1月1日を「大正月」と云うのに対して、1月15日である本日は「小正月」と云われ、諸説ありますが小正月は “この日を以てお正月の期間が終わる日” と解釈される事も少なくありません。

1月15日は、「小正月」以外にも、「望正月」「二番正月」「女正月」「花正月」「返り正月」「戻り正月」など全国各地で様々な異称があるのですが、その小正月の今日、当社では午前10時から、元旦から始まった一連のお正月行事の最後を締め括る恒例神事として、「古神札焼納祭」と「どんど焼き」が、ほぼ例年通りの形で粛々と執り行われました。
但し、例年どんど焼きの日に実施し皆様方から御好評を戴いている甘酒のサービスについては、感染症対策の一環で本年は中止とさせて頂きました。

令和3年1月上旬 西野神社 納め所
令和3年 西野神社 古神札焼納祭(準備中)

 

どんど焼きとは、年末から松の内(全国的には、元日から1月7日までの間、もしくは元日から1月15日までの間、いずれかを松の内と云う事が多いようです)にかけてそれぞれの家や、会社・事務所・お店等で飾られたお正月の飾り物(注連縄・注連飾り・門松・その他)、おふだ・お守り・破魔矢などを、神社の境内に設けられた斎場、もしくは刈り取った後の田んぼなどで、清浄な忌火(御神火)によって焼納する神事(火祭り)の事です。
お正月の神様である歳神様や、それぞれの納め物に宿られている御神霊に、焚き上がる炎や舞い上がる煙と共に天へと還って戴き、併せて参列者やその御家族の当年の無病息災を祈る、全国的に広く行われている小正月恒例の伝統的な行事でもあります。

どんど焼きは、地域によっては「とんど焼き」「どんと焼き」「どんどん焼き」「大とんど」「左義長(さぎちょう)」「三九郎焼き」「サイト」「サイトヤキ」「サイトバライ」などと称され、その呼び名は様々です。
「どんど」や「とんど」などの語源は、はっきりとした事は不明なのですが、宮中の年中行事のひとつであった「三毬打(さぎちょう)」で、竹を燃やしている時の囃し詞「尊うどや」が由来、という説もあります。

なお当社では、忌火の点火前に、これよりどんど焼きを行う事を神様に奉告申し上げる「古神札焼納祭」を斎行しますが、この祭典についても、「どんど祭」「古神札焚上式」「古神符炎納祭」「鎮火祭」「左義長祭」など、地域によって名称が異なります。

令和3年 西野神社 古神札焼納祭(準備中)

 

以下の写真3枚はいずれも、第二駐車場出入口付近(土俵横)に舗設された斎場で本日午前10時から斎行された、本年の古神札焼納祭の様子です。
この祭典は屋外で執り行われるため、所謂「三密」のうちの「密閉」という状況にはそもそもなり得ませんが、それでも感染症対策を強く意識して、斎主・祭員の2名以外は全員マスクを付けた上での斎行となりました。

令和3年 西野神社 古神札焼納祭
令和3年 西野神社 古神札焼納祭
令和3年 西野神社 古神札焼納祭

 

以下の写真4枚はいずれも、古神札焼納祭に引き続き午前10時半頃から始まった、本年のどんど焼きの様子です。
今月7日から昨日までの8日間に亘って開設された臨時の「納め所」でお預かりしてきた納め物(お正月の飾り物や、神社のおふだ・お守り等)が、注連縄で張り巡らされた結界の内側に積み上げられ、古神札焼納祭の終わりに総代長によってそれらに忌火が点火されました。

令和3年 西野神社 古神札焼納祭
令和3年 西野神社 どんど焼き
令和3年 西野神社 どんど焼き
令和3年 西野神社 どんど焼き

忌火を完全に消火する午後4時半まで、総代さん達が交替しながらここでずっと燃やし続けて下さいました。

ちなみに、全国には、どんど焼きの火に当たると若返るとか、どんど焼きの煙を浴びると1年間健康に過ごせるとか、どんど焼きの火で焼いたお餅を食べると1年間病気をしないとか、どんど焼きの燃えさしの木切れを家の周りに刺しておくと虫除けになるとか、その燃えさしを天井に吊るしておくと火事にならないとか、どんど焼きの灰を家に持ち帰ると火事や盗難に遭わないなど、いろいろな言い伝えがあります。

 

また今日は、当社氏子区域内でも特に西野神社とは距離が離れている西野中立地区にお住まいの氏子さん達の便宜を図るため、同地区にある西野福祉会館(西野3条2丁目)の敷地でも、例年通り午前11時半から古神札焼納祭が斎行されました。

令和3年 西野福祉会館 古神札焼納祭

西野福祉会館で集められた納め物(上の写真では軽トラックの荷台に積まれています)は全て、この日の正午頃に西野神社へと運ばれ、当社境内の斎場で焼納されました。

 

なお、今日のどんど焼きの様子を写した写真は、「西野神社アルバム」の令和3年1月「古神札焼納祭・どんど焼き」のページ(以下のURL)にも多数アップしておりますので、こちらも是非御覧下さい。
https://f.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/R030115%20%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%A9%E7%84%BC/?sort=old

 

本日を以て、西野神社での本年のお正月関連の行事は全て終了し、まだ若干の片付け作業などは残っていますが一応明日から、当社はほぼ完全に平時の態勢へと戻る事になります。
本年のお正月に当社で奉仕・助勤して下さった皆様方、御協力戴きました関係者の方々、お疲れ様でした!

 

文責:西野神社権禰宜 田頭